ちかいうちに、今僕らが触れているユーザーインターフェースは消滅する

生まれたときには電卓があったし、テレビのガチャガチャ動かすチャンネル、つまみ、電話のダイヤル、そして車のハンドル。
こうしたユーザーインターフェスが、やがてパソコンの画面の中のUIへと変わっていった。

だがそろそろ、こうした「ユーザインターフェイスそのもの」が消えていこうとしている。

声になる。しゃべる。そして実行される。しかも曖昧なお願いでいい。今までなら自分の頭の中でフローを組み立てて、そして機械やパソコンでカチカチやっていた作業が、ひとこと言うだけで勝手にやってくれる

Siriはその代表格だけど、まだまだよちよち歩きだ。人間に「あれやっておいて」と曖昧にざっくりお願いして、人間がその意味を深いところで汲み取ってホスピタリティを感じさせてくれるようなところまでは行っていない。
しかしごく近い将来、人からの曖昧で不安定なホスピタリティよりも、AIによるホスピタリティにより深く感謝し、安心を感じる時代が来ることは、それが良かろうと悪かろうと遠くなく実現する。

さらに「やろうとする前に終わってた」といったことも起こってくる。

例えばアマゾンでは、カゴに入れた時点で購入されていなくても商品の発送が始まるシステムを持っている。欲しがるだろうな、というだけで近所まで持ってきてしまうのだ。これを最適化していくと、そう遠くない未来、ちょっと怖い話だけど「人間が自分でこれをしたいと気づく前にAIが気付いてやってくれている」という状況がごく当たり前になる。

車の運転も、ハンドルがなくなる。すでにテスラが日本以外の各国で提供開始しているように、オートパイロット運転がどんどん実用化されるのは間違いない。
なにしろ、人間の運転なんて危なくて仕方ない。一方の機械は眠くならない。倫理的なジレンマはあるものの、事故を最小限に抑える能力を持っていて、人間にとって一瞬で回避不可能なことでも、機械の処理能力から見れば、コンマ数秒の世界は永遠に近い。

ハンドルも消え、多くのボタンも消え、みえなくなった世界。

そこでは「自分が何をしたいのか」ということが重要になる。
僕らはそんな世界に住んだことがない。そして人間は不思議なもので、そういうのを幸せと感じない。程よい面倒と、程よい負荷がかかってこその快適さなのだ。

その頃の僕らは、きっとちょっとしたことでイライラする。
やるべきことが少ないから、小さなトラブルが大きく感じる。
どうでもいいことで大きな感情が動き、どうでもいいことが大きな出来事に感じてしまうようになってしまうだろう。

・・・と書いたところまでで、気付いた人もいると思うけど、それはもうすでに現時点で始まっている。どうでもいいことに、大きく感情が動く世界に僕らは生きている。
「炎上」なんてまさにそうだよね。本当に炎上してるわけじゃなくて、ネットのbit上でちょっと揉めてるだけで大騒ぎ。昔の人があれを見たらどう思うのかな。

そして、そんなこんなで、UIは消滅する。
超便利な世界がやってくる。

そのときに備えて、僕らは何をすべきか?

その答えはもう出ている。
教養を身につけるしかないのだ。
なんて当たり前の結論だろう!でもそれしかないんだよなぁ。

これからの時代も人間らしく生きたいなら、教養を身につけるしかない。超便利な世界の中で、自分を見失わずに生きていきたいなら、鈍感ではいけない。受け身ではいけない。
いろいろなことを感じられる感受性が必要不可欠で、何が自分にとって大切なのかを思考し、自分で決めれる人に成長しなければいけない。

そういうことを考えるには、文学や芸術に触れたりするしかないでしょ?
ちょっと名著をAmazonでポチってくるわ。

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