“認める”と“認められる”

好みの問題か?


“〜といった所見が認められる”といった表現を私はよく使用します.

“〜といった所見を認める”という表現もよく目にします.最近では,若手のレポートをチェックする際に遭遇することが多くなりました.また放射線科以外の医師が書いたレポートでも比較的よく見るように思います.

どちらの表現でも内容が伝われば良いと思うのですが,個人的には“認められる”の方が好みです.

英語論文では“認められる”といった表現の方が多いと思いますし,レポートでは“私”といった主語を用いることは殆どありません.また日本人は主語を省略したがる傾向があると思うので,日本人である私は(本当か?)“認められる”といった表現を使用するとスッキリするのです.

“認められる”

“考えられる”

“思われる”

“考えられる”と“思われる”の違いってなんだろうと思います.

だんだん確信度が下がる表現だと思って使用していますが,それはまた別の話.

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