明確に目標を持ったところから物事は動き出す。富士山挑戦者の言葉から。

もうすぐ夏本番。毎年といっていいほど、職場で聞こえてくるのが、「富士山に登るんだ」という会話です。

登山靴は買ったほうがいいよね?酸素は持っていったほうがいいのかな?水はどのぐらい持っていくんだろう?予行演習として小さな山を登っておいたほうがいいのかな?

ときには、「えっ?登山って特別に道具を準備する必要があるんですか?」という声も。

いずれにしても、富士山という目標のために、多かれ少なかれ準備をして臨みます。その目はどれも輝いています。


以前とあるメルマガで、「知らないうちに富士山に登った人はいない」という内容の記事を見ました。

スカイツリーなどは、それこそフラッと近くに立ち寄ったから登ってみた、ということはありえます。

でも、富士山は、フラッと登るレベルのものではありません。

そこには、「富士山に登るぞ!」という明確な意思が必要なのです。


僕たちが描く夢や理想像。

それは、スカイツリーのようにフラッと登れるものばかりで満足すればそれはそれでいいと思うのですが、

ときにはデッカい夢や理想も掲げたくなります。せっかくの一度きりの人生ですからね。

となると、やはり富士山に登るときのように、なんとなく日々を過ごしていれば、いつか富士山に登れていたということはなく、明確に「富士山に登るぞ!」という意思が必要になります。

そして、登ると決めた瞬間から、どんな準備が必要なのか、どんなルートが必要なのか、一人でいくのか複数人でいくのか、どんなリスクがあるのか、とあらゆるものが見え始めてきます。


日々の生活をなんとなく過ごすのではなく、ときにデッカい夢を見て、「○○をするぞ!」「○○になるぞ!」という強い意思を持ってみたい。

富士山に登ろうとしている人の会話を聞いて、僕の中では別の富士山を夢描くのでした。

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