夜明け前

「夜明け前、もっとも暗くなる」

わたしは、自分の活路が見いだせていなかった時期がありました。

自分の道を見失って、道に迷いながら、祖母の病気、そして自分の仕事との折り合い、家族のこと、人間関係、さまざまなことから苦しくなっていました。

それでも、助けてくださる方の存在や、家の前の、コンクリートの間から生えている木や神社の自然に癒されたり、音楽に支えられながら、なんとか、踏ん張って生きていました。

そのころ、ふと、「あぁ、いま、まっくらだ」と感じました。

同時に、「夜明け前、もっとも暗い時間がくる」ということばを思い出しました。

何も根拠もないけれど、「きっと今は、夜明け前なんだ」と思うようになりました。

まっくらな時期はしばらく続きました。

そんな夜明け前の時期、今住んでいる富士吉田に、しばしば訪れていました。

そのときに訪れた、山中湖の、しずかにたゆたう美しさ。

富士山からの夜明けの景色。

山の麓の土と木の匂い。

綺麗な水が流れる町。

これらの景色がずっと、目を閉じても目の前に広がるほど、私の心に残っていました。

このころから、自然に近づくと、心だけでなく、身体が心底よろこぶのを感じ始めていました。

つらいとき、時々訪れては、自然から生きる力をもらって、また名古屋へ帰っていました。

夜明けを待つ希望を持つ力をもらって。

それまでの自分を裁つ

祖母の死後、形見に、裁ちばさみを譲り受けました。

祖母は、若いころ洋裁学校に通って服作りを習得していて、生前、頼むと型紙からおこしてくれて、ぴったりのサイズの服や小物をつくってくれていました。

わたしも感化され、生前祖母と一緒にスカートをつくったことがありました。

その後、自分でもやってみようと布を自分で選んで集めるようになり、かわいい布を、生地屋さんの山の中から見つけ出すことが趣味になりました。

ただ、いいはさみを持っていないために布を裁つのに失敗したことがあってから、布を裁つことができずにいました。

また、それだけで素敵な布を、「裁つ」行為にも緊張が伴って、布を裁つ勇気が持てずにいました。

切ったらもとに戻せない、修復不可能な状態にする、そんな責任を自分でとることが怖かったのかもしれません。

でも、祖母が亡くなってから、祖母が愛用していた鉄の重い裁ちばさみが、私のもとにやってきた。

これはバトンだ、と思いました。

夏のはじめ、台風がきて外に出られなかった日、意を決して、思いついた布で、勢いでワンピースをつくることにしました。

祖母の裁ちばさみを使って、布を、えいっと、ざくざくと切っていきました。

そしてその日のうちに、一着のワンピースをつくることができました。

何か、ずっともやもやしていたものを、やっと切れたような感覚がありました。

これが今の私への、小さな一歩だったのだと思います。祖母に背中を押されたのかな。

それから、どんどん、布への興味が募っていきました。

素材ありき

ある日、生地屋さんで、ブランドのものでもなく手頃な値段だけどかわいい布を、たくさんの布の中から見つけて、購入して帰りました。

後日、いくつかのブランドが、その生地を使って、高価な洋服を売り出していました。その製品は布の魅力が大きくて、なんだ、結局、どんな作り手も素材に左右されるんだ、と感じました。

それから、「素材が、魅力を決定する」「素材ありき」だと思うようになりました。

素材にあまり力がないと、それ以上のものをつくるにはそれなりの知恵や技術が必要になる。そこがつくる側の腕の見せどころなのかもしれませんが、素材に魅力がある方が、いいものができると思うのです。

新鮮な野菜は何もしなくてもおいしい。古くなってしまった野菜は、どうにか人が上手に料理すれば活きるかもしれないけど、新鮮な野菜を上回ることは難しいかもしれない。

そんな感覚を、布に対しても思うようになりました。

素材が語りかけてくる

布を使ってなにかつくるとき、

最初は「これはスカートにしよう」と思って買ってきても、布をさわっているうちに、なんだか違うな、と感じることがあります。

布を触ってるうち、「こうしたらいいよ」と教えてくれるように、アイデアが浮かんで、当初予定したものとは違うけれど、予想したよりもいいものができたりすることがあります。

その感覚が、とても嬉しかったのです。

わたしは、わたし自身がこれを表現したい!!という意欲が希薄でした。

昔は絵を描くのが好きだったけど、何を描いたらいいのかわからなくなってしまってから、あまり絵を描かなくなりました。

いまは、アイデアがなくても、素材が何かを語りかけてくる。

その語りかけに耳を澄まして、手を動かした先に出来上がるものを見ると、あぁよかった、布が活かせたかなと嬉しくなります。

なんでも、素材が最大限に活かされていることがうれしいのかなと、最近思います。

また、当時、ティクナットハンという禅僧の方の本からこんな考えに出会いました。

顕現 ということば。

例えば、農夫は、種をゼロから創造することはできない。

でも、農夫がいて、種を蒔き土地を耕して育んで、果実を実らせることはできる。

創造するというよりも、そこにすでにある可能性を、顕す、形にすることの一助になる。

この考えに、なんだかとっても納得して、そんな、自己表現というよりも、なにかを顕現させることのできる役割ができたら、と思うようになりました。

これがわたしの夜明けへの一歩でした。

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