絵と文章の違い目

絵も文章も、基本は「自由にかいてよい」というところが好きです

こうやってブログを書き始めると文章を書く毎日にあっさり戻るもので、お仕事のように〆切りがないことで気が楽なのと報酬がないことを棚に上げて云うと、やっぱり自分はものを書くのが好きなんだなあと思います。
現実の生活が大変であればあるほど、読んでいただくのに値することを何も見いだせなかったとしても、何もなかった穏やかな日への感謝にも繋がり、1日のなかでちょっとだけでも文章を書こうとする時間を持つことで、どこかで誰かと言葉の力を共有していると感じることもできます。

しかし字を書き始めると、どういうわけか絵も描きたくなってくる。
別々のタイミングに欲望の波がきて欲しいのにと歯噛みしつつ、自分の性格上、どちらも少しずつするしかない(どちらとも向き合いたいという気持ちがある時に対峙しないと結局はどちらとも不満足に終わる)ので、次に気持ちが動くまでは絵を描いたり文章を書いたりの趣味に打ち込むしかなさそうです。

「文章、上手いですね」
わたしのように業界の末端でライターをしている人なら経験があるかもしれませんが、署名記事やブログのようなエッセイ形式の原稿に対して、この手の褒め言葉を頂戴することがよくあります。
まあ、いやな気分はしないんですけどね。
「きっと小川洋子さん(←ここに入る物書きのお名前は時期によって変わる)には言わないだろうな〜」などと都度感じますが、これがわたしの実力なんだわ。

ところが、絵に関しては、「上手い絵ですね」と褒められると、途端に有頂天になります。
また、「デッサンがなっとらん」と腕前を批評されると、少し落ち込みます。文章ならどこを編集者に直されても「ありがたきアドバイス痛み入ります」と素直に修正にかかるというのに。

これは、考えてみると、絵は素人だからなのです。
時折偶然にもうまく仕上がった絵を額に入れて眺めながら、「二度とこんな傑作は描けない!」と自己満足に浸ってしまう。うまく描き切れる作品も少ないわけですから、当然、自分の絵は手放せない(たとえ買うという人がいても考えてしまうと思う)というアマチュアの世界なのです。

厄年を過ぎてから水彩画を描き始めた玉村豊男さんの本『絵を描く日常 OF MY LIFE ART』(東京書籍)の最終章最終エッセイに、いたくハッとさせられました。

文章は、論理的に書かなければならない。
どんなに感覚的な文章であっても、読者に理解されるよう少なくとも文法や語順の基本はある程度守る必要があるし、最近は断片的な文章をアトランダムに書いておいてあとからパソコンで編集するようなことが可能になったとはいえ、最終的に発表するときはそれらの文章を順番に並べなければならない。つまり、リニア(線的)に、端から順に、意味が繋がるように書かなければならないのである。この作業は、一定以上に明晰な頭脳を必要とする。人間は歳をとると誰でも論理的に言葉を組み立てる能力を失うもので、私ももうだいぶ固有名詞が出てこなくなってきているから、この調子で行くといつまで意味のわかる文章を書きつづけることができるか、われながら覚束ない感じもする。
しかし、論理的な能力は衰えても、絵を描くことはできる。
つまり、物書きは歳をとるといつかは物書きをやめなければならないが、絵描きはいつまでも絵描きでいることができるのである。

玉村豊男さんの使った鉛筆の削りカスでも煎じて飲みたいです。
わたしも、細々とでいいから、絵も描きたいが、字も書いていたい。
贅沢いうと、一日中デスクに座っていなくても済む手段で、絵も字も一緒に表現できるような自分なりの形式を見つけられたらいいのだけど、そんなことを考えている暇があるならああ……。

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