ベトナム行ってきたよ 〜その2〜

前回の投稿では、ベトナムのスタートアップのシーンが変わってきて、ベトナム国外で活躍する【越僑】がネット業界に参入をし始めたのが印象的だった、と書かせて頂きました。

今日は越僑について日本人の皆さんがあまり知らないお話をちょろちょろと。

ベトナムはフランスの植民地化にあったのですが、第2次世界大戦後に独立宣言を行い、1955年からベトナムが南北に分裂し第二次インドシナ戦争(通称、ベトナム戦争)に突入します。1961年にケネディ大統領が南ベトナムに4,000名の特殊部隊を送ることで戦争が激化していきます。ベトナム戦争についてはWikipediaをご参照下さい。

このベトナム戦争は1975年に終戦するのですが、この戦争の間に南ベトナムから国外に避難したベトナム人が数多くいます。皆さんは「華僑」という言葉は聞いたことがあると思います。「越僑」は書いて字のごとく、ベトナム国外で生活・活動するベトナム人のことを指します。英語ではOverseas Vietnamese、ベトナム語ではViet Kieuと言います。日本ではボートピープルとも呼ばれていましたね。海外ベトナム人協会の資料によると、その数300万人と言われています。ベトナム人に、海外で生活する親戚はいるか?と聞くと必ずといっていいほど数名います。


僕は2007年〜2012年までベトナムに駐在していたのですが、その間、多くの米国帰りのベトナム人(越僑)と交流しました。僕の親友の越僑のピーターやソンは、小学生になるかならないかぐらいの年齢で、沈没しそうな木製の舟に乗り、ベトナムから脱出しタイなどの近隣諸国から米国に避難しました。

出所:wikipedia

米国に到着してからは、快適な生活は保障されていなく、難民キャンプで過ごします。南ベトナムでは大企業の役員だったり、海軍の士官だった父親であっても、英語が話せなく仕事もないのでトイレ掃除などをして稼いでいたそうです。ピーターやソンは現地の小学校に通うも、最初は当然言葉も通じない。お金もないから、磁石に紐をつけて腰からぶら下げ、通学したそうです。学校につく頃にはくず鉄がいくつか回収でき、それを屑鉄屋に持って行き換金する、という信じられない生活をしていました。

そんな中、自分が幸せになるには、IVYリーグに代表されるような名門大学を卒業し、プロフェッショナルファームで働くことが一つのキャリアパス&サクセス・ストーリーでした。ゴールドマンサックスやマッキンゼーなどの会社でエリートになり、年間1億円以上稼ぐようなベトナム人も出てきました。アメリカンドリームですね。

国外で一定の成功を納めた者は、親戚が数多く住むベトナムに送金をします。送金額は政府が確認出来ているだけで1兆円規模。実際にはその2倍ほどのお金が送金されているというから驚きです。名目GDPが約20兆円ですから、10%相当です。

2000年代前半まで、こうした越僑のベトナム一時帰国に対してベトナム政府による監視の目が厳しかったのですが、年を追うごとに監視の目・規制が緩くなるにつれ、越僑2世・3世がベトナムに帰国して活躍する光景が増えてきました。

僕がベトナムに駐在していた頃は、主に金融や不動産のセクターで活躍する人が多かったと記憶しています。彼らは米国で最高水準の教育を受けていたので、ベトナムに戻ってから比較的成功する人が多かった印象です。ベトナム消費財・不動産の大手のMasan社の会長はロシア帰りの越僑です。

そういった越僑がベトナムのネット業界において米国拠点ではなく、ベトナム拠点で活躍する時代に突入したな、と今回の出張で感じました。グローバルでネット業界が成長しているので、当然の流れかな、と。500 Startupsでは米国帰りの越僑と現地人パートナーのスタートアップに投資をしていくと言っていましたが、こうした流れはベトナムならではのスタートアップ投資・コミュニティ形成に繋がっていく予感がしました。

次回のブログでは、米国帰りの越僑でネット業界で最も成功していると思われるTrung社長が経営するiCareBenefits社についてご紹介したいと思います。