覆し、覆される過程で人びとがそれぞれに到達すること


「同性婚合法から一年。この法も発議され否決され、また再発議され否決されでした。どちらが諦めるまでこれを鎖環すということになると、日本の人びとは『それはちょっと違うんじゃないのか?』という意識に陥りがちですね。ですがこれが決定参加民主主義なんです。主役は大衆です、群衆です。私たちは負けました。負けたという意味はちょっと違います。それはギャンブルの感覚、日本の合戦感覚です。そこからは決定参加民主主義の勝ち負けの意味はわからないはずです。問題が発議される。発議までかかる労力と時間───人間が集まって発議を提案するまでには膨大なそれが費やされます。瑕疵があってはならず誰にも訴えられる内容とするために努力が必要です。同じ志の人びとの内部で、想定問答が厳しく闘わされる。穏健と急進のせめぎ合いもそうですね、それを通して彼らのなかでの遍くが姿を表す。それが歴史と時代にとって先走り過ぎれば、膨大な時間をかけた闘技において否決される。可決されても、反対する意思は同じ努力を重ねて再提案をして覆す───。

その覆し、覆される過程で人びとがそれぞれに到達する経緯───これが決定参加民主主義の生命力であります。これを私たちは生まれてから死ぬまで続けます。それがU・S・Aでありカリフォルニアであります。負けたという意味は根負けを意味しているのではありません。それを感ずる人はまだU・S・Aへの移民歴が短い人びとでしょう。そうではなくして、相反する問題を闘わせるなかに到達した認識がある。その上で再提案はもう必要ないだろう───なぜならこの間私たちは、社会が大きく変わったことを隣人との人との対面を通して知ったからである───があるのです。日本の選挙は勝ち負けだそうです。それはそうで議席を巡る闘いなのですから、それは当然です。だがその当然の下地に、決定参加民主主義がありませんと、その勝ち負けの意味が違ってしまう。ギャンブルか合戦のようなものの価値しか生じない───ということなのです。日本は新しい下地を再度敷かなくてはいけない。それは不便であり、遅いことであり、すべてを省略しないことであり、そして決定参加民主主義であることを希望するものです」