結婚式にて -我が家のシトロエンDS21・プレステージュ・パラスIE

古典自動車 -どのような形式と内容で遺産できるか-


古典自動車を趣味とする人口はL.A.が全米一ではないかとおもうが、その高齢化が著しくなってきた。凡ゆる趣味が一世一代が殆であるように、この趣味も息子娘が継承できるものではないのだが、継承しようと試みる。なぜならクルマという物体だからで、そこに資産価値が生じていることが三次元で容易に判るからだ。だがそこには(売ればどれぐらいになるだろう)という弗に換金する発想が息子娘のすべてであり、伝えようとおもうのは本人許りであって、やがてその殆は売られてしまう。では古典自動車を夢見る人びとはどうだろうか。この人たちは確かにクルマが好きだ。熱誠的ですらある。だがしかし……。維持すること保存することの労苦を知らない。古典的自動車1台を所有するなら、その価値の二倍はかけないと維持出来るものではない。専用ガレージ、保存に要するオリジナル部品のストック、燃料タンクのケアを始めとする夜を日についでの彫心鏤骨。圧倒的多数が放棄し、磨かれたクルマたちのその後たるや転売に次ぐ転売の果てに朽ちさせられる……。そういう一部始終をみなが忌でも同気相求を通して知悉しているがため、仲間に預ける(決して「譲る」という概念とことばは用いない、私もその身になったら「暫時預かって貰えないか」になるだろう)ということになる。
 私のところに五台がやってきた。私自身は預かることが即ち、維持し保存する役割を務めなければならないことを意味することは識っているから、これはたいへんなまたことを引き受けたものだというおもいはある。ましてや自分の好むクルマではないからそれは一入だが、だがやはり応えなければならないだろうとお引き受けした。ただ一度お引き受けするからには、家族の揉め事まではお預かりできない。ご家族に譲るにせよ、私がこれと魅こむ人間に譲るにせよ御一任願い度いと申し上げたら、「そのつもりで」とのことだったので安堵する。
 私はひょんなことから……それまでクルマにはなんらの関心も興味もなかった私が、ここまでのめり込んだ発端はL.A.の所為とおもう。この地ほどクルマが生きる街はない。脚がなければ動けない街であり、ではその脚をなににするが生きる最初に決める街であり、そこには選択肢があり、ステップがあり、海があり、山あり谷あり、社交界あり。
 それでも、時代の変貌であろう、古典自動車はこれから厳冬の時を迎えている。嘗てはワーゲンだミニだとNON-Music ageを習作する若者たちもそれを必要としなくなった。テスラであり自転車になった。それはそれでそうあるべきものだと私は見送る心境だ。


ただ東アジアには譲らない。譲れないといった方が正しい。過去そういう依頼が多くあった。幾らでも出します……大切にさせていただきます……。しかし彼らは私の認めるような住居環境にない。日本の場合は素封家が多く、保存環境を持っておられる方が実に寡い。日本のお一人は地方の方で条件はクリアしておられたが、豪雪地帯。これはやはりお断りするしかなかったし、台湾、中国からのそれは手元に届くまでの車両の安全保障がそもそもできないことによるものだった。
 ましてや日本は自国製の古典自動車を私たちに譲ろうとはしない。だが世界のクルマは欲しいという、可也アンフェアな性格が強すぎ私たちの悪評を買っているところも多々あり、譲るをかなり難しくしているのも附言して置き度い。


これからの古典自動車の保存はU・S・A一国のみでも日本一国のみでも不可能な時を迎えようとしている。しかしそこに来て、保存するに耐え得る環境を等しく持っているくにとくにかを実体験として考えると、余りの事情の差、環境の差が大きいことを私はここ20年近く見てきた。
 果たして古典自動車どのような形式と内容で遺産できるか……を考えなければならないといつもおもっている。

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