プロセスの検証から学ぶこと

日本では夏を迎えると、8月15日に向かって、先の大戦について、あれやこれや様々な情報が飛び交う。今年は70年目というわかりやすい節目の年ということもあっていつもとは違う角度からの情報も飛び交ったような気がする。

どれもゴールは「先の大戦を繰り返してはいけない」というものだったと記憶している。ただ、そのための手段として「悲惨さ」を繰り返してはいけないというものばかりだった。

「悲惨さ」を共有するために、当時の記憶がある人を訪ねて、話を聞く。当時の経験を基にした言葉でもって共有する。それはそれで大事なことなのかもしれない。特にメディアが媒介する場合には中間地点で映像として残すという機能も果たせるのかもしれない。

すでに70年が経過している。10年後、20年後、また同じことが可能かというとそうではない。当時の記憶は失われ、体験の共有は「言葉」の共有になり、やがて風化する。この事実に抗うことはできない。受け入れるしかないのだ。風化した経験は、その力を失うはずだ。

そう考えた時に、”ゴール”である「先の大戦を繰り返してはいけない」をどう実現するか。これはプロセスの検証から学ぶ以外にはありえないのではないか。歴史から学ぶ、過去の失敗から学ぶというのは本来そういう意味であるべきだ。

なぜあの時代、日本は戦うことにしたのか。それを学び、それを再現可能な状態にしないように何をするのか。

おそらく、様々な角度から検証が可能だと思うし、もちろんすでに行われているはずだ。それを僕らは広く共有するべきだと思う。共有する手段としてマスメディアがあるかもしれないし、別の方法もあるかもしれない。

ちなみに同じことは、”ふくいち”の事故についても言えると思っている。

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