これは「これはウェブページです。」への批判です。
これは「これはウェブページです。」への批判です。
感情移入しやすい物語や、安易な技術批判、パターナリズムに私たちは魅了されてしまいました。
私が書いた批判を、あなたが読んでいる。これは魔法でもなんでもなく、純然たる事実です。
かつてインターネット以前の日本で、『一杯のかけそば』というお涙頂戴ものの物語が流行しました。あなたのテキストから受ける違和感と、シェアされやすさは、その物語を思い出させます。
『一杯のかけそば』は、多くの人に知られることに成功しました。しかし一部の人がその物語の違和感に気づいてしまったことで、今では欺瞞の象徴として扱われています。作者は未だに失踪中とも言われています。もう物語は事件の証拠品でしかなく、誰も心を動かされることはありません。そんなものに心を動かされてはいけないと思っているからです。
一度作者を支持したにも関わらず、手のひらを返した読者たちが悪いのでしょうか? 私はそうは思いません。言葉を道具として「上手く使い」、読者の心の隙につけ込んだ作者が悪いと考えています。
ではあなたのページをシェアした人たちはどうでしょうか? 数年後もあなたのことを支持し、そのテキストに感動しているような人たちでしょうか? その前に、あなたが本当に伝えたかった相手でしょうか?
『一杯のかけそば』を「涙のファシズム」と言って批判したのは、日本の有名なテレビ番組の司会者でした。今、私は東京都目黒区の、その司会者が住んでいる家から1ブロックしか離れていない場所で、ブリティッシュコロンビア州にいるあなたに向けて、これを書いている。
私は2013年12月29日にこれを書きましたが、あなたは違う日時にこれを読んでいることでしょう。私はノートパソコンでこれを書きましたが、あなたは携帯電話でこれを読んでいるかもしれないし、タブレット端末やデスクトップ端末で読んでいるかもしれません。でも私にとって、そんなことはどうでもいい。大切なのは、ここに書かれている言葉そのものです。「ウェブの一番強力な道具」が言葉なのではなく、言葉の道具の一つにウェブがあるのです。
私はインターネットのインフラと、そこで提供されるサービスを利用して書きました。あなたの書式に則っていますが、あなたのようにピュアな振りを一切せず、自分の家族を持ち出したりはしない。使えるコードを自由に使い、好きなように書いている。
シンプルなページでも、伝えられることはたくさんあるなんて、わかりきった話をするつもりはありません。あなたがビジネスパーソンであっても、先生やアーティストであっても、そんなことは関係ない。とにかくあなたは技術批判の道具として言葉を利用し、人の情けに訴えかけるために自分の娘を持ち出して、多くの人々にそのページを読んだもらえた。実に上手くやってのけたのです。
そんなあなたに言いたいのは、言葉のことをもっと考えて欲しいということです。「言葉から始めましょう」と言うのであれば、あなたには言葉を道具として「上手く使う」以上に、言葉を大切に扱って欲しい。
私は決して言葉から始める必要はないと考えています。スタイルガイドやモックアップから始めてもいい。言葉を大切にしてるなら。
伝えたいことがあるだけで、余計な言葉を並べるのは無意味です。伝えたいことだけではなく、それを伝えることで誰に何が起きるのか。それを考えてから、書き始めてみてください。書き終えた後も、推敲を重ねてみてください。何かを足したいと思ったときは、「この言葉は、伝えたいことがハッキリする以上に、誠実だろうか?この書き方や言い回しは、読者の人生を助けるだろうか?」と自分に聞いてみてください。もしも答えが「いいえ」であれば、言葉を書く必要はありません。
言葉の本質は、あなたの精神性です。あなたの精神性は、言葉を発した後に考えるものではありません。あなたの精神性はコミュニケーションの始まりであり、中心であり、主役なのです。
オオバヤシ・ヒロシ
OVERKAST
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