新・東北まぐ Ver.0 (sample)

はじめに
東北沿岸のまちにとっての、再起の道のりは始まったばかりです。 地元の人たちや支援者は、試行錯誤の中で成功を信じ、この果てしない挑戦の日々を暮らしています。
一人でも多くの方が東北沿岸に関心を持ち、現地との関わりが出来ることで、大きな力が生まれると信じています。
震災の年に創刊したメールマガジン「東北まぐ」は、通算配信数1億通・44号のレポートをお届けしてきました。
一人でも多くのみなさんが、東北に足を運ぶきっかけとなることを願って、あたらしい「東北__」を、お届け致します。
「絶望の先に、希望が見えるかもしれないから」
希望の牧場 〜福島県 浪江町〜

雲間からさす陽光が、目の前の牛舎の屋根に向かって降り注いでいます。虹のかかる雨上がりの牧草の上を、牛たちが悠々と闊歩しています。 ここは、福島県浪江町と南相馬市の境にある「希望の牧場・ふくしま」です。震災で事故を起こした福島第1原発から14キロの地点にあります。周囲の道路には、警戒区域を示す立ち入禁止の看板が点在しています。
事故後、原発から半径20kmのエリアは立ち入り禁止となり、たくさんの家畜が取り残されていました。ここに住む畜産家の吉沢正巳さん(59)は、政府が打ち出した家畜の殺処分方針に同意しませんでした。「人間の都合で、牛たちを無駄死にさせたくない」という吉沢さんは、自治体から業務の継続という理由で立ち入り許可を得て、自身の牛だけでなく、近隣農家の牛も引き取り、ボランティアらとともに世話を続けています。
本来の価値を失った牛たちなので、牧場の収入はありません。寄付金で経費をなんとかやり繰りし、汚染されて使い道の無くなった牧草やスーパーの売れ残りの野菜などを集めて牛たちに与えています。「無人となり荒れ始めた田畑や里山を放牧に利用すれば、保全にも繋がる。汚染地域内で閉じた環境を作る事で、約20年と言われる牛の寿命を全うさせることも可能」と考えています。最近では、汚染地域に生育する牛たちを記録し、科学的な根拠として後世に生かそうとする、学術的な取り組みも始まっています。
「深い深い絶望の先にも、希望が見えるかもしれない」という吉沢さん。周囲からの賛否や厳しい経済事情も承知の上で、自らの信念にしたがい活動を続けています。「おれは牛飼いだから、出来る事は1つしか無い。残された人生をかけて、牛たちの寿命を全うさせてやろうと思うんだよ」
Information
「希望の牧場・ふくしま」Blog
http://fukushima-farmsanctuary.blogzine.jp/blog/
「旅行者をスカウトし、シェアオフィスを建設」
シェアオフィスco-ba kesennuma 〜宮城県気仙沼市〜
―シェアオフィス開設のねらい― 復旧から再起へと向かう東北沿岸部のまち。震災直後から3年間、たくさんの“よそ者”が、ボランティアや復興の手助けとして現地を訪れ、、地元の人たちと力をあわせて来ました。 愛知県出身の杉浦恵一さんも一人です。最初は、地元の飲食店を手伝う形で気仙沼に入り、多くのボランティアの受け入れ拠点として奔走してきました。3年を経た被災地では、ガレキの撤去や力仕事の需要は一段落したものの、人口流出や産業の空洞化が新たな問題として浮き彫りになっています。「外からの人材や資金を生かし、地元の方が活躍出来るような事業が生まれる事が理想」と考えた杉浦さん。アイデアを具体化するため社団法人を立ち上げ、キャンドル工房をスタートさせました。
―やろうと思った、いまがチャンス― こうした自身の経験を元に「一人の力では限界がある」と感じ、より多くの機会創出を願って、シェアオフィスの開設に着手しました。具体的なプランは無いものの「やってみたい!」と口に出すと、協力者やアイデアがどんどん自分の元へ集まって来て、引くに引けない状況になったと杉浦さんは笑います。当初は開設資金の目処はたっておらず、内装工事を業者に任せる余裕も無いため、完全な見切り発車計画をスタートしました。

―内装工事の人手がまったく無い― それが「全く不安はなかったんですよ」と杉浦さん。「これまでもそうでしたが、何かをはじめようと行動をおこすと、自ずと人が集まってくるんです」という言葉の通り、たまたま旅行で気仙沼にやって来た、浅野翼さんとの出会いが大きな展開をうみます。 転職の合間を利用して旅に出ていた浅野さん。震災後の東北に足を運ぼうとするものの、仕事が忙しく叶わなかったため、3年越しの東北旅行がようやく実現し、気仙沼にやって来ました。 街中で杉浦さんと出会った浅野さんは、お互いに県外出身で地元が近いこともありすぐさま意気投合。浅野さんが一級建築士の資格を持っているとわかり「その日のうちに物件を見てもらい、夜には手書きの内装図面を書いてもらってました」と話します。

―旅人が切り拓く― 「いきなり、図面を書いて欲しいと言われて驚いたが、嬉しかった」と浅野さん。「ただ被災地を見るだけではなく、自分のスキルを生かして現地の取り組みに貢献出来た事はラッキーだった」と振り返ります。当然の流れで、浅野さんは内装工事が軌道に乗るまで気仙沼に逗留することになり、学生ボランティアや、お互いの交友関係、浅野さんと同じような旅人のスカウトと言った形で、協力者を募り、内装工事が進んでいきました。

―気仙沼で感じた“しごと”の意味― 「この時代に生きる日本人として、被災地の事をこの目で見ておきたかった」という浅野さん。短い期間ながら、実際に現地の営みに触れた事で「予想外の発見がたくさんあった」といいます。自分の持つ経験を生かして、何かがカタチになり誰かに貢献出来るという体験は、「生きるとは、自らの生業を通して、多くの人たちと何かをつくり上げていく事なんだ」と気づいたそうです。「自分の仕事に、自信を持つきっかけになったし、もっと向上したいという目標も出来た。これからも引き続き東北とは関わって行くつもりです」
Information
http://ima210.com/co-bakesennuma/
〒988–0017 気仙沼市南町2–2–25
0226–25–8131
問い合わせ
kishidahirokazu@gmail.com