小人間居シテ不善ヲ為ス

「日本では思想なんてものは現実をあとからお化粧するにすぎないという考え方がつよくて、人間が思想によって生きるという伝統が乏しいですね。これはよくいわれることですが、宗教がないこと、ドグマがないことに有関方面している。イデオロギー過剰なんていうのはむしろ逆ですよ。魔術的な言葉が氾濫しているにすぎない。イデオロギーの終焉もヘチマもないんで、およそこれほど無イデオロギーの国はないんですよ。その意味では大衆社会のいちばんの先進国だ。(中略)日本では、一般現象としては観念にとりつかれる病理と無思想で大勢順応に暮らして、毎日エンジョイした方が利口だという考え方と、どっちが定着しやすいのか。ぼくははるかにあとの方だと思うんです」

(「民主主義の原理を貫くために」・丸山眞男)

丸山さんの指摘どおり日本は「はるかあとの方」になったわけです。私もデジタル上で思わず笑いを堪えることが数目につくんですね。「私は安倍首相絶対支持です」───。こういう投書なぞきょうも見かけたんですが、これというのは日本の六十、七十年代の左翼運動のことばですね。反対側が躊躇なく使ってなんら恥じ入らない。また左翼嫌いは結構なんだが、ミイラ取りがミイラなんだろうとおもいますね。ネトウヨと称される人びとのスローガンなんかはおよそありゃ極左だとわたしは苦笑いしてしまうほどです。こうしたところに「はるかあとの方」がありますね。つまりどのような立場でも魔術的な言葉が生じ使役され氾濫するを繰り返すんだとおもいます。ただそれだけのことですから実になるということがないんでしょう。

丸山さん亡きあとの今。わたしは「エンジョイした方が利口」にもならぬ社会、なにがエンジョイかが不明となった社会。成熟し切ってしまった大衆社会のなかに生じてきた、小人間居シテ不善ヲ為ス───が色濃い支配となっている意いますね。

社会と人びとの価値観がダイレクトな米欧の受容の一方で、ぬか床のような日本の土層が互いの異質さ所以にこそ触れ合って異臭を放つ───。異臭を人びとは感じていたが、いまやその異臭をどこまでの人がまだ感覚することができているか───。
そのような状況下に日本は機能の不全から喪失の過程にあると思惟います。
問題は、大衆社会が行き着き切ったところからくる不明なのです、これはまったく処方箋が見えないんですね。

私たちU・S・A社会では不可視であり強い関心を抱く、日本のこれからだということは言えます。

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