まわりに巡るハリコの虎、虎の威を借りると、なにかに乗っからなければ己が実像でぬ仕切りれぬ者たち

中国はまだまだ大人とは言えない。 暗礁を〝島〟に見立てても、それはやはり暗礁だ。そんなことが許されるならどのくにも押っ始める。それは国際秩序のなかで許されざることだ。ハリコの虎ということばを世界に拡めたその当事者が、ハリコの虎になるようでは、なにを歴史から学んだのかと多くがおもうのは当たり前であり、それが当面の評価につながる。それをわからなければいけない。退くときには潔く退く。退き際を学習しなければいけない。

また米中ともに、軍を指揮できぬ、軍産複合体を指揮できぬ状況がより深刻な問題だ。 中南海は鉄砲が指揮するというお題目をすがって、軍の専横に乗っかって見せるだけで、その政治力の減衰の体裁を取り繕うことに終始するからこういうことになる。 我が国の場合は、軍産複合体がこのままではジリ貧だに乗っかって、一度ならず二度三度も失敗した理念にすがり、

またもや四度目の理念の自己確認のために緊張を作り出そうとする。これはサディズムとマゾヒズムのコアビタシオンではないか。またそうであろう。日本は日本でこれまた虎の威を借りるぽつねんたちでいっぱいだ。 なにかに乗っかろうとしなければ己が確認維持できない───こういう体制では、その国内外のこれから先はガタガタになるに決まっているではないか。 なぜそれぞれの体制が衰微しているのか、真剣に真剣を重ねなければいけない。

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