音楽業界は変わった …曲自体を除いて

そして曲も変えられてしまうのか

Hiroshi Takeuchi
11 min readJun 27, 2015

僕が教えているNYUのClive Davis Institute of Recorded Musicの作曲クラスから窓の外を眺めると、音楽業界は完全に壊滅状態だ。今学期だけでも音楽業界には様々なことが起こった — 音楽会社は著作権のコントロールを取り戻すため様々な新しい方法を試した。著作権の曖昧な境界線に関する論争は、そもそも著作権とは何なのかという議論にまで及んだ。アーティストと作曲家にどのように金が支払われているかという議論が議会で審議されたこともあった。Pandora、Spotify、Grooveshark、Rdioのすべてがニュースのヘッドラインを飾った。Tidalがローンチされた(さらにJay ZがTidalについて話すために我が校にも来た)。Appleが新しいストリーミングサービスを発表した。スターバックスまでこの流れに乗った。僕はここで一旦立ち止まってみたい、君の言い分を聞きたいからだ。

度々、僕はクラスのドアを三重ロックしたい衝動に駆られる、そうすれば生徒は創作活動に専念できる。でも勿論そんなことは簡単ではない。さらに僕は生徒に向かって一連のレトリックな質問を投げかけ、最後のクラスは終わった。その質問はつまるところこういうことだ:

音楽業界のこの流れがこれからも続いていくとすると、僕らが今学期を通して話し合った「作曲」の未来はどうなってしまうのだろう。

曲を通して僕らは、新しいけどどこか以前に聞いたことがあるような、そんな情報を手にしている — 魅力的な形で僕らの元に届き、そして耳に残る。僕らはABCの歌で言葉を覚えた。ある意味ポップソングは大人向けの動揺といってもいいんじゃないだろうか(“A, B, C/ It’s easy as 1, 2, 3/ As simple as do, re, mi/ A, B, C/ 1, 2, 3/ Baby you and me, girl” ― The Jackson 5)。動揺もポップソングも両方とも僕らに根本的な、神経レベルでの満足を与えてくれる。

でも今音楽業界が変貌していく様を見ていると、テクノロジーが音楽にどれだけ影響を及ぼしてきたかを考えずにはいられない。

  • 曲の長さは蓄音機のワックスロールが持続する時間に影響を受けていた。
  • ラジオパーソナリティーが曲のイントロ中に交通渋滞や天気の情報を伝えていた。そのため特定の長さのイントロを持つ曲はラジオで好んで再生された。
  • 曲の長さはラジオでかけてもらえるかどうかの決定要因だった。(長すぎる = 流れない)
  • LP盤は収録時間が短かったため、リリースできる曲が制限されていた。CDがその制限を大きく広げた。(生徒の一人はRed Hot Chili PeppersのStadium Arcadiumは埋められるスペースが多すぎて聞き辛いと指摘していた。)
  • 音質の観点からするとMP3は大きな後退だが、音楽をリスナーに届けるためのパイプとしては機能していた。もっと大きなパイプが実現すればTidalのようなサービスが成功する可能性はあるが、テクノロジーの問題が解決した後の話だろう。どのサービスが主導権を握るかによって使われる音質も変わるのだ(もちろん聞いている音楽にもよるが)。

勿論、曲の構成に影響を与えたテクノロジーの例は他にもたくさんある。でももう誰も使わないテクノロジーに関連した過去の遺物を一つ一つ取り上げていくなんて馬鹿げているのでやめておこう。もしCDが完全にもしくはすごい速さで廃れていっているなら、何故アーティストは未だに3分間ソングを10曲詰め込んだアルバムを作っているのだろうか。そうでない人たちもいるだろう。でも考え直す流れは浸透していないから、この流れはまだ続きそうだ。僕の生徒のほとんどは既に時代遅れの5曲入りEP盤を作っている。

結論として曲は金銭的動機を孕んでいて、それは曲のアレンジにも影響を与えるということだ。

例えば誰もが納得するストリーミング分野のリーダーSpotifyでは、曲が30秒間ストリーミングされた後にそのアーティストにお金が支払われる仕組みをとっている。ここで君の頭の中にはいつくかの疑問が浮かぶはずだ:

A) 30秒以上の曲を書く意味があるのか?

B) 3分間の曲を作るなら、自分を騙してでも30秒くらいの曲を6曲作ったほうがお金になるのでは(:30 x 6 = 3:00 song)?

そして君は32秒程度の曲を作って、ストリーミングによって想定通りの巨大なロイヤリティーが君の手に入るだろう。君の音楽レーベルも同じ理由でこのやり方を支持するだろう(収入が増えるのだから)。

もう一歩踏み込んでみよう。もし実際に30秒間ソングが世の中のスタンダードになったとして、Spotifyは突然アーティストに何倍ものロイヤリティーを支払うだろうか?そんなことをしたらビジネスモデルが破綻してしまうのは誰でも想像がつく。そうなったら利益を生み出せなくなるので、支払いの仕組みを変えるかもしれない。そしてストリーミングサービス上ではアーティストにはお金にならない時間が増えていくだろう。

ところでSpotifyは5分以上再生された曲の中で再生率の高い曲にもロイヤリティーを支払っている — 長く再生されているわけだから。この仕組みでは4分以下の曲にSpotifyは支払う必要がない。

こういった問題を考慮した上で、各社ストリーミングサービスは曲ごとにインセンティブを支払っているのだろうか?

勿論、賢い人々はこのアイデアの中でうまくお金を稼いでいる。彼らのやり方が無謀だったのか、それとも新しいスタンダードとなったのだろうか…

個人的にはVulfpeckの思いついたアイデアは好きだ。彼らはインディーズバンドで、Sleepifyというアルバムをリリースした — ファンが寝ている時にストリーミングすることを想定した、無音トラックでできたアルバムだ。だがSpotifyは彼らに$20,000をロイヤリティーとして支払った後、明確な理由なしに突如アルバムはSpotifyから削除された。因みにJohn Cageの“4:33”は未だにSpotifyで聞くことができる。Cageは否定するが、この曲は無音トラックだ(彼の著書『Silence』ではこの点をさらに深くより下げている)。何故誰もVulfpeckのアルバムがSpotifyの検閲で削除された問題を気にも留めないだろうか。それだけでなくVulfpeckのやったことは無謀な行為と世間に受け止められている。一方で、人々はお金を払ってDuchampの小便器を見にフィラデルフィア美術館へと足を運ぶ

ところで、Spotifyには他にも無音トラックはあるのだろうか?答えはYesだ。他にもストリーミングサービスのビジネスモデルの抜け穴を利用している賢いアーティストはいる?Yes。僕がそいつらを告発するつもりかって?Noに決まっている。

アートの形式を再定義することは別に新しいことじゃない。音楽のストリーミングも実は新しいことでもなんでもなくて、1930年代から店内BGM等という形で存在していて、そこからさらに10年前に定義されていた。でも当時と比べ物にならないほど今ストリーミングは世の中に広まってきている。今後は曲の形式もこの流れに反応して変わっていくのだろうか?

  • 3コーラスだけのつまらない歌が主流になるのか?
  • 曲構成のバランスの良い”Aメロ-サビ-Aメロ-サビ”形式への再帰が始まるのか?次のセクションへ導くためのセクションを挿入することもなくなってしまうのか?
  • サビ前のセクションは?「~前のセクション」なんてなってしまうのか?
  • ブリッジはどうなる?一体何にブリッジするんだ?ブリッジを挟む作曲家なんているのか?僕の意見に反対する人もいるだろう。何故わざわざ違うセクションに移動する必要がある?

ではもし『江南スタイル』の曲の長さが4:13ではなく1:10だったらヒットしただろうか?実は僕は江南スタイルをよく知らないんだけど(君は今でも江南スタイルを歌える?)…きっと4:13バージョンのほうが儲かるだろうけど、1:10バージョンも何百万回と再生され、Psyは大金を手にするだろう。

またはもし曲が次々と周りの雰囲気によって繋がり発展していったらどうなるだろう。そうなると一曲一曲は最早アーティストのポートレートではなく、絶えず形を変える音楽の流れを作る一つの表情となる(Mr. Potato Headのこのアイデアは頭から決めてかかっているところもある。けれどまあこれも一つのアイデアだ)。僕は(今は亡き)turntable.fmを試したことがある、前述のアイデアがうまく機能するのか確かめたかったからだ。そこはビデオゲーム調の部屋で、奥にDJテーブルが配置されている。South Parkのキャラクターのようなアイコンのおかげで、そこで使われるテクノロジーはまるでオモチャのように感じられる。

Adrian Belewが作ったアプリFluxもとても興味深かった。アプリの中でこの革新的なギタリストは沢山の音楽に関するアイデアを創造した — それによって同じ曲が二度再生されることがない。このアプリはKickstarterで資金を募っていて、僕は彼のことが好きだったけど、そのアイデアには何かが足りないように思えた。確かにすごく良いアイデアだと思ったけど、3食に毎回チョコレートアイスクリームがつくのは問題だ。同じ曲が流れないということは — その曲にのめり込むという — 曲の大きな力を取り除くことになる。僕たちは今でも繰り返し流れるサビが好きだ。耳に心地よかったら、また聴きたくなる。

こういった可能性はないだろうか…ストリーミングがもっと浸透していったら、作曲家という仕事は「音楽なんてのは金にならない客寄せのための商品だろ?」などという野次に耳を傾け、この仕事は単純に曲を書けば終わりじゃないんだと気づく、そんな職業になるのではないだろうか。今では僕らは自分たちの曲がうまく機能する環境を作る”機会”を持っている。

それをすごく上手くやっていたアーティストが、KISSだ。

アルバム”Alive! ”のジャケット写真のGene SimmonsとPeter Criss (drums)

でもライブショウとスタートアップは違う。KISSは良いモデルではあるけど、KISSの場合は毎晩メンバーの誰かが血やら火やらを口から吹かなくちゃならなかった。現在の音楽業界に他にスケールアップできるような選択肢はあるのだろうか?ストリーミングは僕らの音楽体験の、お金の支払い方の新しい形なのだろうか?

ブロードウェイのポップミュージカルから、クルージングでの音楽イベント、音楽フェス、Queen of the Nightのような360°のシアトリカル体験(僕はあの夜St. Vincentをあの場所で見た。)、本のサウンドトラック、映画、動画、オンデマンドチャンネル…

疑う余地なく僕らは今その真っ只中にいて、そしてその答えを見つけ出せずにいる。僕の質問がさらに悩ませる:曲は今でも一つ一つが大きな意味を持ってるのか、それともストリーミングミュージックを構成する一部でしかないのか、その曲自身だけでは音楽は成立しないのか?

僕にはわからない。僕の生徒もわからない。でもいつかみんなでその答えを見つけられるんじゃないかと思う。

君はどう思う?ログインして君の意見を下に書いて欲しい。
君の意見がこのストーリーをもっと沢山の人に届けてくれる。

Mike Erricoの詳細情報: www.errico.com
Cuepointを是非フォローしてください:
Twitter | Facebook

--

--

Hiroshi Takeuchi

Medium Japanでボランティア翻訳をしていました (現在は違います) 。ここに書いてある記事はすべて当時に翻訳された記事です。私個人の見解または創作物ではありません。引き続き公開はしますが、質問または訂正リクエスト等は受け付けません。ご了承ください。