双つの年代は終わっていない

-私にも高笑いが聞こえてくる-


戦後七十年はやっぱり8月15日を境に「ハイ、一丁あがりィツ!」になったでしょ?。

いまどこにも日本から戦後七十年(終わってないんですね、未だ)にかんする話がなくなってしまった。
〝交戦権〟も左右うなんじゃないですか?……。そんなことを言うと〝交戦権〟だけは違う。憲法違反なんだからはなしが違うという非難を受けるでしょうね。けれども日本の若い方がどこでだか仰っておられたように、安保一括法案は憲法違反でもやってしまうのに、そのやってしまう人が、徴兵制は憲法に書いてないからやらないんだは矛盾してません?と私から見れば同じです。8月15日が申し合わせたかのように翌日にはケロッとしている。存命する兵士のみなさんは存命でらしたらまた来年インタヴューのほうお願いします!のあっけらかんのカーでおしまいの、<はい次……ィ!>に慣れ浸しんだ人心が、こんかいだけは!と言われてもそれはそうであればそれで結構だが、けれども───と私は根っからにおもいます。

双つの必要な総括が要る。それなしには新しい次元などはできっこない

こういう人心がいつどこでどのように始まったか……。またそれは、どの年齢までを100%洗脳させ、どの年齢からそれが変質し分岐し、どこからがそれを拒絶する年齢となるか───。
それを私は1980年代だと耳にタコができるほど対日向けの発言でしているわけです。戦後は終わっていないと、もう一つ1980年代は終わっていないという二重の意味で歴史と時代。その双つの必要な総括が要る。それなしには新しい次元などはできっこないと私は予示するあいだはいたします。

「でも、これだけは言えます。おそらく、ボスの名前は永久に分からないでしょう。もし、あなたがその正体を知ったら、驚くはずですよ。それではさようなら。二度と手紙は書きません」

或る事件の真犯人若しくはそれに連なるとおもわれる人物から、或る事件を執拗に取材していた記者に送られてきた手紙の末尾です。この事件こそ、この事件がもはや解決できないにしても、1980年代を象徴する標柱だと日本を考えるとき出来いたします。戦後七十年。遥か遠すぎてわからない、獲めずイメージができないのなら、どうでしょう、1980年代はできるんではないでしょうか?。そして現代日本のさざまな困難はまさにこの年代にすべて原因を求めることができるはずです。

終わっていない1980年代。

それはみなさんが見ている、目撃している、日々直面しているすべてではないかとおもいます

記者が記されているように、「高笑いが聞こえてくる」のです。私はそれを感ずる。終わらないからこその高笑いを感じますね。これほど終わらぬ1980年代を的確にことばした以外を日本語から探すのは困難です。

なにが終わっていないのでしょう?───。
それはみなさんが見ている、目撃している、日々直面しているすべてのあれこれにどこからか「高笑い」をその奥景に見えるもの、奥景から臨んでいるものだとおもうのです。みなさん自身が果たしてそうかも察れない。

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