「最高」は単に気分の表明である可能性

考えるきっかけはオプトイン/オプトアウトだった。消費者に対し選択的なアプローチを行うマーケティング手法なのでオプト(opt)~と呼ばれるわけだが、その綴りにおいて同じ語幹を共有している(ように見える。後述。)オプティマイズ(optimize)つまり最適化と意味上どんな繋がりがあるのか。

ふと気になり考えてみたが、どうもよくわからない。選び抜いたから最適化?などと語感だけで語源をこじつけるのはこういうとき危険だ。だいたい間違える。そこでまず辞書でoptimizeを引いてみたところその下の項目にoptimumがあり、

「ラテン語,bonus「よい」の補充最上級 optimus「最良の」の中性形名詞用法」(ランダムハウス英和辞典)

とのことであった。補充最上級。そんなのもあったなぁと勉学に励んでいた頃の記憶を辿りながら(すみません盛りました。励んでなかったです。)補充形で検索すると、あった。

原級、比較級、最上級の全ての語根が異なる事例が存在する。以下に男性単数主格形で例示する。 bonus 〈良い〉 → melior → optimus

(補充形 — Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%9C%E5%85%85%E5%BD%A2)

ウィキペディアの記述にあるように補充形は他の異形態と音韻的な共通性がないので綴りからは意味を類推できない。これらの言語現象は不規則変化と呼ばれたりもしてこの言い方のほうが馴染みがあるが、規則そのものが歴史的に変化する場合があるので厳密な話をするときには補充形と呼んだ方がよい(もっともこのストーリーが厳密というわけではない)。

ということで、形からするとoptimumは語幹を共有するoptから派生した語のように見えるにもかかわらず、その意味は良い(bonus)の最上級つまり最善であるということがわかる。

この先をさらに突っ込んで調べることもできるが後はラテン語の専門家に委ねた方がよさそうなので検索はこのあたりで打ち止めとしよう。というのは、ここで最善(optimum)からオプティミズム(optimism)へと私の思考がジャンプするからだ。

オプティミズムは言ってしまえば態度の問題であり、大雑把には世界とどのように向き合うかというメンタルの問題である。楽天主義という訳語には脳天気というニュアンスさえある。

例えば特定の音楽を聴いて「最高!」と最上級の表現を口走ったとしても、それはそれまでに聴いたどの音楽よりもすばらしいという意味ではなく、単にその瞬間における聴き手の気分を反映したものにすぎない。「最高」の乱発による言葉のインフレを気にする必要もないだろう。もとより我々の世界には大仰で過剰な物言いが溢れかえっている。「最高」が何らかのオプティミズムを必然的に含意するわけではないが、オプティミズムと関連付けることによってその発言の“無責任さ”を許容できるというものだ。また、以上は「最低」についても同様である(malus 〈悪い〉 → pēior → pessimusからのペシミズム)。

さて、それにしても。

最適な(optimal)、最適化(optimize)ということがまだ残っている。「最高」と違ってこれは酔っ払ってクラブで叫んで済む気分の問題ではない。数学にしろ工学にしろシラフの思考で突き詰めて考え抜く必要がある。あるいは、そう、もしあなたに関心があれば形而上学においてライプニッツがoptimalということで何を考えていたのか考えてみてもいい。Leibniz optimalで検索すれば適切なテキストに遭遇するだろう。ちなみに、数学や工学はともかく形而上学なんて考えていったいなんになるのか?という問いに対しては、そんなの知ったことか!というのが最適な回答である。

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