mediumはmediaの複数形


記事に必要なのは執筆者のみ


https://medium.com/first-penguin/分散型メディア-そこから無意識のメディアの時代-d7603c367bb6

きゅーり.jp というブログを、いまはGhostで運営しているのですが、そこで次のように考えたことがあります。

> ブログなんか一度解体しちゃってそれぞれの記事がそれぞれの読者に読まれればいいんじゃないか

それだったら、mediumでも大丈夫だろうって。

それからいろいろ考えて、Ghostの上で運営することにして、きゅーり.jp というパッケージ(たいしたパッケージングもしてないけど)は残しています。

きゅーり.jp が生まれた頃は「セルフブランディング」なんて言葉が闊歩していた頃でした。Twitterなんかもその文脈で捉えられることがあったんじゃないかな。

でも、Twitterは発言者という属性情報はつきますが、それよりも記事が中心。パッケージングみたいなものはないです。Mediumはいまでこそある程度のパッケージング化ができるようになっていますが、文章をパブリッシングするためだけのサービスという括りは変わりません。ブログという立て付けをつくるサービスではなく文章をパブリッシングするサービスですね。(そして自分ははてなダイヤリーにはこの感覚があったんじゃないかな、と勝手に思っています)

読む環境には大量の記事が集まっている

さて、ネットでいろんな記事をみるのに、アグリゲートサービスを使って大量の情報が届くようにしている人は多いと思います。ネットでニュースを見ていて、タイトルではなく中身をみている率って気にしたことありますか?

タイトルをみて中身を開く、いわゆるメールで言う開封率みたいなものをあげるために苦心した上に、タイトルが釣り気味になったりというのをよく見かけます。

そもそも「セルフブランディング」の時代のブログのテクニックとして、”タイトルの付け方”はよく紹介されるモノでした。いろいろと問題が表面化することが多い”バイラルメディア”は、この頃から続くテクニックを組み合わせて、本来実質的な価値を生んでいないのに価値を与える方法なのだろうなと。

TwitterやFacebookでは記事のURLが飛び交います。その記事を読むのに、「ナタリー」だから、「ITmedia」だから、ということはあまり考えないですよね。何回もクリックしているうちに、「いつもナタリーさんの記事をみてるな」というようなことはあるかもしれない。

記事をアクセスするために必要なのは、そこに興味がある内容が書いてあるかと、それがTwitter/Facebookで流れてきたか(つながりのある人が流したか)しかないのだとしたら、メディアが持つブランド(ここの記事だから読んでみようと思わされる力)はまず同じデザインの記事に何回もアクセスしてもらって、いい体験をしてもらう、それ以外にはないのではないかなと考えます。

それ故に、MediumもナタリーもITmediaも同じ土俵にいて、そして、あとは記事の品質(興味を持ってもらえるというのも品質のひとつです)をあげていくのが大事なのではないかと思っています。

(Google+さんはこのコンテンツが飛び交う世界を狙っていたのではと思っていたのですが、Activityがあがらないのでなんとも)