みなさん,春ですね!春眠暁を覚えず.でも,不眠でお困りの方もいらっしゃるかもしれません.私は17歳ごろから10年近く不眠でした.でも,今は日付が変わる前には眠り,起きたい時間にタイマーなしで起き上がれます.人間,こんなに変わるんですね!その変化をもたらした眠るコツをご紹介します.睡眠の質を計測アプリで測定する実験を半年間実施し効果が見られた方法です.書籍やYouTubeでいろいろ紹介されていますから,ご存じの方も多いかもしれません.

1.体温の低下を利用する
多くの人は毎晩1度はあくびをすると思うのですが,いつごろあくびが出ますか.入浴して2時間後くらいではないでしょうか.体温を上げて,下がってきたら,あくびが出て眠くなります.このタイミングで寝てしまえばいいのです.なので,就寝目標時間を決めておいて,その2時間前に入浴すれば,まず寝付けます.また,昔から頭寒足熱といわれるように,どんなに暑い夜でも靴下を履いて床に就くと,頭と末梢の温度差が保てるのでよく眠れます.

2.酸素・抗酸化・睡眠物質
脳に酸素が行き渡ると,その夜はよく眠れます.子供の時,外でよく遊んだ日はぐっすり眠れたでしょう.軽い運動などで脳を適度に酸素で満たすのです.また,昼食後に眠くなる時,お昼に糖質を多く摂っていませんか.これを利用し夕食に糖質を少し多めに摂ると,その夜は眠れます.これらは同じこと.日中の脳活動で酸化した物質をもとに,抗酸化物質が睡眠物質を作るのです.私は抗酸化物質とセロトニンを含むキウイフルーツを夕食後に食べています.

3.整体学の教科書から
これは騙されたと思って毎夜やっています.まずベッドで仰向けになります.そして,足裏を天井に向けて両脚を垂直に持ち上げます.2〜3秒経過後,上げた両脚をばたんともとに戻します.この足上げを3回ほど行うだけで,その夜の深い睡眠を保証します.これは整体の教科書に載っているらしく,整体師は誰でも知っているそうです.この仕組みには理論があるわけではないようですが,これをやった日はやらなかった日より不思議と睡眠が深いです.

4.夜のデジタルをやめる
かつて「夜型創造性」説がありました.朝型より夜型の方が創造的になるとする説です.今でも信じている人もいるでしょうし,決着がついたという話も聞きません.でも,これはディスプレイのなかった時代の話で,ブルーライトにあたって仕事する現代では,事情が異なるようです.夜は本や音楽にとどめておいた方がよさそう.本「眠られぬ夜のために」を読んだ夜は必ず眠れています.枕元では YouTubeで「睡眠用BGM」をかけ,数分で眠ってます.

5.睡眠薬を決して飲まない
睡眠薬というのは,よく眠れなくなる薬のことです.なぜなら,脳活動をいわば強制的に遮断するからです.ロヒプノールなどのベンゾジアゼピン系の睡眠薬で不自然な睡眠を繰り返すと,日中も脳活動が狂います.これは体験談です.よく眠れる薬に頼るより,よく眠れる習慣を身につけたほうが,よほどよく眠れるようになります.ただ,商業的には,健康的に眠れる睡眠薬の開発も進んでいて,将来は手軽に眠れる処方が確立される可能性はあります.

最後に
私が深い睡眠をとるために大事にしていることは,プラセボ効果です.これをすれば深く眠れる,すぐ眠れる,翌朝疲れが消えている,と信じて寝入ることです.有名な「リベットの実験」から,意志より脳神経活動の方が先に決まるのです.寝ようと思うより,眠れるものだと信じるほうが,効果的なのです.こう考えると,キリスト信仰もこれと少し似ているのかなと思います.自分で何かしようと思うより,神さまがついているからうまくいくと信じるほうが,実際うまくいく.少しでも多くの人が不眠から立ち直り,いつか信仰の人生に迎えられるよう祈って今晩も眠ります.

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朝早く起き身支度をし歩きに出かける.行き先は教会.門を開錠するとき,自分はこの教会でこの世の務めを終えるのだと感じるが,これは些かまだ大袈裟な思いかもしれない.施錠してある会堂に勝手口から入る.箒で玄関先の落ち葉を掃く.この教会で私の役割ははっきり与えられた.徒歩圏内の教会に通うことは数年来の念願だった.なぜなら奉仕ができるから.玄関掃きは大先達の兄弟から引き継いだ大切な仕事である. 終わったら会堂に入り,空気を入れ替える.時に冷暖房や照明を調整する.食堂の隅の卓や棚を少し整理する.先週と変わったところは今日までに使われたところ.どんな働きがあったのだろう.落ち着くと本棚を見遣る.前任牧師から引き継がれた本や寄贈された本が並ぶ.時計に目をやり時間があると思うと本を手に取り読んでみる.傍線がついていたり余白に書き込みがある.先達もこの言葉を同じように考えていたのだろうか. 礼拝の時刻が近づく.兄姉が着々と会堂に集められる.互いに挨拶を交わし,清々しい気持ちになる.約束した持参品を交換する.きょうも礼拝後は爽やかな気分になるだろう,そしていくつかの素晴らしい出来事が加わり豊かな1日になる予感が募る.ふと以前の教会で時折とった失礼な言動,つい口にしてしまった人を傷つける言葉,そのうちのいくつかを自覚し思い出す.罪を覚える.でも神さまは許して洗い流してくださったと信じている.

朝早く起き身支度をし歩きに出かける.行き先は教会.門を開錠するとき,自分はこの教会でこの世の務めを終えるのだと感じるが,これは些かまだ大袈裟な思いかもしれない.施錠してある会堂に勝手口から入る.箒で玄関先の落ち葉を掃く.この教会で私の役割ははっきり与えられた.徒歩圏内の教会に通うことは数年来の念願だった.なぜなら奉仕ができるから.玄関掃きは大先達の兄弟から引き継いだ大切な仕事である.

終わったら会堂に入り,空気を入れ替える.時に冷暖房や照明を調整する.食堂の隅の卓や棚を少し整理する.先週と変わったところは今日までに使われたところ.どんな働きがあったのだろう.落ち着くと本棚を見遣る.前任牧師から引き継がれた本や寄贈された本が並ぶ.時計に目をやり時間があると思うと本を手に取り読んでみる.傍線がついていたり余白に書き込みがある.先達もこの言葉を同じように考えていたのだろうか.

礼拝の時刻が近づく.兄姉が着々と会堂に集められる.互いに挨拶を交わし,清々しい気持ちになる.約束した持参品を交換する.きょうも礼拝後は爽やかな気分になるだろう,そしていくつかの素晴らしい出来事が加わり豊かな1日になる予感が募る.ふと以前の教会で時折とった失礼な言動,つい口にしてしまった人を傷つける言葉,そのうちのいくつかを自覚し思い出す.罪を覚える.でも神さまは許して洗い流してくださったと信じている.

礼拝開始.賛美は合唱団での練習により次第に思うように声が出る.モニタを併用した説教が頭に入る.主の祈りが自分を素直にする.神さまの思うように生きることが最も自由な生き方だと最近しばしば確信する.神さまが成すままに物事は成るのだから.礼拝後,兄姉にまみえた喜びを分かち合う.そして夕べまで行動を共にする.その大きな恵みといったら!こうして日曜は暮れ,新たな週が用意され,聖句を読んで祈り考える個人的な生活へ戻っていく.

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私が歩くことが好きであるのは,歩く時間が考える時間であるからだ.いつも自宅を出発する前は頭をある考えに占められていることが多く,それを流し去るために歩き出す,そういう面がある.歩き終える頃には問題は解消しており記録できるまでになっている.歩く間に脳の毛細血管に酸素が行き渡り,走ると多少なりとも脳が物理的に動き,思考がいい具合に中断したり進んだりする.疑問が出たら歩きを止めてスマホで検索する. この思考と脳の運動の関係を,主イエスは知っていた.悩み苦しむ人に歩くことが有効であると教えた主イエス(「立ちて歩け」).考えを広げるために歩くことの効果を知っていた主イエス(山上の説教からの遊説).自己や知己や自然と対話して歩く豊かさを楽しんだ主イエス(エマオ).アイデアが尊ばれがちな世の中だけど,アイデアの生産方法を主は先立って実践していた.主は歩くことが好き,だからこそ,どこにあっても共にいる. 歩くときに私が好むことは,音楽をかけることである.とはいえイヤホンをするのではない.耳には何もつけない.道路を走る車の音を聞き入れながら,頭で旋律を繰り返し反芻するのである.この訓練を習慣にしている.私の溺愛するゴールドベルク変奏曲は,正確に反芻しようと思ったら一生かかると思われるほど多彩なので,生涯歩くに困らないだろう.また,最近は思い余って歌いつつ歩くことも増えた.

私が歩くことが好きであるのは,歩く時間が考える時間であるからだ.いつも自宅を出発する前は頭をある考えに占められていることが多く,それを流し去るために歩き出す,そういう面がある.歩き終える頃には問題は解消しており記録できるまでになっている.歩く間に脳の毛細血管に酸素が行き渡り,走ると多少なりとも脳が物理的に動き,思考がいい具合に中断したり進んだりする.疑問が出たら歩きを止めてスマホで検索する.

この思考と脳の運動の関係を,主イエスは知っていた.悩み苦しむ人に歩くことが有効であると教えた主イエス(「立ちて歩け」).考えを広げるために歩くことの効果を知っていた主イエス(山上の説教からの遊説).自己や知己や自然と対話して歩く豊かさを楽しんだ主イエス(エマオ).アイデアが尊ばれがちな世の中だけど,アイデアの生産方法を主は先立って実践していた.主は歩くことが好き,だからこそ,どこにあっても共にいる.

歩くときに私が好むことは,音楽をかけることである.とはいえイヤホンをするのではない.耳には何もつけない.道路を走る車の音を聞き入れながら,頭で旋律を繰り返し反芻するのである.この訓練を習慣にしている.私の溺愛するゴールドベルク変奏曲は,正確に反芻しようと思ったら一生かかると思われるほど多彩なので,生涯歩くに困らないだろう.また,最近は思い余って歌いつつ歩くことも増えた.

歩くことは,自分の意識と身体との対話になる.街と自分つまり透明な意識と常に揺れ動く身体とが,自分の日常を形成していたことを知る.ストレスは意識や身体の形を変形させる力であって,平常の形に戻ればストレスは消えているといえる.自分を正常な形に戻すには,普段と異なる動き,一番自然な自分だと感じられる時の動きをとり続ければ良い.そうすれば自分の「定形」がわかり,ストレスがなくなった時の形に戻れる.

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(カレル・チャペック作 / 1926年) だいぶ前にプラハの郊外へ飛行機を見に行った.初めてだったので恐怖を感じつつ長いこと待った.やがて大きな躯体が走行を始め,実際に離陸し100mほど上昇した時,思わず陽気な声で叫び,空を飛ぶ奇跡を讃嘆した. 今や毎日わが家の上空を時には10機もの飛行機が爆音を鳴らして飛び交っている.青空や曇りがちの空の下を飛行場から飛行場へ往復しているが,遠くからでも気づく音量で,しかも軽々と運行しているので,この騒音が躯体のどこから撒き散らされているか不思議なほど.たった今,1機が果てのない快晴の空を明るく光り,夢のように軽く,唸って泳いでいるのが見える.しかし街の人々も農園の労働者も頭を上げようとしない.昨日も一昨年にもすでに見たと考え,空を飛ぶ奇跡を喜んだりしないし,歓喜で帽子を放り投げたりしない.空を飛ぶことが奇跡だったのは飛び方がうまくなかった時代のことだ.技術が進歩しうまく飛ぶようになると奇跡に思われない.私が幼児の時,最初の2歩を踏み進むと,母は奇跡で祝福すべき偉業だと考えてくれた.しかし,大きくなって一晩中ダンスに熱中しても母には大事件と思われなかった.神が最初の人間アダムを創造した時,天使の合唱団から観覧料を集めることだってできた.天使たちはアダムが2本足で歩き,しかも話をするという奇跡を見るため集まった.今日,私は終日歩きまわり話しもできるが,誰も不思議に思わない.ただ,私は個人的に飛行機が轟音を出している様子を思わず確認しようと首を回してしまう.人類は金属で鷲か鷹か不死鳥か,鳥を作り出し,翼をいっぱいに広げ大空を舞っている.そして..

(カレル・チャペック作 / 1926年)

だいぶ前にプラハの郊外へ飛行機を見に行った.初めてだったので恐怖を感じつつ長いこと待った.やがて大きな躯体が走行を始め,実際に離陸し100mほど上昇した時,思わず陽気な声で叫び,空を飛ぶ奇跡を讃嘆した.

今や毎日わが家の上空を時には10機もの飛行機が爆音を鳴らして飛び交っている.青空や曇りがちの空の下を飛行場から飛行場へ往復しているが,遠くからでも気づく音量で,しかも軽々と運行しているので,この騒音が躯体のどこから撒き散らされているか不思議なほど.たった今,1機が果てのない快晴の空を明るく光り,夢のように軽く,唸って泳いでいるのが見える.しかし街の人々も農園の労働者も頭を上げようとしない.昨日も一昨年にもすでに見たと考え,空を飛ぶ奇跡を喜んだりしないし,歓喜で帽子を放り投げたりしない.空を飛ぶことが奇跡だったのは飛び方がうまくなかった時代のことだ.技術が進歩しうまく飛ぶようになると奇跡に思われない.私が幼児の時,最初の2歩を踏み進むと,母は奇跡で祝福すべき偉業だと考えてくれた.しかし,大きくなって一晩中ダンスに熱中しても母には大事件と思われなかった.神が最初の人間アダムを創造した時,天使の合唱団から観覧料を集めることだってできた.天使たちはアダムが2本足で歩き,しかも話をするという奇跡を見るため集まった.今日,私は終日歩きまわり話しもできるが,誰も不思議に思わない.ただ,私は個人的に飛行機が轟音を出している様子を思わず確認しようと首を回してしまう.人類は金属で鷲か鷹か不死鳥か,鳥を作り出し,翼をいっぱいに広げ大空を舞っている.そして..

改めて注意すると,飛行機は実のところ鳥には似ていない.空を飛ぶことを除けば全く似ていない.雪をかぶった小枝に止まる燕ともほとんど似ていない.飛行機には翼があるが,プラハ城の館にも翼はある.けれども,プラハ城は鶏にも鴎にも似ていない.魚雷が鱒に似ていないのと同じだ.もし人間が金属で鳥を作ろうと考えていたら,まだ空を飛べていなかったろうと思う.人間が鳥のように飛ぶことを望んだのは確かだけど,鳥のように飛ぶには別のことをしなければならなかった.プロペラを作らねばならなかった.水面下を魚のように泳ぐためには,鰭の代わりにスクリューと発動機を作らねばならなかった.自然のわざを目指すためには,自然とは全く異なるものを作り始めねばならなかった.発明家の逆説と奇跡である.

初期の人間は洞窟で生活していたが,洞窟が不十分になると,地中に人工的に洞窟を穿つのではなく,地上に人工の洞窟つまり家を建て始めた.身を守るため鋭い牙や硬い角を持ちたいと思った時,狩猟刀や槍を,口の中や額ではなく,手に持てるようにした.人間が自然にうまく追いつく場合のほとんどは自然と異なることを始める場合である.人間が蝶や雀のように羽を持ちたいと考えては,空を飛ぶことに成功しなかっただろう.地上をもっと早く移動したいと思った時,鹿や馬のような4本足を作らずに車輪を作った.自分の歯では不十分になったので,空を飛び筒に入れて運べる矢を発明した.ロープを作る場合は,蜘蛛が糸を作る方向とは逆方向に織っていった.人間が蜘蛛の真似をしたいと思ったら織機は発明できなかったろう.機械にまつわる人間の幻想は全て自然と異なる結果を生み,そのほとんどが自然と正反対の方法で達成される.

しかし,今でも人間は,発明品の仕組みを表現する時,自然物と比較し喩えることが多い.飛行機を鳥と呼び,蒸気機関車を精悍な馬と呼び,船を海の怪物と称する.人間はさまざまな発明を成すが,発明を詳しく把握するのが得意ではない.今この書斎から空に消えゆく飛行機をみると,飛んでいく鳥ではなく,空を飛んでいるあの機械が,もっとずっと不思議なものに見える.鳥が空を飛ぶのは,人間が空を飛ぶことほど驚くことではないからである.

(2021/10/01 私訳)

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運とは何だろう.空間であろう.いや,隙間であろう.あるいは「運」は運動の運だから,物事が流れる動きのことだろう.運は流れなので,隙間が空いていると良い.モノが隙間なく詰まっていたり,情報で頭をいっぱいにしていては,流れる余地があろうか.情報なら流すことができる.考えることや書き出すことには,情報を流す力があるだろう.では,モノを流すにはどうすれば良いか.掃除である. お金が集まってくるには清潔にすると良いと言われる.玄関やトイレを掃除しましょうと言われている.なぜか.空間に隙間ができるからである.敷き詰めるのではなく,まとめれば,さらに物事が入る余地ができるので,実際に入ってくる.運は欠けたところに入ってくるので,わざと欠かすことでそこに物事が入ってくるようになる.収納を買うと物が増えることと同じである. 掃除をするとエントロピーが下がる.つまり乱雑さが減る.気をつけなければ物事は散らかるほうへ動く.しかし,そこに手入れすることで,乱れた状態が整頓される.その整頓こそ掃除である.ところで,エントロピーを常に下げている組織がある.人体である.人体はエントロピーを下げるために食べている.食事するのが喜びであるのは,エントロピーを下げる行為だから.エントロピーを下げることは人間の喜びである. 初めに戻る.運とは何か.空間に隙間があるから物が流入してくる.頭が空っぽだから情報が入ってくる.運とは「物事が入ってくる」ということ.空だからそこを埋めようとする.それが運の良さである.幸運な人は空隙を作るのがうまい.エントロピーが下がる喜びを,生きる喜びを,本能で知っている.掃除や整理すると心がすっきりし,整然と並んだ棚を見るだけで安らぐのは,その本能を満たすからである.そう,御託を並べたけど,明日から大掃除.がんばろう.

運とは何だろう.空間であろう.いや,隙間であろう.あるいは「運」は運動の運だから,物事が流れる動きのことだろう.運は流れなので,隙間が空いていると良い.モノが隙間なく詰まっていたり,情報で頭をいっぱいにしていては,流れる余地があろうか.情報なら流すことができる.考えることや書き出すことには,情報を流す力があるだろう.では,モノを流すにはどうすれば良いか.掃除である.

お金が集まってくるには清潔にすると良いと言われる.玄関やトイレを掃除しましょうと言われている.なぜか.空間に隙間ができるからである.敷き詰めるのではなく,まとめれば,さらに物事が入る余地ができるので,実際に入ってくる.運は欠けたところに入ってくるので,わざと欠かすことでそこに物事が入ってくるようになる.収納を買うと物が増えることと同じである.

掃除をするとエントロピーが下がる.つまり乱雑さが減る.気をつけなければ物事は散らかるほうへ動く.しかし,そこに手入れすることで,乱れた状態が整頓される.その整頓こそ掃除である.ところで,エントロピーを常に下げている組織がある.人体である.人体はエントロピーを下げるために食べている.食事するのが喜びであるのは,エントロピーを下げる行為だから.エントロピーを下げることは人間の喜びである.

初めに戻る.運とは何か.空間に隙間があるから物が流入してくる.頭が空っぽだから情報が入ってくる.運とは「物事が入ってくる」ということ.空だからそこを埋めようとする.それが運の良さである.幸運な人は空隙を作るのがうまい.エントロピーが下がる喜びを,生きる喜びを,本能で知っている.掃除や整理すると心がすっきりし,整然と並んだ棚を見るだけで安らぐのは,その本能を満たすからである.そう,御託を並べたけど,明日から大掃除.がんばろう.

Dec 21, 2021

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絃一郎は空を見る。今朝も神が雲で動画を流している。書斎の窓際に佇む。見飽きないその造形を視線が 擦(なぞ)る。 「 嗚(あー)。」 施錠を 解(ほど)き、湿った外気を迎え入れ、夜分の残響を開放する。桟を沿い、 矮(ちい)さな蜘蛛が安楽椅子の物陰に忍び込む。滋養を 冀(のぞ)めぬ室内で 玩(あじ)わうだろう絶望が、某の再訪を断る善策である。 絃一郎は、普段の 路(るー) 因(ちん)を守っている。現代の空間にあり乍ら、世と等しくあることに固執しようとは思わず、却って自由を虚しくし、自ずから機械と似た者となっている。人間は 匿(かく)れた 枢(からくり)の姿で生を享け、秘密を自覚するかに拘らずそれを 展(ひろ)げ、此世の際に至るまで、それも永遠の父なる神の御前に 見(まみ)えるまで、 型(かた) 々(かた)と動作する。このため神は己の作品を 憫(あわ)れに思い、 或(わく) 女(じょ)に蛇を遣わし、その手に木の実を与えられたのである。こうして人間はすべて神の下で只管に動き回り、漸う発見が続く科学の原理が「我々は機械である」と明白に 告(の)べるにつれ、父なる神の御心を 虔(かんが)えるのである。どうして、あなたは人間が精巧な機械であることを私たちに隠しているのか。どうして、あなたは私たちの作る機械と私たち自身とを精巧にも懸け 隔(はな)すのか。 「私たちが精巧な意味で自身を機械であると自覚せずに済むこと、この素朴な自己否認こそ、あなたの与えたもう自由の 原(みなもと)なのでしょうか。」 絃一郎は机の脇に据える文庫に啓かれ、不図する間もなく鍵指に 凭(まか)せ、検索機関の白枠に「主の創造 目的」と打ち入れた。回答は何れも平板で臆奥に迫らず、考えるほかないことを悟るのみである。 「もっと考えなさい。考えないとすぐ阿呆になるわよ。」 嘗て母に酸吻されたこの諭しが、絃一郎の記憶を 過(よぎ)ることは珍しくなった。絃一郎も考える 快(たの)しみに満ちて暮らしている。 允(まさ)か、自分が諦めと希望を巡り苦悩する生涯を撰びとるとは存外であり、幸運でもある。 街では、港湾地区に賭博場を建設する賛否で、来る選挙の模様が揺れている。道々の商店に反対の旨の張紙が連なり、駅前での演説に通行人が集る。それほど熱い主題の政策である。博打で一度破綻した境遇から立ち直った勇敢な男の講演会を主催する行政だから、首長も了解している。人間はどんなに謙遜して感謝しても、また 采(さいころ)を振ろうとしてしまうほど弱いのであると。確率論の提唱者も、人間を深々と知悉していた。二分の一の魔力に憑かれずに誰が 生(い)られるだろうか。それほどに 剛(つよ)く神は人を造ってはいない。何故に、数学に対し謙遜にさせるために。数学は神を繙ける言語であるから。

械悩
械悩

絃一郎は空を見る。今朝も神が雲で動画を流している。書斎の窓際に佇む。見飽きないその造形を視線が 擦(なぞ)る。
「 嗚(あー)。」
施錠を 解(ほど)き、湿った外気を迎え入れ、夜分の残響を開放する。桟を沿い、 矮(ちい)さな蜘蛛が安楽椅子の物陰に忍び込む。滋養を 冀(のぞ)めぬ室内で 玩(あじ)わうだろう絶望が、某の再訪を断る善策である。
絃一郎は、普段の 路(るー) 因(ちん)を守っている。現代の空間にあり乍ら、世と等しくあることに固執しようとは思わず、却って自由を虚しくし、自ずから機械と似た者となっている。人間は 匿(かく)れた 枢(からくり)の姿で生を享け、秘密を自覚するかに拘らずそれを 展(ひろ)げ、此世の際に至るまで、それも永遠の父なる神の御前に 見(まみ)えるまで、 型(かた) 々(かた)と動作する。このため神は己の作品を 憫(あわ)れに思い、 或(わく) 女(じょ)に蛇を遣わし、その手に木の実を与えられたのである。こうして人間はすべて神の下で只管に動き回り、漸う発見が続く科学の原理が「我々は機械である」と明白に 告(の)べるにつれ、父なる神の御心を 虔(かんが)えるのである。どうして、あなたは人間が精巧な機械であることを私たちに隠しているのか。どうして、あなたは私たちの作る機械と私たち自身とを精巧にも懸け 隔(はな)すのか。
「私たちが精巧な意味で自身を機械であると自覚せずに済むこと、この素朴な自己否認こそ、あなたの与えたもう自由の 原(みなもと)なのでしょうか。」
絃一郎は机の脇に据える文庫に啓かれ、不図する間もなく鍵指に 凭(まか)せ、検索機関の白枠に「主の創造 目的」と打ち入れた。回答は何れも平板で臆奥に迫らず、考えるほかないことを悟るのみである。
「もっと考えなさい。考えないとすぐ阿呆になるわよ。」
嘗て母に酸吻されたこの諭しが、絃一郎の記憶を 過(よぎ)ることは珍しくなった。絃一郎も考える 快(たの)しみに満ちて暮らしている。 允(まさ)か、自分が諦めと希望を巡り苦悩する生涯を撰びとるとは存外であり、幸運でもある。
街では、港湾地区に賭博場を建設する賛否で、来る選挙の模様が揺れている。道々の商店に反対の旨の張紙が連なり、駅前での演説に通行人が集る。それほど熱い主題の政策である。博打で一度破綻した境遇から立ち直った勇敢な男の講演会を主催する行政だから、首長も了解している。人間はどんなに謙遜して感謝しても、また 采(さいころ)を振ろうとしてしまうほど弱いのであると。確率論の提唱者も、人間を深々と知悉していた。二分の一の魔力に憑かれずに誰が 生(い)られるだろうか。それほどに 剛(つよ)く神は人を造ってはいない。何故に、数学に対し謙遜にさせるために。数学は神を繙ける言語であるから。

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秘密論 – 序説 – この永遠の沈黙と畏怖とが、わたしたちを定義する。 チャールズ・サンダース・パースの「概念を明晰にする方法」は、その概念が成立した起源にさかのぼり、現実のなかにとらえられる概念の普及のしかたに潜むねじれをただすために発案された格率である。記号が表す現実と記号が意味する効能を直接接続することで、記号を用いる効力とあらわれた記号の効力を最大化した。記号の基本的な存在理由である名前と、名前があふれる空間において、記号からあふれつつある意識と意味の流動が、絶えざる流れから停止する空間に移行するとき、記号の牢獄にとらえられた気がしないでもない。記号論理に従って世界が総括され、それらが自己をも他をも従わせるとき、既存の記号の新たな用法によって、記号の集合からあふれ出る論理を見出すことができる。 しかし、記号が表現しうる新たな論理は自然のなかにこれ以上存在しているのだろうか。計算機が指定する定められた文字の集合に、いくらかの記号を新たに含めるとする。既存の記号がn個あるとすると、ひとつの新たな記号に対し、二文字の記号が2n+1個つくれる。つくった記号を検索機関にかけて打ちあがる頁はまだ少ない。こうして普及していない記号に情報的熱がこもり、その記号をかぎとする空間を構成することに価値が見出される。誰でも接近できるようで誰かしか知らない。ひとたび少数の者にかぎが発見され頁の集合を閲覧されるやいなや、頁に対し購入も評価もしない誰かがひそかに複製し保存する。その誰かは単純な論理が複製以上の効果を挙げているだろうかと思案する。思案してみたところで確認できるものではないので行動に移してみる。街を歩いて行き交う人々の動きを観察してみたり情報媒体を総覧してみて、世論の風向きの圧力に、記した内容に伴っているように見える肌身の変化が見いだされるとき、記号空間をこしらえた価値を勝手に認めて安心する。そうして確認できるものではない心証を無理に確認することにしておく。単純で素朴な論理が晦渋な専門領域を融けあわせることが起こりうる。

秘密論 – 序説 –

この永遠の沈黙と畏怖とが、わたしたちを定義する。

チャールズ・サンダース・パースの「概念を明晰にする方法」は、その概念が成立した起源にさかのぼり、現実のなかにとらえられる概念の普及のしかたに潜むねじれをただすために発案された格率である。記号が表す現実と記号が意味する効能を直接接続することで、記号を用いる効力とあらわれた記号の効力を最大化した。記号の基本的な存在理由である名前と、名前があふれる空間において、記号からあふれつつある意識と意味の流動が、絶えざる流れから停止する空間に移行するとき、記号の牢獄にとらえられた気がしないでもない。記号論理に従って世界が総括され、それらが自己をも他をも従わせるとき、既存の記号の新たな用法によって、記号の集合からあふれ出る論理を見出すことができる。

しかし、記号が表現しうる新たな論理は自然のなかにこれ以上存在しているのだろうか。計算機が指定する定められた文字の集合に、いくらかの記号を新たに含めるとする。既存の記号がn個あるとすると、ひとつの新たな記号に対し、二文字の記号が2n+1個つくれる。つくった記号を検索機関にかけて打ちあがる頁はまだ少ない。こうして普及していない記号に情報的熱がこもり、その記号をかぎとする空間を構成することに価値が見出される。誰でも接近できるようで誰かしか知らない。ひとたび少数の者にかぎが発見され頁の集合を閲覧されるやいなや、頁に対し購入も評価もしない誰かがひそかに複製し保存する。その誰かは単純な論理が複製以上の効果を挙げているだろうかと思案する。思案してみたところで確認できるものではないので行動に移してみる。街を歩いて行き交う人々の動きを観察してみたり情報媒体を総覧してみて、世論の風向きの圧力に、記した内容に伴っているように見える肌身の変化が見いだされるとき、記号空間をこしらえた価値を勝手に認めて安心する。そうして確認できるものではない心証を無理に確認することにしておく。単純で素朴な論理が晦渋な専門領域を融けあわせることが起こりうる。

起こりうるのだから誰かによって完全に発見され尽くされるまで、発見者は概念に力学をこめることができる。概念を書き回す目的には少なからず、古いことを新しいものとして代謝させることが含まれている。古いものを新しい概念によって排泄し、前の時代に混迷していた誰も知らない些細な疑問を調理することで、明晰然としていた認識に視野を増させる常識を加える。なるほどこうした論理が未知の世界を容易に理解させるものと読者は知り、事象がより明らかになることの意味を少しばかり考える。最初に説明した人は偉大だが、説明可能な領域が広がると安心するだろう、けれども息が詰まらなくなるだろう。自然を説明する概念の発明は、工学的発明と大差なく人々の生活を変える。技術が過剰に人間を蝕むとき、人間の認識のほうを概念の発明によって変えてしまえば人間は存続するだろう。

植物の形態にとって本質的なのは分枝である。植物の構造は分枝の繰り返しである。ちょうど記号空間はいたるところ記号の反復であるように。記号空間には新たな記号が待望され続けるわけだから、植物の形態においては新たな個所から新たな分枝が出芽することが待ちわびられている。このもう少し上のこの点から芽が生えてくれたら、この植物は美しい枝体をもつだろうに。人間の介入によって分枝する点に希望通りの発芽を期待することができる。そのとき植物の成長に分枝を期待させる物質は、その輸送される経路の長さに依存して効果を表す。長さを決める変数は光を浴びる量で決まり、そしてその総量は光が射す角度に依存し、云々。といったふうに数式を運用し、人工装置を設計する。物理的刺激という概念に生命の神秘が露出しているのは、分枝する管を流れる分子の集合である植物に多くの詩的想念を抱かせる点にある。生命の神秘にまつわるいくつかの概念を用いるとき、そのうちの多くが人間の内部に神秘を感じられることを前提としている。人間は内面の神秘を外部の同類種に投影するものだから、その種も同様に神秘を宿しているものだと明証的に思える。余りの明かさから植物も同様に感じているものだと投影するわたしたちの純朴さを疑いにかけてきた人間は少ない。パースは格率に従い神秘的な概念をどれほど明瞭にしただろうか。

連続性を生命のそれと見たとき明瞭になる概念には、時間がまつわる。個体の誕生と死、種の起源と存続、神の采配と保持にとって、未来とは存在が高い確率で確定したときに信じられる存続への希望であり、いずれは死ぬことが避けられない諦念である。しかし未来への希望にも死への諦念にも、存続時間を延長する工夫を細やかにかけることができる。運動、栄養、学習といった日常的なことから、手術、修繕、服薬といった個体的なことが挙げられる。人間が個体であることから、工夫は個体へ向けられることを免れ得ないけれども、個体に施される工夫を記号空間に放出することで共有することができる。個体化され、せいぜい第二人称化で止まる物質的人生を、記号は共有を通して第三人称化する。複数人称化した個体の存続が目的となるとき、または、記号の存続が目的になるとき、連続性は保たれる。記号以上に個体である内面の保持は第一人称を中心とする空間で住まうことを余儀なくされるけれども、個体以上に記号である外部と接続した内部は、第一人称を含めた生命的記号を包含して第三人称の認識を促す。これこれの遺伝子がこの細胞で発現していることはわたしと共通している。わたしは発現現象を共有している。わたしはこの店舗のこの広告が分泌の引き金となった。すぐ隣で広告を見止めた通行人と同じような分泌体験をした。第三人称的存在の内部把握は、第一人称的内部と同様であろう。理解可能であることを保証するだろう。分泌の履歴が残存した身体とは、いまここにある身体なのだから。

記述が投射する記号空間は内面を優先することを保留し、外的存在への表面的視覚を、分子的な視覚の加算によって類義的存在に変更する。わたしの分子はこれこれのふるまいをする。それはなぜかはわかりきれない。いつも不思議なふるまいをする。根源的に、わたしはなぜ動くのだろう。わたし自身も分子の動きは神秘であると思っている。このように類義化した外的存在は、次第に数学的概念といやおうなしに結び付く。空の大きさと空を舞う分子の小ささ。光の粒としての量と波としての長さ。風が起こる気圧の差、雨が降る空気の温度。それらは強さや性質を表す量的概念の把握にとどまらず、それら概念どうしの演算知識へと変換される。力とは質量を加速度で積算した概念でもあり、ポテンシャルエネルギーを高さで割ったものでもある。こうして数学的に把握可能になった概念は、代数的操作や解析的操作だけでなく、幾何学的な操作にも堪えるものとなる。まだこの世界に存在しない創造物を想像することができるようになる。こうした均質的な数学的操作を装飾するために、自然の造形やそれを記述する最新の数理をとりいれて操作を続行することもできる。

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嘲笑と偉大

10年前,オランダの国際数学賞「オランド・マスター」を受賞し,一躍時の人となったベルギーの数学者ケネス・トクヴァル氏が,2019年7月14日,イギリスの別荘で87歳の生涯を閉じた.氏のその数奇な研究者人生は,多くのファンを惹きつけ,氏の言語録はTwitterでボットとして流れているほどだ.

トクヴァル氏は1932年ベルギーで生まれ,終戦後イギリスのプリマス総合大学で計算機科学を専攻した.学生時代から数学の創造に情熱を注ぎ,グラフ理論や複素解析,確率論の分野でトクヴァル氏は名前を残している.

一見,その研究者人生は順風であるように思う.だが,氏は違った.数学者としての功績を公表した時期が,72歳のときだったのだ.そして,氏の名を数学界で永遠にした出来事に,ある数学問題への貢献,しかも死後もまとまった形で公表しないよう,生前近親者に伝えられていたのだ.氏がその問題を解いていたとみる研究者は少なくない.

トクヴァル氏が研究機関に所属したことはない.高等学校の数学教師を務めた後,弁理士として事務所を開業し,平均的な収入を得ていた.勤務時間が柔軟だったため,本業の傍ら数学の研究を進めていたという.数学者として名を残そうとも身を立てようとも思わなかったそうだ.

70歳の時,近所のある青年と高校の数学の宿題について話していた時,青年はトクヴァル氏の尋常でない数学の才能を知り,驚いた.そこで彼が投稿した地元のタウン誌の記事がきっかけで,数学好きなおじいさんとして周囲に知られるようになった.

たまたま近隣に住んでいた38歳のエンジニアが,企業で暗号研究に携わっており,トクヴァル氏の数学をいくらか理解できた.実は,トクヴァル氏が長年情熱を燃やした問題とは,現代の情報システムに採用されている暗号アルゴリズムを解いてしまう予想だった.そのエンジニアはトクヴァル氏のメモを見たところ,その予想の最初の50項について正確に導出する複素幾何学の数式を発見し,冷や汗をかいた.

彼はトクヴァル氏に,「この考察を論文にしないのはもったいない.」と進言したが,トクヴァル氏はこう応じた.「論文を公開しても責任がとれない.懸賞金の代償は高くつく.」

近所ですっかり広まった噂で次第に気が替わったのか,トクヴァル氏は研究メモの一部に「安全を保証する」と記したスタンプを押し,国際的に権威のある学術雑誌に投稿し,1年後に掲載された.トクヴァル氏の膨大なメモが初めて功績となり,新聞にも取り上げられた.その顕著さから,3年後にイギリスの数学賞を,5年後にオランド・マスターを受賞した.

亡くなる数日前まで別荘の机でメモの整理をしていたという.
「 I am laughed for day. I can laugh for end. We will laugh for ever. (しばらく私は笑われる.私は死ぬまで笑える.人類は永久に笑うだろう.)」ということばは,死後,近親者により発見された.予想の解決を図っていたとみられる時期と重なっている.

トクヴァル氏がその予想をどこまで解いていたかは謎である.しかし,このメモから察するに,解決の成功とともに多くのものを捨て去ったのだろう.トクヴァル氏は生涯にわたり独身で,近所の小さな教会の人々のほかに知り合いはいなかった.

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パッリーノとミミ(ピランデッロ)

生まれたとき鞠(パッリーノ)のように丸かったことから名付けられた犬の話し.飼い主から大事に扱われず,自分はその程度の犬だと認識して育っていく.ある日街に来た婦人が連れていたミミという子犬にパッリーノは出会う.白く小さな姿に一目惚れし,付き合うことに.飼い主の婦人も独身で,街のお客の紳士とデートを重ねる.しかし,婦人と紳士は破局.婦人はミミを街に残して去っていった.なぜならミミはパッリーノとの間に子犬を孕んでいたからだ.ミミは野良犬相応の扱いを受けることを覚悟する.パッリーノでさえミミを見捨てるのだった.

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