「何が悪いんだ」

-加速夏の陣を前に大坂は考えよ-


政宗さんの秀吉さん宛の書状で憶いますのはやはり秀吉さんの生々しい人間味とその生々しさに寄る人たちの群像ですね。官兵衛さんなんかその一人ですけれども、何十年も前の官兵衛さんのことばを覚えていまして、後年大阪城地震の見舞いに訪れた官兵衛さんに(太閤死亡の誤報が流布し武将たちがこぞって城で参城し折)、

「俺が死んだと聞いてさぞかし嬉しかったろう」

と一言申したそうです。信長死しを聞いた馬上の秀吉さんに官兵衛さんがそっとつぶやいたそれを忘れていない。私はいい話だとおもうんですが、考えてみますと大阪と秀吉さんは関係ない。確かに大坂は秀吉なわけですけれども、それは君臨者としての秀吉が大坂という丈のはなしでして、よそ者なんですね。そういうよそ者が君臨できた都市という難波の風土がある。元の中国みたいなところが有るように像しする。そこにはやはり均霑思想めいた風土もあるでしょうね。

それがいまや危ないとおもいますね。猛々しい、ササクレ立つっている。例えばよそ者をテレビの出演者に迎えることはあっても、大坂から排除して見物する───そのようなところがある。

加速度によって東京化が覆ったけれども、土壌としての大坂が否応なしに意識として強くなりこそすれ弱くならない。ですから日本がどんなに素晴らしいくにかばかりが持て囃されるのと同じくに、大坂いいところだけが強調されるようになった。これは望ましいところじゃない。加速度のもたらす国家の荒廃については好例がありますので、こんど触れたいとおもいますが、やはり加速は「何が悪いんだ」に行き着くんじゃないでしょうか。現実に覆っている実相の人心ではないかと私は悄然としておりますが。

なかにはカジノをやれば大坂は甦るんじゃないか───というアイディアが出てまいります。滅相もないことだとおもいますが、本気で考えているところの愚かしさが大坂だったりもします。根が単純で複雑なことは考えられない───今時でいう反知性のメッカというところもある。それは自慢するようなことじゃない。大坂砂漠───。ラス・ヴェガスがなぜ砂漠のど真ん中に巨費を投じて建設されたかです。

しかし、大坂から聞こえてくる音は、「何が悪いんだ」であります。やはり猛々しく、ささくれ立っている。

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