構エノ有ルモノ召シ抱エル可カラズと以前からそれらの連中を評してきた

日本の野党の一部に就いて私が政治の障碍の一つであるというのはなにもその経緯のみの話ではない。

およそ世界各国の政党を眺めても、或いはまたそのなかの諸党との交際からしても、政党の行う諸政策に人びとの賛否。否定的な見解はあったにしても、日本のそれのような致命的な験を焼印されて政党はないということであり、且つ更にその政党の名を想起するとき、具体的な人名と顔が浮かび上がり皮膚的拒絶感を伴うという現象はまったくないことである。

私は日本の議会政治はもうその用を成し得ない状況下にあるという見方をしている。

つまりそれはその政党が政党には非ずという裁決を得ている───ということに外ならない。その具体的な人名と顔がまとまって解党を要求し、どこかの軒先にまた逃げ隠れするというのであるからいっそう致命的である。私は予てから<構エノ有ルモノ召シ抱エル可カラズ>と以前からそれらの連中を評してきた。つまり疫病神だということだ。そんな連中とくっつくと、看板を幾ら書き換え、塗り替えようとも焼印はついてまわるのは必定だ。

不分いのはその本人たちであるというのも疫病神らしい。ほんらいはこぞって政界から身を退くということなのだが、伊達に1980年代世代がため往生際がすこぶる悪い。

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