地獄の門への旅 — Travel to the Door to Hell

The Door to Hell — Darvaza, Turkmenistan

日常生活において行き詰まったと感じたとき、私は旅に出たくなる。よく知らず、行ったこともない場所について調べている時間はとても楽しい。

しかし、お金や時間、やる気など様々な制約があり、実際に旅に出かけることは稀であった。

地獄の門への誘い

5月のある日、トリッピースを眺めていたら、上掲の写真を見かけた。トリッピースとは、利用者が旅行の計画を投稿し、一緒に旅行をする人を集めるための掲示板サービスである。私が見たページは中央アジア、トルクメニスタンに位置する「地獄の門」への旅仲間を募集するものだった。

地獄の門(The Door to Hell)はダルヴァザ(現地の言葉で「門」)という小さな村の付近に空いているクレーターで、その中では40年以上に亘って炎が燃え続けているという。

この地域は天然ガスが豊富に埋蔵されており、ガスの採掘調査が行われていた。調査中の落盤事故で噴出した有毒ガスを食い止めるために点けた炎が今でも燃え続け、いつしか「地獄の門」と呼ばれるようになったそうだ。

「地獄の門」の写真に魅せられた私はトリッピースで旅の仲間に応募し、見知らぬ人と1週間の旅をすることになった。3ヶ月近くの長い募集期間にも関わらず、応募したのは私1人だけだった。

旅の準備

ビザ取得

トルクメニスタンへの観光ビザは大使館で取得できるが、申請には「招待状」が必須となる。招待状は大使館では取得できず、入国管理局に申請を行う必要がある。その際は、パスポート、写真、旅程、同行するガイドの情報等を提出する。

通常は旅行会社に招待状およびビザの取得代行を依頼するが、これが取得まで1ヶ月~1.5ヶ月程かかるため、旅行を計画されている方は日程に余裕を持って取得代行依頼をすることをお勧めする。

ウズベキスタンでもビザは必要だが、こちらは個人でも大使館で簡単に取得できる。

航空券の予約

今回の旅行は航空券代を安く抑えるため、自分で手配することになった。

Expediaで最も安い航空会社を選び、同行者(以下、Yさんと呼ぶ)と連絡を取って同じ便を予約した。初めは中国南方航空のウルムチ経由でウズベキスタンの首都タシケントまで行く計画だったのだが、予約後に航空会社都合で該当の便が欠航になったため、改めてターキッシュエアラインズのイスタンブール経由を予約した。

なお、航空会社都合キャンセルの場合は、Expediaのカスタマーセンターに電話で問い合わせれば、元々の予約のキャンセル可不可に関わらず返金の手続を取ってくれることがわかった。

成田→イスタンブール→タシケント→サマルカンド→タシケント→ウルゲンチ→ヒヴァ→クフナ・ウルゲンチ→ダルヴァザ→アシガバット→イスタンブール→成田で合計約2万km(赤道半周分)の旅になった。

中央アジア

旅行会社の手配

「地球の歩き方」にも広告を出しているユーラシア旅行社という旅行会社に、招待状およびビザの取得代行・現地でのガイド・宿泊場所・交通手段の手配を依頼した。

実際に現地で動くのは現地の旅行会社なので、語学力に自信がある人は自分で調べて直接交渉してもいいかもしれない。ウズベキスタンには日本語を話せる人もそれなりにいる。

先日AirBnBがガイドのマーケットプレイスを提供する会社を買収したとのニュースがあったが、ガイドもそのうち直接交渉して手配する世の中になるのだろうか。

地球の歩き方を購入

旅行の準備をするために、中央アジアの「地球の歩き方」を購入した。地図、気候、歴史、観光名所の案内、注意点、ホテルやレストラン、旅行体験談が写真付きで紹介されていて読み応えがある。

中央アジア版には旅の言葉(こんにちは、ありがとう、月〜日曜日、1~10000の数字、トイレはどこにありますか?等)がロシア語やウズベク語、トルクメン語、キルギス語、カザフ語等で記載されていた。これが2,000円程度で買えるのだから素晴らしい。

成田空港へ

両替について

出発の日、成田空港で円からドルへの両替を行った。ウズベキスタン及びトルクメニスタンでは円を現地通貨に両替することが難しいので、出国前に一旦ドルに両替する。ドルは現地でそのまま使えることもあるし、両替も容易だ。チップのため5ドル札が欲しかったのだが、成田空港の両替所では入手できなかった。

同行者

航空会社のカウンターでチェックインした後、Yさんと合流した。Yさんは旅行が趣味で10ヶ国以上を廻っているという。同行者が海外旅行慣れしているようで、少し安心した。Yさんと会うのはこれが初めてだったので、緊張をほぐすため搭乗までの間に仕事の話や今まで行った国の話を聞いた。

イスタンブールへ

アタテュルク国際空港

成田空港を22:10に出発してから約13時間後、午前4時50分頃(日本とトルコには6時間の時差がある)にイスタンブールのアタテュルク国際空港に到着した。約半日後に出発する便でウズベキスタンの首都タシケントへ向かい、ウズベキスタンを観光した後、陸路でトルクメニスタンに入国する。

この空港は3ヶ月前のテロ事件で多数の死傷者が出た場所だが、中は非常に綺麗で、事件を感じさせるものといえば出入口や入国・搭乗時の厳重な警備、空港内を歩いているドーベルマンくらいだった。

アタテュルク国際空港はイスタンブールへの観光客だけでなくアフリカやヨーロッパ、アジアの広大な地域の人々がトランジットに利用しており、朝から夜までたくさんの人が訪れている。無料のWiFiは1階のスタバにしか無いので注意すること。

朝早くは地下鉄も動いておらず暇だったので、Yさんと空港内を探索した。空港のATMで両替し200トルコリラを入手したが、100リラ札(1リラは日本円で33円くらい)を出したところどこへ行っても支払を拒否されたので、空港に戻って再度両替してもらった。無駄な時間だった。

イスタンブールの地下鉄路線図 — アタテュルク国際空港にて

ガラタ塔へ

まずは地下鉄で空港からSishane駅へ向かう。目的地は「ガラタ(Galata)塔」という金角湾の入り口にある1500年の歴史を持つ古い塔で、イスタンブールの街を見渡すことができるという。

空港の案内所で聞いたところ、Sishane駅までは約1時間かかることが分かった。ガラタ塔の営業時間は09:00からだったので07:30頃までは空港で時間を潰し、その後地下鉄に乗ってSishane駅へ向かった。

イスタンブールの地下鉄 — 地下を走らないことも多いが地下鉄

Sishane駅で降り、ベイオール地区の旧市街を歩く。日曜の朝早くということもあって街は人がまばらで静かだった。ガラタ塔への道は急な坂が多く石畳が続くため、女性はヒールを履いていかない方がいい。

ガラタ塔はヨーロッパとアジアの境目にあり、アジア側を見渡すこともできる。景色が素晴らしいため普段は混雑しているらしいが、日曜の朝09:00は誰もおらず、並ぶこともなく快適に入場できた。

静かで風も心地よく快適だったので、1時間程塔で過ごしていた。塔の上では日本人の男性(Tさんと呼ぶ)に出会い、イスタンブール観光について情報交換した。

ガラタ塔の展望台にて

Tさんは1週間の一人旅で、イスタンブールからアテネに向かい、ギリシャを3~4日程観光して帰るという。これから金角湾の対岸にあるスルタンアフメット地区に向かうことを告げると、Tさんが前日にそこで絨毯を売りつけられそうになったことを教えてくれた。

同地区では多数の客引きがおり、観光客に近づき絨毯等の高価な商品を売りつけようとするらしい。Tさんは有料で入場できる博物館の中で話しかけられたらしく、油断はできないと気を引き締めた。

アヤソフィア

ガラタ塔を出発し、徒歩でガラタ橋を渡りスルタンアフメット地区へ向かった。ガラタ橋は釣りのスポットになっており、橋の上にはたくさんの釣り人が並んでいた。

スルタンアフメット地区はもともと東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルがあった場所で、歴史的な建造物が多数存在する。イスタンブールに行く際はぜひ訪れてほしい。

from Galata to Sultanahmet

ガラタ塔から1時間弱歩き、アヤソフィア(Ayasofya)へ到着した。

アヤソフィアは東ローマ帝国時代にキリスト教の聖堂として建設され、オスマン帝国の征服後はモスクとして使用された。現在は博物館として多くの観光客が訪れる人気スポットだ。中央の広間には巨大なドームがあり、壁や天井には綺麗な装飾が施されている。

Ayasofya

ドーム周辺の廊下にはキリスト教のモザイク画が散見される。オスマン帝国時代に壁で隠されていたものを剥がしているようだ。

Mosaic in Ayasofya

トプカプ宮殿

アヤソフィアのそばにはオスマン帝国時代のスルタンの居城であったトプカプ宮殿がある。宮殿内は博物館としてオスマン帝国時代の美術品や武器、建物が展示されている。入口や宮殿内の庭園には小銃を持った兵士が立っており、ちょうど数ヶ月前に起きたテロやクーデターのことを思い出させた。

トプカプ宮殿 — 挨拶の門

宮殿の宝物庫では長さ2m以上の剣を発見した(撮影禁止)。

それは剣というにはあまりにも大きすぎた。大きく、分厚く、重く、そして大雑把過ぎた 。それは正に鉄塊だった。

絨毯屋

スルタンアフメット地区では多くの人に声をかけられた。流暢な日本語又は英語で話しかけられた場合、それは100%の確率で絨毯屋である。

事前にガラタ塔でTさんに注意しろと言われていたにも関わらず、親切にイスタンブールの歴史を日本語で説明してくれたおじさんについていき、絨毯を売りつけられそうになった。

東京は遠い

スルタンアフメット地区には多くの観光スポットがあるため、1日で全てを廻ることはできない。日本に帰国する前にもう1日イスタンブールに寄る予定があったため、帰国前に廻る場所を確認した上で、夕方には空港へ戻ることにした。

ウズベキスタンへ

18:10発の飛行機でイスタンブールからウズベキスタンの首都タシケントへ向かった。フライトの時間は約4時間だが2時間の時差があるため、到着した頃には日付が変わっていた。

タシケントの空港には日本の空港のようなウィングは無く、着陸後はタラップを降りてバスで空港へ向かう。Passport Controlは係員が少なく(2~3人)、非常に混み合っていた。入国の手続で1時間以上かかったのはこのときだけだ。

入国後は税関の手続が待っている。ウズベキスタンでは入国時に現金の残高や高価な所持品の明細を申告する必要がある。嘘をつくと見つかった時に面倒なことになりそうなので正直に記入した。

申告書は2部提出し、1部を控えとして返却される。これは出国手続に必要なため、厳重に保管すること。

イスカンダル

税関を通過した後、ガイドのイスカンダルと合流した。「すき家」のジャージを着ていたので、すぐに合流することができた。聞けば日本のすき家で7年ほど働いていたという。普段は牛乳を売る会社で経理の仕事をしており、ガイドは副業らしい。彼曰く、専業の観光ガイドは殆どいないようだ。

「イスカンダル」という名は古代マケドニアのアレクサンドロス大王を指すアラビア語・ペルシア語の名前で、某アニメの影響で日本人には馴染み深い名前かもしれない。本人も気に入っているようだ。

宇宙戦艦ヤマト

宿泊先のホテルに着く頃には午前2時を回っていた。翌日は朝7時の列車でサマルカンドへ向かう予定だったため、3時間しか寝られなかった。

サマルカンドにて

タシケントから高速鉄道で2時間のところに、「サマルカンド(Samarqand)」という都市がある。紀元前からシルクロードの中心としとして栄え、モンゴル帝国の襲来で一度は破壊されたものの、ティムール朝によって復興した。レギスタン広場を中心に、ティムール時代の迫力ある建築物を多数見ることができる。

隣の席の日本人

タシケントから早朝の列車でサマルカンドへ向かった。隣の席にTシャツ&短パン&サンダル姿のアジア系旅行者がおり、スーツケースに足を乗せて休んでいた。地球の歩き方を持っていたため日本人だと思ったが、格好が怪しかったので最初は警戒していた。

話しかけてきたのは向こうからだった。彼(Oさんと呼ぶ)はiPhoneの充電ケーブルを飛行機に忘れてきたらしく、バッテリーが切れそうで困っているという。私の充電ケーブルでOさんのiPhoneを充電している間、旅行の話で盛り上がった。イスカンダルは隣でYさんを口説いていた。

イスカンダル(左)、私(中)、Oさん(右)

Oさんは50~60ヶ国を旅行したことがあるベテラン旅行者で、ここには書けない興味深い話をたくさん教えてくれ、あっという間に2時間が経過した。Oさんの話を聞いて、次の旅行先を決めた。

意気投合した我々は連絡先を交換した。聞けばOさんは日本で弁護士をしているという。失礼ながら、人は見かけによらないものだ。Oさんは名刺を持ち歩いていたが、旅先で自己紹介するために名刺を持ち歩くというアイデアは悪くないと思った。

イスカンダルは親切心からか、我々がサマルカンドに到着する頃に駅へiPhoneの充電ケーブルが着くよう手配してくれた。Oさんは代金を支払うと、タクシーでホテルへ向かった。また会うこともあるだろう。

レギスタン広場

レギスタン広場 — 最近亡くなったカリモフ大統領の葬儀もここで行われた

レギスタン広場はサマルカンドの商業の中心地で、ティムール朝時代に建設された3つの巨大な建物が並んでいる。これらの建物はメドレセと呼ばれるイスラム教の神学校で、数多くの学生がここで生活を共にしながら勉強していた。なお、教師の給与など学校の運営費は、併設されたキャラバンサライの宿泊費で賄われていた。

上の写真右のおじさんの背後にある石は、メドレセ建設時に大工達に毎日無償で食事を振舞っていた肉屋の墓らしい。代金をもらう代わりに自分が死んだら広場の端に埋葬してほしいと要望し、希望通り葬られたそうだ。

シャーヒ・ズィンダ廟群

通りの両側にはティムール朝王族の墓が並んでいる

レギスタン広場から2km程北東に行くと、シャーヒ・ズィンダ廟群と呼ばれている場所がある。ここはイスラム教の預言者ムハンマドの従兄クサム・イブン・アッバースの墓とされる場所で、ティムール朝の王族も多数葬られている。王族の墓らしく、どの廟も綺麗な装飾がされている。

シャーヒ・ズィンダ(Shahi-Zinda)とは「生ける王」という意味で、イスラムの危機を救うために蘇るとされているアッバースのことを指しているのだとか。

壁のモザイクはサマルカンドの職人によって修繕がされているそうだ。レギスタン広場のメドレセ内にはモザイク修繕を行う職人がやっている土産屋があった。

出入口には長い階段があり、行きと帰りで段数を数え、同じ数なら天国へ行けるという言い伝えがある。Oさんと階段の途中で再会したが、どちらも段数を数えているところだったので簡単な挨拶をして別れた。

ちなみにアッバースは人気者で墓は複数あり、どの場所が本物かは分かっていない。

カリモフ大統領の死

ハズラティ・ヒズル・モスク — 丘の上にあり、テラスからはサマルカンドの街がよく見える

ウズベキスタンに入国する2~3週間程前、初代大統領で25年に亘り独裁を続けてきたカリモフ大統領が亡くなったとのニュースを見かけた。

カリモフ氏が葬られたハズラティ・ヒズル・モスクはシャーヒ・ズィンダ廟群のそばにあり、古くから旅人を守護する施設とされてきたそうだ。せっかく近くまで来たので、モスクでイスカンダルと共に大統領のためにお祈りしてきた。多くの人が訪れており、中には大声で泣いている人もいた。

モスクを出た我々は近くにあるシヨブ・バザールへ向かったが、月曜はお休みらしく営業をしていなかった。イスカンダルは埋め合わせのため、翌日も観光に付き合ってくれることになった(翌日はもともと半日自由行動だった)。

タシケントに戻り夕食をとった。レストランでは大きなパンが出てきたが、このパン同じものを至るところで見かけるのでウズベキスタンの国民食なのだろうか。

朝昼夕全てサラダにナスとトマトが入っているのでイスカンダルになぜかと聞いたところ「ナスとトマトの季節だから」と返された。一年中いろいろな野菜を食べられる環境の方が異常なのだ。

タシケント観光

地下鉄

タシケントにはソ連時代に建造された地下鉄が走っている。駅構内は撮影禁止で、常に複数名の警官がパトロールしており、写真を撮ると消すことを要求される。

地下鉄は発進・加速が急で何度も転びそうになった。東洋人が珍しいのか、ジロジロと見られることが多かった。

チョルスー・バザール

Chorsu Bazar

地下鉄でタシケント最大のバザールであるチョルスー・バザールへ向かった。バザールは複数の建物に分かれており、服や装飾品、野菜と果物、肉、乳製品、パンなど売り物によって出店場所が異なっている。

果物は乾燥させたナッツ、アーモンド、イチジク、アンズが多く、詰め合わせがお土産として売られている。服や装飾品は偽ブランド品が多い。というか偽ブランド品しか無いと言ってもいい。

旧市街

タシケントの旧市街 — 壁はコンクリート、土、生レンガ、焼きレンガなど様々

バザールから徒歩で40分程歩き、中央アジアのイスラーム本庁があったバラクハン・メドレセへ向かう。途中でタシケントの旧市街を通った。

上の写真で壁に沿って走っている管にはガスが流れており、ところどころ破れているのか微かにガスの匂いがした。

バラクハン・メドレセ

バラクハン・メドレセ

元々は中央アジアのイスラーム本庁があった場所で、現在は金曜日に礼拝のため使用されている。行ったのは火曜日だったので、観光客しかいなかった。

イスカンダルによると、ここには世界に4冊しかないオリジナルのコーランが保管されているそうだ。ムハンマドは文盲だったはずなので、オリジナルのコーランというものが何を指しているのかは分からない。

城壁の街

ヒヴァへ

昼の飛行機でタシケントからウルゲンチへ向かい、車でヒヴァに入った。フライトは約2時間、車は約2時間で計4時間程移動した。

イスカンダルは飛行機の座席ポケットにある雑誌に記載されている、ウズベキスタン航空が導入する最新の航空機に関する記事を勧めてきた。あまり興味がなかったのだが断るのも気が引けるのでざっと目を通した。

私が興味を惹かれたのは、同じ雑誌に掲載されていた日本旅行記だ。ウズベキスタン人のMalikaという女性が日本観光をする話なのだが、行き先がなんと福井で、禅寺で修行したり漢字の成り立ちを考察したりタクシー運転手のホスピタリティに感動したり、普段日本に住んでいると意識しないことが紹介されていた。こういった新しい視点を提供してくれるのも旅の良いところだ。

読み終わる頃にはウルゲンチに到着していた。ウルゲンチ-ヒヴァ間は電気で動くバスが運行しており、道路の上には電線が走っている。ソ連時代は他の街でも走っていたようだが、現在はウルゲンチ-ヒヴァ間のみだ。渋滞を招くので次第に消えて行ったらしい。

バスから電線へは虫の触覚のような棒が伸びており、見た目はとても可愛らしい。不覚にも写真を撮りそびれてしまった。

そうこうしているうちにヒヴァへ到着した。ヒヴァでは城壁の町イチャン・カラを廻る。

イチャン・カラの南門、タシュ・ダルヴァザ

城壁の町イチャン・カラ

イチャン・カラは周囲を高さ約10m、長さ約2kmの城壁に囲まれた町で、城壁内全体が世界遺産に指定されている。

城壁内部には大小様々な300程の建物があり、その中には17世紀の歴史的建造物や土産物屋、職人の工場、普通の住居、レストラン等がある。

イチャン・カラの特徴は18世紀の城壁がほぼ無傷で残っていることで、城壁内ではまるでタイムスリップしたかのような感覚を味合うことができる。

道も壁も200年以上前に作られたもの

日本人

夕食は城壁内のレストランで取った。我々の他に後から2組の日本人が来た。どちらも20〜30代の女性2人組だった。

東洋人の少ないウズベキスタンでここまで日本人に会うのはシルバーウィークだったからかもしれない。イスカンダルに聞くと、5月と9月はかき入れどきだそうで、やはり連休に合わせて来る人が多いのだろう。

停電

その日はイチャン・カラの南門至近のホテルに宿泊した。朝、風呂に入っていると、突然の停電があった。Yさんはフロントに電気が点かないと伝えに行ったが、私は懐中電灯を点けてゆっくり風呂に入っていた。

中央アジアに行く際は必ず懐中電灯を持っていくこと。

国境を越えて

国境

朝早く、ホテルを出て国境へ向かった。ヒヴァから車で1時間程でトルクメニスタンとの国境に到着した。

これ以上近づいて撮影すると、写真を消すよう求められる

ウズベキスタン側の国境では小銃を持った兵士にいくつか簡単な質問をされた。たまたまロシアからの旅行者が多く来ており、出国手続には時間がかかった。入出国が多い旅では手続をスムーズにするため、荷物はなるべく少なく、金属はなるべく持っていかないほうがよい。

トルクメニスタン側の兵士は暇を持て余しているようで、タクシーを待っている間ずっと話しかけてきた。Yさんのことをwifeなのかgirlfriendなのか聞いてきたのでstrangerだと答えると「crazy」と言われた。

しきりに「Please help me.」と言われ、意味が分からないフリをしていると呆れた顔で2ドル寄越せと言われた。兵士が怖かったので2ドル払った。

少し進んだところに立っていた別の兵士も「I have a problem.」と話しかけてきたが今度は向こうの奴も同じこと言ってたぞ、と言って乗り切った。

トレルとセルゲイ

入国後、ガイドのトレル、運転手のセルゲイと合流した。セルゲイはどう見てもロシア人でロシア語しか喋れないが、国籍はトルクメニスタンだ。ソ連時代に移ってきたロシア系住民だという。

トルクメニスタンではロシアのTV番組や映画を放送しており、ソ連時代の教育を受けていない世代でもロシア語は理解できるらしい(ただし会話は上手ではない)。

トレルはトルクメン人で、日本語・英語・トルクメン語・ロシア語が喋れる。日本語が喋れるトルクメニスタン人の観光ガイドはトレルだけらしく、仕事はたくさんあると言っていた。しかしガイドは副業で、普段はブドウ農家をやっているらしい。将来はワインも作りたいそうだ。

赤く囲んだのがヨーロッパブドウの原産地コーカサス地方で、トルクメニスタンからも近い

現在ヨーロッパで栽培されているワイン用ブドウはもともとコーカサス地方が原産地で、トルクメニスタンもワイン用ブドウ栽培に適した気候条件(降水量が少ない、1日の寒暖差が大きい、日照時間が長い)を満たしている。しかし、トルクメニスタンのワイン工場は旧ソ連時代の古いものしかなく、国産のワインはそれ程美味しくはない。トレルはそれを変えたいと言っていた。

棄てられた街 - クフナ・ウルゲンチ

国境から車で2時間程でクフナ・ウルゲンチ(旧ウルゲンチ)へ。アムダリヤ川の恵みを受け、10世紀から14世紀にかけてホレズム王国の首都として栄えたが、川の水系が変わったことで首都が移動し、後には建物だけが残された。

ここでは中央アジアで最も高い(高さ約70m)クトルグ・ティムール・ミナレットの他に、ホレズム王国関係者の廟など歴史的な建造物が保存状態の良いまま残されている。

クフナ・ウルゲンチの外れには大きな丘があった。トレルに聞いたところ、大勢の人骨が発見された場所だという。モンゴル帝国やティムール朝の侵略で犠牲になった人々が埋められているのかもしれない…

骨の丘

カラクム砂漠縦断の旅

クフナ・ウルゲンチから今回の旅の目的地であるダルヴァザまでは車で4〜5時間程かかる。凹凸のある道路でスピードを出すので舌を噛みそうになったが、Yさんはホテルで殆ど寝られなかったのか爆睡していた。

「砂漠」という言葉から砂だけで何もない景色を想像していたが、予想外に多くの植物を見かけた。掘ると水が出る場所もあるそうなので、地下水が充実しているのかもしれない。

私(左)とYさん(右)

ダルヴァザ — 地獄の門

旅の目的

その日の夕方、今回の旅の目的地であるクレーター「地獄の門」に到着した。クレーターの周囲は砂漠が広がっておりホテル等宿泊施設はないので、テントを張って野宿をする。

トレルによると、ここに来るのはドイツ人と日本人が多いらしい。実際、私が行った日にも数組の日本人旅行者がいた。クレーターの周りにはビニール袋やペットボトル、酒のビンが捨てられていて、観光客のマナーの悪さを感じさせる。

トレルとセルゲイが夕食の準備をしている間、地獄の門で写真を撮った。周囲にはガスの匂いが立ち込めており、長時間滞在しないほうがよさそうだ。テントは徒歩10分程離れたところに張った。

炎の門

夕食はバーベキューでミニ地獄の門を作った。トレルとセルゲイはテントやバーベキューの手際がよく、キャンプ慣れしていた。それもそのはず、地獄の門への日本人観光客を年間30組以上案内しており、毎回ここでキャンプをしているという。

セルゲイはどこからかハリネズミを捕まえてきて、自分の道具箱の上に乗せて遊んでいた。この辺りにはハリネズミやキツネが生息しているらしい。

夕食後、夜10時過ぎにもう一度地獄の門へ向かった。真っ暗な中、クレーターだけが煌々と輝いて見えた。門には虫が集まってくるため、それを狙って夜でも鳥が現れる。

地獄の門にて

炎をずっと見つめていると、心の中がきれいになっていく気がする。火炎崇拝をしていた昔の人も、火が悪いものを祓ってくれると考えていたのだろう。

動画も撮ってみた

トイレ

砂漠に限らず、トルクメニスタンにはトイレが非常に少ない。旅行の際は必ずポケットティッシュ(女性の方は傘やポンチョ的な視線を遮るもの)を持っていくこと。砂漠が我々のトイレだ。

砂漠の夜明け

朝日がきれいだったので写真を撮った。

夜明け

羊とラクダ

地獄の門周辺では羊が放し飼いにされており、朝になると集団で移動する。草を食べたり観光客の食べ残しを漁ったりするようだ。羊飼いは同行せず、羊は勝手に歩き回って勝手に家に帰るらしい。

道路沿いではラクダもよく見かける。ラクダも勝手に歩き回って勝手に家に帰るらしい。

水のクレーター

ダルヴァザ付近には地獄の門以外にも2箇所のクレーターがある。1箇所はガスが吹き出しており、地獄の門程ではないが常に燃えている。もう1箇所は地下水のクレーターで、どのくらいかは分からないがかなりの深さがあることが伺えた。

どちらも天然ガスの採掘調査中の事故で空いた穴だそうだ。

水のクレーター

白い街アシガバット

罰金

翌朝ダルヴァザを出発した我々は、トルクメニスタンの首都アシガバットへ向かった。

トルクメニスタンは国土の殆どが砂漠であり、アシガバットへ入るためには砂漠を通る必要がある。砂漠を通ると車は砂で汚れるが、汚れたまま首都へ入ると罰金をとられるため、みな洗車してから首都へ向かうらしい。

1回目は60ドル相当、2回目は120ドル相当、3回目は免許を剥奪されるそうだ(平均月収は500ドル相当)。

洗車をするセルゲイ

ニャゾフ伝説

トレルは言った。多くの観光客はガスクレーター(地獄の門)を見てウズベキスタンの方へ帰ってしまう。アシガバットに来ないとトルクメニスタンという国を本当に理解することはできない、と。

アシガバットへ入る前は言葉の意味がよく分からなかったが、来てすぐに理解した。この街はビルの表面が全て白い大理石で覆われているが、これは初代大統領であった故ニャゾフ氏の一存で決まったとのことだ。

ニャゾフ氏はトルクメニスタンの初代大統領として、数々の興味深い政策を実施した。

  1. 自分の著書「ルーフナーマ」を学校の教科書にする(コーランと同列)
  2. メロンが好きなので「メロンの日」という祝日を作る
  3. 年金を廃止(親の面倒は子供が見るべきとの見解によるもの)
  4. 自分が禁煙したので国全体でタバコを禁止
  5. TVのニュースキャスターの化粧を禁止
  6. 地方の病院を閉鎖(病人は首都に来るべきとの見解によるもの)
  7. 健康のため閣僚にマラソン(36km)を走らせる
白い街アシガバット — 建物には全てライトがついており、夜は街中の建物がライトアップされる

ニャゾフ氏の政策の中でも最もスケールが大きいのがこの白い街で、白い大理石の建物が最も多い街としてギネスブックにも登録されている。

トレルが首都に来ればトルクメニスタンの本当の姿を見ることができる、と言っていたのはこれを見せたかったからなのだろうと納得した。

ニャゾフ氏はインターネットの利用も禁止していたが、今では一部のWebサイトやアプリ(facebookやInstagram等のSNS)を除いてインターネットを利用することができる。

旧ニサ

アシガバットから西へ10km程行ったところに、紀元前3世紀頃パルティア帝国の首都であった旧ニサ遺跡がある。遺跡からの出土品はアシガバットの国立博物館に展示されていて、ここには城が残っているだけだ。

出土品にはギリシア風の彫刻が多い。もともとこの地域はアレクサンドロス大王の後継者(ディアドコイ)であったセレウコスの治めていた地域だったので、ギリシアの影響を強く受けていたのだろう。

現在も発掘調査は続いているようで、数名の作業員がいた。

旧ニサ遺跡の城壁 - 20年以上前はロープで城壁を登って観光していたらしい

旧ニサ遺跡は2000年以上前に建設された城だが、長年砂に埋まっていたこともあって保存状態は良い。城の内部では、当時の焼きレンガや生レンガをそのまま見ることができる。

今のところ周辺に焼きレンガを作る施設は見つかっていないので、旧ニサ遺跡で使われている焼きレンガは他の国から輸入してきたと考えられている。焼きレンガが使われている場所は王の間など一部に限られており、高級品であったと推測できる。

王が客を待たせていた部屋 — 焼きレンガが使われている場所は少ない

独裁国家の夜

首都アシガバットの夜は明るい。

ビルには全てライトが取り付けられており、夜の間ずっとライトアップされている。また、企業の広告がネオンサインとしていたる所に設置され、緑や紫や青など様々な色の光が街を照らしている。

夜のアシガバット — ダルヴァザでは空を埋め尽くす程あった星が全く見えないほど明るい

国民の暮らし振りはそれほど豊かではないが、首都をこのような姿にした人はきっと豊かな生活をしていたのだろう。

撮影禁止?

トルクメニスタンで写真撮影をする際は、ガイドに撮影していいか聞いた方がよい。私がトレルに聞いた撮影禁止スポットは以下の通り。

  • 国境
  • 空港
  • バザール
  • 警察官、警察署、行政機関の建物全般
  • 軍人、軍施設
  • モスク内部
  • 博物館内部

トルクメニスタンでは招待状取得の際に同行するガイドの情報を提出する必要があるが、これは後でガイドに観光客の旅程や撮影したもの等を確認するためらしい。トレルは私達と別れた後、入国管理局(?)に報告をしなければならないとのこと。

面倒を起こすとガイドが困るので、ルールを守って写真撮影しよう。

謎の施設達

アシガバットには大統領の銅像がたくさんあるだけでなく、謎の高い塔や施設が数多くある。世界広しといえども国会の前に観覧車が立っている国はトルクメニスタンくらいだろう。

中でも独立記念塔は、その高さから一際目立っている。

国家が危機に陥った際に引き抜いて武器として使えそうな独立記念塔

この塔の高さはドーム部分が27m、塔部分が91mで計108mだが、これはトルクメニスタンが独立した日(1991年10月27日)にちなんだ設計だ。

私はこの塔を見て「ゼルダの伝説」を思い出した。

マスターソード

塔の周囲にはイスラム教の偉人達の銅像(教義的に大丈夫なのか?)とニャゾフ氏の像(金色)が設置されている。

ちなみにトルクメニスタンは世界に4つしかない永世中立国の1つ(他の3国はスイス、オーストリア、ラオス)で、国連総会で永世中立国として承認されたことを記念する塔もある。

再びイスタンブールへ

翌朝、アシガバットを出てイスタンブールのアタテュルク国際空港へ向かった。何か悪いもの(おそらく果物)を食べたらしく、非常に体調が悪く熱も出ており飛行機の中で何度も吐きそうになった。

もともとはイスタンブールで最初の日に廻れなかった場所を観光する予定だったがとても動ける状態ではなかったので、空港で毛布にくるまって丸1日寝ていた。起きているときはミネラルウォーターにポカリスエットの粉を溶かして少しずつ飲んだ。心の底から大塚製薬に感謝しながら、飛行機の時間を待った。

事前にインターネットで検索した情報だと搭乗口付近のカフェで1ユーロでWiFiが使えるとのことだったが、実際には空港1階のスタバでしかWiFiは使えなかった。

帰国

帰国した私は寒気で震えながら家に帰ると、暖房をつけて丸一日の眠りについた。海外旅行の際は食べ物に注意しよう。

役に立ったもの

帽子

昼の砂漠は日差しが非常に強い。夏でなくても帽子は必ず持って行くこと。「MASTERキートン」というマンガで砂漠にスーツを着て行く話があったが、帽子の方がよほど重要だ。キートンはスーツと投槍器だけでなく帽子も持って行くべきだった。

ポカリスエットの粉

体調不良で食欲がないときにこれを持っていると助かる。ミネラルウォーターはどこでも安く手に入るので、溶かして飲める。かさばらないので荷物を圧迫しないのもよい。

懐中電灯

野宿や停電の際に役立つ。中央アジアではよく停電があるので、野宿をしない場合でも持っておいた方がよい。荷物に余裕がある場合は、机や床に置けるランタンタイプがおすすめだ。

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