目的意識
Didier Merah
63

Reminisc

私も追想してみました。

いきなり自分に挿入されてくるイベントを受容してみると「これはPLOTだ」という懐かしい感性と再会できました。

2011年の大揺れ時、私は茨城の自宅内でした。土煙とともに壁が無くなり、外ととの隔たりがなくなったのが最初の印象。とっさに、寸前まで一緒だったワンちゃんと猫を壊れた家の外へ連れ出そうと大声で呼びかけをし、火が出ないようにそれらの確認も済ませ「もしかして?」と一旦外に出てみると、ワンちゃんと猫ちゃんは、身を地面につけるくらいの低姿勢を保ったままで私が飛び出してくるのを待っていました。暗くなくても猫の瞳孔が大きく開いていたの見届けると、今、起こっているできごとがどでかいスケールなんだと私にも次第にわかってきました。みんなそれほどの外傷はなく、それだけで良かったという思いと同時に「これだけは失いたくない」という強烈な感情が2匹に対して湧いてくるのがわかりました。地面に立っていられないほどのまだ大きい余震が続く中、私は、つかまるところのない水平な地面につかまり続けようとしていました。地鳴りといろんな物が壊れる音を耳にしながら、なぜか視線は真っ白い雲の動きをしばらく追い続けていました。こうしてイベントは、私たちに容赦なく挿入され、「雨風そのまま入り込む、水なし、アンコンセント」というSTORYが身体をならす猶予もなく、いきなりスタートしました。

それから切れ目なく生活をつなぐ毎日が「発酵に向けたプロセスを同時に進行させている」とは知る由もありません。ただ「無我夢中」に生きていると「何でもない身近なことがただ嬉しい」という感性と現場の「むき出しで輝くいのち」が「その輝きを放ち合い、言葉以前の交流を交わす。」それだけで、「いっぱい、いっぱいな気持ちをお互いが優しく受け止め合って」少しずつ「このいっぱい」を受け止めることができる受容を育んでいきました。

挿入されるイベントは、人生/PLOTの隠し味。

季節が移り変るようにあの体験は、昇華を経て真逆に変容しました。

今は「つながってるんだから流れるし。」と感じていますが、「頑張って繋げよう。」としていた当時を少し回想してみました。

Thank you for reading. ありがとう/gino

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