シェアリングエコノミー中間報告書が明らかにした、リスクベースのコンプライアンスの考え方と、日本版レギュラトリー・サンドボックスの導入論

Masa Masujima
10 min readApr 30, 2017

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シェアリングエコノミー中間報告について

昨年の11月、内閣官房のIT総合戦略室が事務局を務める「シェアリングエコノミー検討会議」は、日本でシェアリングエコノミーを推進していくために必要な諸施策をまとめた中間報告を公表しました

この中間報告では、シェアリングエコノミーは、既存のリソースを効率的に活用することや個人が多種多様なサービスを提供・享受することを可能とするものであり、新しいソ リューションやイノベーションの創出を通じて、日本の課題解決への貢献が期待できるものであるとの受け止めのもと、シェアリングエコノミーという大きな潮流から、日本が着実に果実を得ていくために必要な諸施策を総合的に取りまとめたものになります。

報告書にもあるとおり、シェアリングエコノミーは、「業者」がサービスをフルスタックで揃えて、これを「消費者」に提供するという、これまでのサービス業の枠組みから、インターネットをベースとして、「資源を持っている人」と「その資源にアクセスしたい人」とをマッチングさせることでユーザーのニーズに応えるという新しいサービス提供のあり方を提示しています。

報告書は、これを「『タテ』から 『ヨコ』へ」と表現していますが、要はサービス提供の場がインターネットをベースとするものとなることによって、サービス提供の方法がインターネットのアーキテクチャに合うような形に進化しているということといえます。

この中間報告は、こうしたサービス産業のあり方の大転換、少なくともこれまでとは異なる方法でのサービス提供のあり方の選択肢が、シェアリングエコノミーによって提示されたことを受けて、既存の社会との間で生じる様々なフリクションを乗り越えていくための総合的な戦略が書かれているので、ぜひ皆さんもご一読ください

今回は、この中間報告が、日本のコンプライアンスのあり方に対して、とても大きな問いかけをしているということをお話したいと思います。

日本企業は「コンプライアンス」を本当に理解しているのだろうか

我々日本人は、法律といえばかっちりと適法と違法の線引があって、ある行為があれば、それが適法なのか違法なのか誰かが一義的に判断することができるものと信じているフシがあります。

ある行為をするときには、それがシロなのかクロなのかを見極めなければならない、そしてクロの可能性があればそれは行ってはならないのだ、というのが「あるべきコンプライアンス」だと考える傾向があるように思います。法律上のルールが不明確な場合には、事前にその法律を所管している官庁に「おうかがい」を立てて、問題がないという「お墨付き」をもらわなければやってはいけないのだ、それが正しいコンプライアンスだ、と考えている企業がとても多いのではないでしょうか。

それは本当でしょうか?

法律はすべての事象を網羅的に規定してなどいません。その法律を作成するときにおける日本社会を取り巻く状況(立法事実などといいます)を前提に、その状況をどのように規律するのか、という側面から作られています。民法や刑法など広く一般に適用される基本法については、将来の社会の変化をある程度包摂することができるように、十分に抽象的にルールを作成するのですが、とりわけ業法と呼ばれる世界では、特定の業態にのみ適用されるルールですので、勢いその内容は、立法の時点での業界の秩序などを前提に、それが適正に回っていくことを期してルールがつくられるのです。

こうしたルールは、立法当時の取り巻く状況が維持されている限りは、それなりに上手く機能するのですが、新たな技術の出現や、新たなビジネスモデルの出現などに対して脆弱性を露呈します。ルールは、そうした技術やビジネスモデルを前提としていないことが往々にあり、その結果、それらの利用が、法律上適法なのか違法なのかよく分からないということが起こるのです。

ルールが想定していない状態に対する法律の適用態度は、大きく分けて2つあります。1つは、法律が想定していないのであるから、そのような新技術の利用やビジネスモデルの採用は違法であるという態度です。もう1つは、法律がそれらの新技術の利用やビジネスモデルの採用を禁じていないのであるから、これを行うのは自由であるという態度です。

伝統的な企業や役所は、多くの場合に前者のような考え方をします。これに対して、従来型のベンチャー企業は、後者のような考え方を取ることが多かったように思います。

これはどちらが正しいのでしょうか?

実はどちらも正しくない、というのが現在のコンプライアンスに対する世界の考え方だと思います。絶え間なく社会を取り巻く環境が動き続けている中、世界のコンプライアンスのものの考え方は、急速にリスクベースアプローチに寄っていると僕は考えています。

そして、このリスクベースのコンプライアンスアプローチこそが、民間がイノベーションを主導していくために不可欠なものの考え方であると思います。

僕がそのように確信しているのは、僕がシリコンバレーで勤務していた頃のコンプライアンスが、こういうフレームワークによっていたからです。当時は、これが何を意味しているものなのか、イノベーションの推進との関係でどのような位置づけで理解すればよいか、必ずしも明確に理解していませんでした。しかし、日本に戻ってきて、多くの日本企業が取り組んでいるコンプライアンスを見て、また日本の霞が関の行政庁の役人を経験し、第4次産業革命を前に立ちすくむ大企業の姿を見て、日本が第4次産業革命に勝ち抜いていくためには、日本社会がリスクベースのコンプライアンスアプローチをしっかり身につけることが不可欠だと考えるに至りました。

リスクベースのコンプライアンスアプローチとは何か、ご説明したいと思います。

民泊の事例からコンプライアンスを考えてみる

分かりやすくするために、具体例としてシェアリングエコノミーの代表格ともいえる民泊を見てみましょう。

(注)民泊については住宅宿泊事業法という法律が第193回国会で通過する見込ですので、今後はこの法律によって規律されることになります。

民泊事業は、住宅の空き部屋を持ちこれを有効活用したい人と、そこに泊めてもらいたい人をマッチングするサービスです。事業者はインターネット上にウェブサイトを開設し、空き部屋を有効活用したい人から空き部屋の情報や宿泊料等に関する情報を掲載してもらいます。泊まる場所を探している人は、これを見て条件の合う空き部屋の持ち主にコンタクトし、宿泊についてお互いに合意できれば、お金のやり取りをします。これで宿泊者は空き部屋で宿泊することができる、というものです。

他方、旅館業法は、「旅館業を経営しようとする者は、都道府県知事(保健所を設置する市又は特別区にあつては、市長又は区長。)の許可を受けなければならない」と規定しています。旅館業にはホテル営業、旅館営業、簡易宿所営業と下宿営業があります。そのうえで、「宿泊する場所を多数人で共用する構造及び設備を主とする施設を設け、宿泊料を受けて、人を宿泊させる営業」は、1月以上人を泊める下宿営業でなければ簡易宿所営業にあたると規定しています。

民泊は、友人を家に泊めることとの延長線で、インターネットで知り合った個人を自分が管理する住宅に泊めてあげるというコンセプトです。こうしたコンセプトは、もともと旅館業法が制定された時点では当然のことながら想定すらしていません。米国などでは、以前から移民が米国に入国する際に生活の本拠を定めるまでの期間、住むことができる場所を提供するサブレットというものが普通に存在していたりします。

ところが、個人がインターネットで知り合った色々な人達を泊めてあげることによって、これは簡易宿所として規制されている民宿と変わりがないのではないかということを言い出す人が出てきます。こうした人は、多くの場合サービスが広がることで自らのビジネスに影響が出てくる人だったりするわけですが、いずれにしても、無登録の旅館営業を助長するサービスは問題であるとして、民泊事業者を問題視するということをします。

リスクベースアプローチのコンプライアンスは、こうしたときに、まずこうした民泊プラットフォーム事業を行う場合のリスクが何なのかを特定します。旅館業法はマッチング自体を何も規制していませんので、ここでありうるリスクとしては、空き部屋に泊めてあげる人が旅館業法の無許可営業として刑事罰に課されるときの幇助犯として評価される可能性、ということになります。また、民泊で問題が起こった場合に世間から非難されるといったレピュテーション低下のリスクが考えられます。

そのうえで、このリスクを評価します。そのリスクがどの程度重大なものなのか、何か対処が必要な程度に重大なものであるか、といった評価です。そして、この評価に応じて、リスクを管理可能な範囲となるまで一定の措置を講じます。この措置をどの程度講じるべきかは、リスクをどの程度と評価したかということと、リスクの発現を防止するためにどの程度の措置が必要であるかというその事業者自身の判断によって変わってきます。

全ての空き室の提供者に対して、簡易宿所の許可をとらせるという措置をとる事業者もいるでしょうし(旅館業法はあくまでそれを「営業」として行う人のみ許可を取る必要があるといっているだけですので、法律はここまでやれとは言っていないわけですが、そういうコンプライアンスの方法もあるということです。)、空き室の提供者に対して、営業として行う場合には簡易宿所の許可を取ってくださいということを告知するような対処をする事業者もいるでしょう。さらに、これはむしろ法律が現代社会に適合していないということで、法改正のための活動に経営リソースを投じるという事業者もいるでしょう。リスクベースアプローチからするコンプライアンスからすれば、自らリスクを特定、評価した上で、それに対する適切な対処を講じている以上は、どれを行うかはそれぞれの事業者が自らの責任で決めることです。

そのやり方が世間の範や期待から大きくずれていれば、その事業者は批判されるでしょうし、その声を無視していれば、無許可営業幇助として警察権が発動する可能性があるということです。自らの責任で決めたコンプライアンスの対処方法に対して、その結果を自ら受け止めるというアタリマエのことです。

こうしてみた場合の「適法性」というのは、最終的な適法性はあくまで司法が判断するという大前提のもとでの、事業者自身が採用する、関連する法令に自らの事業が適合しているという主張(アーギュメント)のことを意味しています。そのアーギュメントが荒唐無稽の独自説であれば、世間を説得することはできず、世間の批判を浴び、警察権を始めとする行政権の発動までいくかもしれません(ちなみに、行政権の発動という事態を最終リスクの発現と見なければならないのかというと、必ずしもそうではありません。「行政」という、法律の最終解釈権を持たないものの、公共の福祉を守るための機関が採用する主張(アーギュメント)ないしポジションに過ぎないともいうことができるからです。そうしたコンプライアンス戦略を立てる事業者は、最終の決戦は法廷での勝負に持ち込み、勝つことに見定めているということになるでしょう。)。その意味で、ビジネスの「適法性」の確保というのは、ビジネスが適法であるということについての説明可能性、アカウンタビリティのことを言うのだ、ということができるでしょう。

続きはこちらの記事をご覧ください。

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Masa Masujima

Masa is a senior partner at Mori Hamada & Matsumoto, one of the top Tokyo headquartered law firms. Specializes in financial regulation and tech transactions