お値段28億ドル、Slack 「秘伝のタレ」

「小生意気だけど憎めない、みんなのロボット助手」であることを選んだ Slackが、どのようにして数十億ドル規模の市場を席巻したか

Haruo Nakayama
11 min readMay 18, 2015

「で、Slack はどうしてあんなにうまくいってるの?何かしら特別なこと、したんでしょ?」車載の Bluetooth スピーカーから声が響く。「なんであれ、彼らにしたのと同じことをして欲しいんだ。」電話で話していたのは、見込みクライアントである有名 SaaS プロバイダーの CEO。自社製品デザインの見直しをうちに頼みたいらしい。上述のような質問を受けたので、これまでに数えきれないほど繰り返してきた説明を彼にもすることにした。

実際のところ、過去一年間、毎日この質問をクライアントや投資家、デザイナー仲間から受けてきた。みんな「Slack 大成功の秘密」をなんとか探ろうとしていたわけだ。Slack は今ではすっかり世間を取り込んでしまったかのように思える。評価額は圧巻の28億ドル、何十万ものユーザー数をほこり、常識はずれの速度で成長中だ。

Slack に関する質問がどうして僕のところに来るかというと、それは MetaLab というデザイン事務所を経営しているから。この事務所のことを知っている人は少ないかもしれない。表舞台に出ることがあまりないからね。けれど、僕達がデザインしたサイトやサービスを誰でも一度は使ったことがあるはず、っていう自信はある。2013年も終わりに近づくころ、Slack から依頼を受けて、彼らが作った初期プロトタイプを製品レベルにまで作りこむことになった。ロゴ・マーケティング用のサイト・Web サービス用のサイトとモバイルアプリ、それらすべてをたった6週間で仕上げた。その後いくつか変更があったとはいえ、Slack の大半は MetaLab が納品したままの状態で、今も変わらず運営されている。

会社を立ち上げてから10年になるが、Slack は弊社最大の成功例だ。これまでにいくつもの大企業と仕事をしてきたけれど、それは間違いないと思う。Slack の現時点での評価額は28億ドルで、有料ユーザー数は20万人を超えているし、ありがたいことに使う人はみなデザインを絶賛してくれている。とはいえ、まさかこれほどうまくいくとは思っても見なかったけれど。

2013年7月、Stewart Butterfield からメールをもらった。彼の名前にはすぐにピンときた。僕が愛用している Flickr を生み出したのは彼だし(のちに Yahoo に売却。)、2人ともアメリカ北西部の太平洋沿いに住んでいたからね。彼がメールをくれたのは、ビッグニュースがふたつあったから。ひとつは Glitch を閉鎖するというニュース(Glitch は Butterfield が2009年から開発してきたゲーム。)で、もうひとつは彼が新しいプロジェクトに着手した、というニュース。そのメールで Butterfield は、新たに始めたグループチャットアプリのデザインを手伝って欲しい、と言ってきた。

思わずうなったよ。MetaLab は当時 Campfire のヘビーユーザーで、Campfire 以降出てきた類似プロダクトもかなり試していたんだけど、こういったサービスにはもう改善すべき点がないと感じていた。市場競争が激しい分野だし、他より Butterfield のプロダクトを目立たせるのは至難の業だろうな、と。ただ、彼と一緒に仕事ができるのはテンションが上がる話だから、Campfire に感じてた不満を解消するのもいいかもな、とも思うようになった。そんなわけで、彼からのオファーを受け、キックオフの場も設け、「さぁやるぞ!」と気合を入れたわけだ。

初日、これまで見せてもらえなかったプロトタイプを見せてもらった。出来たてほやほやのやつをね。まるで IRC をブラウザーに押し込んだようなもので、飾り気もなくそっけなかった。我々は、6週間かけてそれを MetaLab の最高傑作と呼べるサービスに仕立てあげた。ブラウザーに押し込まれた IRC をみんなが大好きなあの Slack にどうやって変身させたか、これから説明していこう。

初期のデザイン案あれこれ(2013)

物事がどうしてうまくいったのかをあとから振り返るのは、水の味を説明するのに似ているようにも思う。どちらもすごく難しい。MetaLab では手順を重視しておらず、ただただ手を動かしてデザインしていくことを大切にしている。何度もそれを繰り返して、これだっ!という何かを見つけるんだ。Slack も同じように進めた。特別な手順があったわけじゃない。ただ、いま思えば、Slack をここまでの成功に導いたキーポイントはいくつかあるように思う。

Slack を使っている人の話を聞くと、「Slack は楽しい」という意見をよく耳にする。使っていても仕事っぽい感じがしないってことだ。さぼってるような気にすらなってくる。Slack を使って仕事を片付けているのに、だ。ところが、サービスの裏側を見てみると、他のチャットアプリと何ら違いはないことがよくわかる。チャットルームを作って、メンバーを招待し、ファイルを共有したり、グループチャットをしたり相手を選んでメッセージを送ったりと、何も特別なことはない。では、Slack のどこが特別なのだろう。キーポイントは3つだ。

ブランドを煮詰めているところ(2013)

見た目が違う

競争が厳しい分野で存在感を出すために、なんとかして目立つ必要があった。法人用ソフトウェアは、その大半が70年代に流行ったプロム(訳注:高校卒業記念ダンスパーティ)用の安物スーツみたいな見た目だ(当時は誰もが控えめの青かグレーのスーツを着てた)。だから、Slack の見た目は、ロゴも含めカラフルな紙吹雪をばらまいたような配色にすることにした。青・黄・紫・緑を色鮮やかに散りばめたんだ。まるでテレビゲームのような配色で、法人用の協業支援ソフトウェアとは似てもつかないものだった。

このスクリーンショットは左が HipChat で右が Slack。

どっちを使ってみたい?できることはまったく同じだけど、片方はつまらない感じがして、もう一方はカラフルで遊び心満載だ。何が違いを生んでるかって?鮮やかな色使いに曲線がきれいなゴシック体のフォント、かわいいアイコンにあちこちに表示される絵文字だよ。

使い心地が違う

Slack には、思わずニヤッとしてしまうような挙動をこれでもかと詰め込んだ。ロゴが表示されるときのカラフルなアニメーション、画面最上部からススッと降りてくるモーダルダイアログの動き、トランプを切っているかのようなチーム切り替えの動作。このプロダクトではそのすべてが、画面をところ狭しと楽しそうに飛び回っているかのようになっている。画面上で起こっていることを単にわかりやすくするだけでなく、ユーザーがホッと表情をゆるめてくれるように、こういった挙動はデザインされている。

まるでテレビゲームのような配色で、
法人用の協業支援ソフトウェアとは似てもつかないものだった。」

誰かの家にお邪魔したとき、「なに、この安っぽさ!?」と思ったことはないかな?建築の専門家なら、何がまずいのかをあれこれ教えてくれるだろう。不揃いの壁材・継ぎ目の目立つ硬木の床材・板張りのドア・安物機器の数々……でも、大抵の人はただただ直感的に反応する。だから、優れた家と同様にすぐれたソフトウェアに不可欠なのは、細やかで満足のいく挙動をいくつもユーザーに返していくことだ。モバイルアプリの画面遷移がしっかりと作りこまれていれば、重厚なオーク材ドアに取り付けられたきちっとしたドアノブを使った時のような心地よさをユーザーに与えてくれる。Slack という家に実際に触れてみることはできないけれど、その出来栄えに思わず感嘆の声が漏れてしまう。使っていてほんとうに楽しい。そう、Slack の使い心地はまさに優れた家のそれだ。

雰囲気が違う

Slack の違いは見た目や使い心地に留まらない。メッセージのひとつひとつにも工夫が凝らしてある。Slack に表示されるメッセージを、遊び場だと捉えているからだ。競合サービスなら読み込み中のアニメーションが表示されるであろう箇所には、クスっとくるような一文を表示する。「急いでデザートを作らなきゃいけないって?オレオを床にばらまいて、動物みたいにそれにむさぼりつけばいいよ。」こんな具合で、ちょっとした楽しさがあちこちに散りばめてある。そうでもしないと一日退屈でしかたないだろ?Slack は冗談好きなロボット助手のように振る舞う。そうしないと、ありふれた法人向けチャットツールに成り下がってしまうから。後者が「2001年宇宙の旅」の HAL9000 だとすれば、前者は「インターステラー」の TARS といっていいだろう。

Slackの場合:

TARS: やあ。ロボットの奴隷になった気分は?

競合サービスの場合:

HAL9000: たしかにここしばらく、わたしの判断にはいい加減のところがあった。だが正常にもどることは確約していい。この任務には、わたしは絶対の自信を持っているし……それに、きみを助けたいんだ。

Slack の Twitter も、絵文字に夢中なお笑い芸人といったほうが正確で、とても数十億ドル規模のソフトウェア企業のものとは思えない。

人は、何かれ構わず擬人化してしまう。ペットはもちろん、無生物だってお構いなしだ。車を見ると「こっちに笑いかけてくれている」ように感じるし、電灯があると「なんか寂しそう」なんて思ったりもする。同じように、Slack の丸っこくてカラフルな UI、楽しい挙動の数々、クスっとくる文章のそれぞれが相重なって、ひとつの個性が生まれる。そして、その個性は強烈な印象をユーザーに与えてくれる。みんながそれを大切に思うようになり、やがて誰かに教えたくなるのだ。その感情は同僚に対して抱く類のもので、決して便利なツールに対するものではない。

「Slack は冗談好きなロボット助手のように振る舞う。そうしないと、
ありふれた法人向けチャットツールに成り下がってしまうから。」

子供のころ、White Spot というチェーンのハンバーガー屋さんが大好きだった。チェーンの始まりは野球場にあったちっぽけな屋台だったけど、その後85年かけてカナダ中に店舗がある巨大チェーンに成長した。成功の秘訣は「Triple-O」と呼ばれる秘伝のタレ。これが全部のバーガーに使われていた。

当時はよく両親に「White Spot に行きたいよぉ」とせがんだもんさ。毎日お腹いっぱい食べていた家庭の味を差し置いてね。だけど、父親に衝撃の事実を告げられて、そんな日々も終わってしまう。「家でハンバーガー作っちゃえばいいんだよ。あのソース、マヨネーズとケチャップにレリッシュを少し入れれば作れるよ?」。そこで、家でハンバーガーを作ってみたら事実その通り。秘伝のタレとされていたものは、どこでも手に入る調味料を混ぜあわせただけのものだったことがわかった。誰にでも作れるけれど、そのことに気付いていたり、実際にやってみる人はほとんどいなかったわけだ。誰もがみな、「さすが White Spot 秘伝のタレ!」と思い込んでいた。

Slack 秘伝のタレも似たようなものだ。もちろん、いくつもある材料をちゃんと配合するのは難しい。けれど、Slack の機能で HipChat や Campfire に実装不可能なものはなにもないんだ。一皮むいてしまえばどれも似たような法人向けのチャットツールだけれど、Slack は使っていて楽しい。そのおかげで、Slack には「特別な出会い」のようなものが感じられる。まさに TARS であって、HAL9000 とは違うんだ。

ここ数ヶ月で、競合サービスもそのことに気付いてきたらしい。いずれも気の利いた文章をサイト上で使うようになったし、ゴリゴリとデザインをいじってはいる。ただ、伯父がマカレナに挑戦してるような感じではある。手遅れ感が否めないんだ。お気に入りのロボット助手は2人もいらない。Slack が人気を独り占めしちゃったからね。

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Haruo Nakayama

ex-Medium Japan translator. Trying hard not to get “lost in translation”. 元Medium Japan翻訳担当。