続・空中配線国家とその体制


華やかさのなかの清楚───。大葬儀でありました。御逝世の拂曉は太平洋から地響きの音を立てて唸る雷鳴と雨、そして御葬儀もお大豪雨という天地哀しみここに極まるかのなか、大統領夫人、歴代大統領夫妻、夫人、重鎮、日本からは駐日大使及び大統領尊名空母指揮官をはじめ、家族、そして私たち近親者による永訣が終わりました。生前の刀自にふさわしくユーモアあふれ笑顔がある送別になったことにみな無量のおもいであります。またきょうあすは、Celebration of Nancy Reaganに列して、服喪は終わります。
着替えのため自邸に戻り、少しの仮眠を取りまして、またしばし休述となりますが、この日々にもアジアそして日本からの飛報は耳に達しており、深い憂慮のおもいを抱いておりました。少し車中でまとめたものをここに投述致します。

日本は謂うなれば、火燵放任のなりゆく勢い───と言った方がかなりそのマンタリテ描写としたら精確ではないかと惟うんです。独裁というものは私たちが経験したようなそれではない。日本の人びととほど動員アプローチに応じないそもそもの素質といいますか、持っておりません。また日本の歴史を鷲瞰しましても、国家と呼べ得る装置に、動員させる劇場的な仕組みがありませんね。巨大なモニュメントの前に広がる巨大な広場も存在したことがありませんし、そもそも動員を可能とする都市の成立を経験したこともありません。ですから、日本で動員とされている経験を私たちが見てもあれは動員というものなのではないのです。動員というのは圧倒的数がなければチンケなものでしかない。動員とは鼓舞の集合的表現であり、政治芸術、統治芸術の方法でありますから、日本は幸運にもそういう装置も方法も必要なかったわけであります。これは自負しても構わない特質だと私はおもいます。

ですが結滞なことに、この特質は独裁は生じませんけれども、放任することによる、なりゆく勢いですね、少数の人びとが権限なりを不運にも独占して起こる勢いというものが動き出しますとなかなか止める術がないのです。自室か火燵かどこか───でテレビを観て、ネットを見てああだこうだは言えますし、またそこに意を注ぐけれども、そこまでです。ここが特質のもったいないところであります。

つまり<私>のままだということになろうかと顧います。なかなか<公>の自分というものが意識することができません。これは申し上げましたように、そのような国家の成立を経験していないという特質に起因していますね。私たちは<私>が<私>である自分、ここからは<公>の自分という切り替えがまず素質として出来上がっていませんと生きられない24時間の夜を日に次ぐという一生ですから、そこが大きく違うところです。ですが国家というものは自然にこれを要求する性格のものですから、日本の人びとはなにかに代替させねばならなかった。それが日本型システムと呼ばれるものであります。<私>は<私>のままで、<公>の部分を代行してくれる存在です。

移民された日本出身の方々との会話のなかに、道普請という<公>のはなしがありました。このはなしが深く印象に残っています。道普請とは地域のネイヴァーが総出で、道路、下水溝などを掃除する共同作業のことだそうです。必ず一軒に一名は出るそうなのですが、移民された方が日本を離れる頃(1995年からそれ以前)には、彼是の理由で出てこないネイヴァーが出てきたそうです。その代りにお金ですね、お金を出して代りにするというようなことが起こったそうです。この会話がなぜ私にとって印象深いかといいますと、共同原則というものが最も容易にお金で代替できるということが可能になってしまう<公>の衰退です。バブリック・グッドの衰退です。その方のお話では、祖父母、父母の時代には当たり前に総出で道普請が当たり前でした───ということですから日本の基本の基本は健全であったということです。未成立ではない衰退だということです。ではその後どうなったかと言えば、結局道普請ができなくなったため、行政にやってもらうことになった。行政代替というもので終止符を打ったとのことでした。ここに非常に重大な意味が生じたことは、この投述をお読みの方々もお分かり願えるのではないでしょうか。ここから起こってくるさまざまはすべてに反映してくる。

私が書きました、<すべての日本国民のみなさんに呼びかけます>の社会体制の再建、刷新はこの部分───夜を日につぐ線上から着手しなければならない労苦の伴う仕事であります。そう生やさしい仕事ではありません。既存の政治集団であれ、政党外政党であれ(私自身は政党外政党によらなければ、当面の再建の幾つかは達成されないものと惟います)、腰を思い切り落として、相当な覚悟と本気でかからねばとても、日本の歴史と時代が要求している再建に応えることはできるものではない───とおもいます。
司馬先生は配電盤を用いて明治を説明されましたが、私は空中配線とタコ足配線からこんにちの日本を説明しなければならない───配電盤は確かに仕上がっがそれも老朽化しており、レストアしなければならないでしょう。ですがそれより更に重大である問題は、配線なのです。そうおもうものであります。