誤解
夜道で「犬のおまわりさん」を歌う変なオジサンの話
たとえば、6階から下りエレベータに乗る。乗り込んで扉が閉まった後にふと、異様なニオイが立ち込めていることに気付く。何のニオイかは想像していただくとして、直前にこのエレベータに乗った人物が残したニオイに違いない。と思うや否やエレベータが5階に止まり、見知らぬ人が乗り込んでくる。再び扉が閉まりエレベータは下り始める。
まずい。この人はきっとこの異様なニオイの発生源が私だと思っているに違いない。しかしこういう場合に「お前はクサイぞ」と言う人はあまりいないし、こちらも「このニオイの元は私じゃありません」と知らない人に言うわけにもいかない。仮に言ってみたところで、自分が 犯人でないことの証明にはならないだろう。困った状況に陥らないためにも、無人のエレベータに乗り込んで異臭に気付いたら扉が閉まる前に飛び下りるに限る。
今日、妻が所用で出かけたので息子を実家に預けた。そういうことはよくあるが、いつも私は夜遅くまで帰らないから、預けるときにも引き取るときにもあまり関わらない。今日はたまたま都内での学会の仕事が早く終わり、大学には戻らないことにしたので、珍しく夕方帰宅し、妻の帰りを待たずに息子を引き取りに行った。日が暮れかかっている時間であった。
昼間は両親居ずとも関知せずに祖母のところで元気一杯だったらしいが、辺りが暗くなってから車に乗せようとしたら嫌がる。妻がいれば息子の隣りに座ってやれるのだが、私は運転しなければならないから、後部座席のチャイルドシートに1人で座らせなければならない。泣きな がら仰け反って抵抗するので、やむなくいつもそういう場合に施す「犬のおまわりさん」攻撃を開始。
理由はよく分からないのだが、息子がぐずって泣いたりしたときに「犬のおまわりさん」を歌うとなぜか泣き止む。他にも同じ効果のある歌がいくつかあるのだが、この歌が特に効果抜群である。モーツァルトに癒し効果があるのと同様に、何か奥深い理由があるのかもしれない。これは研究ネタになるな。
とにかく、車の後部座席に息子を乗せるために、ドアを開けた外に立って「まいごのまいごのこねこちゃん〜、あなたのおうちはどこですか〜」と中に向かって歌ってみたら、いつも通りの効果を発揮してピタリと泣き止み、笑顔が出る。大いに気をよくして、歌が聞こえるように窓を開けたまま後ろのドアを閉め、運転席に向かいながら続きを歌う。
「おうち〜をきいてもわからない〜、なまえ〜をきいてもわからない〜、にゃんにゃんにゃにゃ〜ん、にゃんにゃんにゃにゃ〜ん…」
と、その辺りでふと、薄暗くて気付かなかった人影がすぐ脇を歩いて通り抜けるのに気付いた。人影は、通り過ぎてからちらっと私のほうを振り返ると、すぐにまた目を逸らして去っていった。きっとあの人には車内の息子は見えなかっただろうな。うーむ。
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