ソノ才ヲ見ルヨリ、寧、ソノ胆ヲ知ルヲ要ス -日本の対外分析力の基本的限界-

私が李明銖(日本のメディアでは李明秀と表記するようだ)の復帰(軍総参謀長)について考えることは、既に説明している、誰がどの地位に登用されようが代わられようが「組織の機能は一貫して遂行されるよう制度化」(事業検閲指導体制)が鎖状の構造で徹底しているために、西側が考えるような理解の視線では意味が殆ど見えないということである。李明銖が忽然と姿を消したのは金正日総秘書の晩年の夏、元山農業大を現地指導してからである。金総秘書の葬儀に名簿に名が現れ、以後人民保安部長の地位を襲っても殆ど「北」内外の報導には領導核心の人物としては登場して来ず、金総秘書の両輪である、玄哲海氏とともに現役を退いたとみられていることだったが、あの特徴的な頭のことであるから、気づく人には気づいていた。数々の軍関係協議会、会議の模様を写した映像のなかにそれは見出される。殆ど中枢外の席で昔日の部下たちに列んでメモをとっている彼の姿だった。しかしその多くは私摘しているように失脚という見方───西側の見立てで総じていた。

私は2009年の夏に、日本の対外分析の限界について、またそれを克服することを真剣に再考すべきだとして、以下の文章を書いた。

「それは金総秘書の後景に立っていた軍人の姿を修整せざるを得なかったからだ。向って右から、張成沢国防委員(労働党中央委部長:義弟)、白世鳳国防委員(第二線一名軍需担当)金英春国防委副委員長兼人民武力相、一人置いて、玄哲海大将。この「一人置いた」軍人だろう。金総秘書正面顔右に軍帽が見える。序列的に恐らく中枢軍人に相違ない。李明秀大将であるならなにも隠す必要がない。同大将の動静かに異変があるとするなら、遡って七月十四日の大同江タイル工場現地指導から、同大将の存在を消さなくてはならないが、それは現時点でも為されていないから、同大将の異変は考えられないと判断する(参照3後列○)。

この軍人を隠すために、金総秘書の写真を先ず写真から消去する為に抜き出し、出来得る修整を加えて、総秘書を元に戻すといった作業によって十八日発表にならざるを得なかったと推測する。『偉大な領導者』の姿を抜き出し修整するからには、重大な秘匿事由が存るものだということは誰でも判るのだが、ではその人物が誰であるのか。こうすると、それは『後継者に違いない』といとも分析を省略して語ってしまう御仁が多いのであるから、それを踏まえたとしても『不明』であるとして置くのがスタディの良心だろう。考えなければならないのは、この水力発電所が相当な力を入れている。国家的プロジェクトの一とつであること、そしてこれまでの公開写真にはその基底部がまったく公開されていないこと、そして慈江道が、一大地下軍需工場の密集する山岳地帯であること、抔等である。先ず自然に軍需工場への電力供給を更に増産し安定化させるという強い意志が働いていること、それは居並ぶ、国防委員会中枢幹部と側近の姿でも明瞭であるし、これまでの写真とは相違して、建設場の基底部に何かがある。これが『後継者』憶測よりも大事な点ではないか。憶測の域であることを前置きすれば、米国の地中貫通爆弾から、より地下軍需基地を防禦する為に、人造湖下に軍需工場を移設ないし新築しているのではないかという推測を持つ。写真一葉乃至は数葉を手掛かりに、さまざまな検討と分析を行いつつ、そして叉、意図的に配信される可能性にも留意しつつ、時系列的前後と、北朝鮮の抗日遊撃隊内に産まれ、熟成されて来た、行動様式、序列様式、その外能う限りの知識的經驗を総動員しなければ、北朝鮮を解読することは一層困難であるし、最もそれに必要不可欠な態度とは、『観見双つの眼』を駆使できる意識であろうし、その薫陶なり研鑽を経た者ではないと、誤判を犯し続けてしまうだろうと惟う。すべては政治経済社会体制の基層を確実に抑えれば、誰が『後継者』となろうともその路線の幅が一定程度判断できる。それは即ち、『後継』の選択肢が限界測定出来るものであるし、その各種想定に対処する術を磨けば可いだけである。勿論変数も考慮に含まれるだろう。さすれば『後継者』報道に右顧左眄する必要はさらさらない。
共産圏のみならず、欧米でも写真修整は古からされて来た。米国もそうであるし(南北戦争にも見える)、欧州のそれも変わらない。問題を凝視する眼は、その消された存在に耽溺することではないと考える。とかく人間は消されたものに執着する傾向が有り、それが送像を逞しくしてしまい、根幹的な問題を見落としてしまいがちだし、修整する側もそれを意図的に狙ったものさへあるほどである。映倫のボカシに執着するばかりに全体画が喪失されるにも似ていなくもない。例えは俗であるけれども。消去に執着するのではなく、それは一つの手掛かり、材料に過ぎない。それをツールにして、数多有るツールの一とつとして扱い、問題の根源と測定を行う。こんな事を述べると、『そんなことわかってますよ』と宣はれようが、米国から日本を眺望する時、『出来てないですね、出来ている様に島国のなかで錯覚してる丈ですよ』と言いたくなる。その言いたくなるが、この日記の趣旨である。日本は日本人が考えている以上に、そもそも対外分析力を醸成し得ない体制で歴史的推移を重ねて来た。その典型はあのアジア・太平洋戦争の観念的な幼弱さに明らかだろうし、この遠源を遡れば、古代国家時代にまで遡れよう。対外情報分析のひ弱さはこうして考えて見ると、日本的体質なのではないかと意う。その基層の上に情報が湯水のように垂れ流されれば、ますます分析力が喪失するのは自然的帰結だろう。しかしそんな悠長なことも言ってはいられない日本なのだから、対外情報分析の専門家を高等教育の段階で育成する学究体制を横断網羅的と個別的な専門を組み合わせ乍ら創設することを提議し度い」

ゲリラ部隊を模型的な表象として見立てればたいがい「北」を理解できる地点に立てる。それこそ抗日遊撃隊体制という意味をである。ゲリラ部隊はリーダー、参謀、そしてコマンド、伝令で成り立つ。その様式を体制としたため、日本の人びとや私たちAmericanが考えるような固定的な組織と概念で生きる人間にとっては理解がそもそも通じない。臨機応変であり臨機応変の前にパルチザンは変身する。ベンチャー企業の方々でさへそのベンチャーを固定的な組織と概念を自己変革することがないから、日本のそれはいつまでも組織と概念に耽溺し続けるという愚を犯しそれをベンチャーといっているにも通じるが、人事は戦闘の前に意味をなすものではなく、その地位はかかる戦闘状況のなかで銃を撃たねばならぬし、偵察にも派遣されるだろうし、飯を炊かなければいけない───このような戦時下の部隊をイマジンするなら、「北」の人事がより理解できるようになる。
 李明銖氏がこの間なにを任務していたか───それは不明である。その不明が明らかにされる日は、十年か廿年後の記録映画で触られることになる。
 だがこの復帰について一つ確かなことは、軍内部の彼是でもなく、粛清云々といったことでもない。謂うなればかの信長が宿老を必要として軍議を評じたように、三代目が宿老を求めたということになるだろう。

「モシ臣下ト㕝ヲ議スルトキハ、ソノ才ヲ見ルヨリ、寧、ソノ胆ヲ知ルヲ要シタリ」

と『日本西教史』で描写された信長評のように、三代目は才ではなく胆を欲っし、その胆の参謀として李明銖の復帰を考え復帰させたということだ。これは父金総秘書が、崔光を総参謀長として復帰させた経緯を踏襲している(崔光は失脚後からの、李は引退後からのという経緯の違いのみ)。

嘗てアジアの大新聞でクレムリノロジーを専門としている幹部記者に会った折、殆どその専門家の知識を持っていないことにハリソン・ソールズベリー氏ともどもに驚き、あんなレヴェルで大新聞の幹部記者が務まるものだとおもったことがあるが、果たして日本はどれほど専門家の底上げがなされたのであろうか、甚だ興味があるところではある。

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