街で、路で、出会うこと

障害者福祉事業を立ち上げ、改めて思う当事者について


事業を立ち上げ、もうすぐ1年。障害福祉サービス事業を融資も受けながらだが、利用をする人が「ゼロ」からスタートし、今は(そうでなければ事業が続けられてはいないし、そもそも「0」が請求がスタートなのだが…)初めて国保連へ請求した額の何十倍もの振込が嬉しいことにある。安定した経営とはまではいかなし、スタッフには少ない給与であり心苦しくはあるが、個人的には人を雇うことが継続できていることが少し誇らしかったりした。

などと思いながら帰り道を歩いていると、ふと自分向かう少し先で止まっている男性がいる。何だ?と思うが、棒のようなものを持っている。白杖だ。いつの間にか、ぼくは誘導用ブロックの上を歩いていたのだ。あ、と思うが、そもそも「見えていない」はずの僕の姿を感じて止まっているのではなくそれは偶然、だったんだろう。

障害者や老人の支援をしている。福祉事業を経営している。ということは、何も優しさや熱意のある人だけではない。むしろこの福祉の直接、当事者(たちと支援者たち)との関係の中で続けていくには、優しさに対して冷めた感情を持っている人が多いのではないか。優しさという人からの評価を内面化することから距離を置き実践の中に仕事の意味を見出す人か、当事者の一喜一憂に疲れ事務的なルーティンワークの中に労働の対価を求める人か。しかし、どちらにしても、いや福祉労働者全ての人が、仕事から離れ、街や暮らしの中で当事者と知らず知らずに出会う。当事者に、家族として、仕事で、関係性やメディアが煽り支援者ですら当事者に期待するような物語性すらなく、唐突に。

もう一度、街で、路で、そのことを考えてみたい。

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