北海道補選におもふ


「日本の場合の対立軸のなさというのは、相手と議論するときの論の基礎にあるようなものを共有していないところにある」

私は石川真澄さんのいう保守対りべらる以前の領域にどのような問題、ありとあらゆる小から大、隣人から人びとまでですがそのすべてに「対立軸のなさ」を日本に診てしまいます。これはきょう投述しました北海道補選も左右です。
 経歴については補選前からきちんと説明すればそれで済むことだ……と野党候補について申し上げた。簡単なことでして、卒業証明書を選対を通して誤解があっちゃいけない、開示すればいい、しましょうで終わりです。選挙はルールの法ってしなきゃいけない。公選法にこれはあれは違反しているではないか、それはおかしいのではないかと指摘されたなら、検めます、徹底させればよいことなんです。どれも単純明快でシンプルで労力を必要とするもんじゃありません。
 所が、デマだネガティブ・カンパニアだ、差別だ、私はそれらと闘う……。どこから見てもすり替えにもならないすり替えです。なぜこんな簡単なことができないのか……。議員というのは当選したら、じゃ私に票を入れなかった人間は敵で、私はそれらと闘うという立場の職責かということです。こんな簡単な常識が覆されてしまう。立憲主義ってなんなんでしょう。選出された議員は選出地域全員を代表するわけです。そこで敵だ味方だの論理は平然と通ってしまうことになる。
 基礎のようなものを前提にしていない、共有していない……。こんなことはあいうえおの<あ>ですね。
 こうした論理を持ち込む議員が多すぎるから問題になっているわけです、日本の政治は。U・S・Aから鷲瞰していてです。それは保守だけの問題ぢぁありません。北海道補選がそれを露わにしている。
 保守が立憲主義を踏みにじるのは許せないが、私たち立憲主義を守る人間が法を冒そうが、なんだろうが立憲主義を守るんだから許される。まったく理屈にもなににもなっていない。たんなる無知無教養……手前勝手、ジコチュウの群像のはなしです。
 なにか根本のところで壊れてしまっている。

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