非合理に非合理を重ね後の祭り劇を繰り返す社会心理

兎角その素行に問題が存る議員を、国務相に任命するという非合理さ、また自らの破廉恥な性癖者であり、愛人を秘書に用い、その金銭の使途たるやあまりにも杜撰な議員がこれを辞退するのではなく、喜色満面にこれを受けるという非合理を合理で分析して見せたところでそれは問題を合理化するだけだという過ちを幾度も犯し続けることになってしまいます。そしてすべては「後の祭り」をこのようにして繰り返す。復興相という職責もいまや割り振りポスト化している。この職責が設けられた意識のおもいはもうどこにもない。これも非合理で理解する以外にはないでしょう。

「非合理は非合理でしか認映し得ない」(2014.12.5)

昨年の国家議会選挙について縷々投票以前から私が投述した一連には、日本の政治は政治学からでは説明することは困難であって、社会学、社会心理学から説明するのが妥当なのではないか、それが精確を期すだろうという流れはこの一年の点検で明らかでありました。

「人間が理性よりは、また理性そのものが人間の漠然とした不安や空虚さや無気力といった状態への働きかけができない状態に、私たちが自己の利益に出発し合理的に考え行動することを想定する近代の政治は深刻な矛盾に陥る」(2014.12.5.)

「私は政治に絞りこんではこの現象は理解できないと意います。社会に漂う空気圧もさることながら、バネが効かない状況も含めてを獲かまないといけない」(2014.12.5)

とにもかくにも「手を出したがる」「捨て鉢」の社会的気風はみなぎったままです。これが霧散する兆候。霧が晴れてゆくような兆しはまだ日本には認められない一年でありました。可変型税率にしても、私なぞは税金というものはそもそもなんであるかを、獲み直さなければいけない、徹底指導しなければいけないとまで念はざるを得ないのです。そもそも税金はドイツ語で云うSTEUERの原語である、SHUTZ(支援)とHILFE(援助)からなる概念と意味です。領主は人びとを保護する義務を負い、そのために人民は領主を援助し支援する。その援助し支援するかたちが税金なのでありますが、果たしてこの意味を日本の国家議員のどれほどがちゃんと大学生ぐらいまでですね、備わっているかということです。まず大方の議員はこんなことも勉強してこなかったのではないでしょうか。基礎、初歩を欠いた体だけでかくなった者たちが政治をしては、それは非合理に非合理を重ねる以外にはありません。社会経験すら人並みではない者ばかりが国家議会の成員になりたがりまたなる。一部の素行不良の問題議員が、与党の外交部会副会長職に就けるなぞという愕くような人事にもそれは言えます。いったいその議員が外交のなにを識っているか───。具えているか。

「どうやら可変型税制がお分かりではないようです」(2014.12.5.)

「『トニカク陸軍ハ手ヲダシタガル癖ガアル」『斯クテハ捨テ鉢ノ戦ヲ(海軍の上奏に対して)スルトノコトニテ、誠ニ危険ナリ」。昭和天皇のご軫念とご憂慮をまた追憶する日が日本には近づく。日本の組織の習性。『手をだしたが」り「捨て鉢の戦」をしたがることはまったく変わっていないどころか変質を見せている。人は失敗から学ばないものと開き直られては致し方ないが、どうもわが国は失敗から学ぼうとしつつしくじりをし、再び失敗しないようになっていくのであるが、日本はそれが当たり前で安心してしまう」(2013.12.5.)

非合理に非合理を重ね後の祭り劇を繰り返す社会心理が行き着く先は、捨て鉢の戦いでありましょう。改善の見込みが来年なければ、おそらく日本は各方面においてこの捨て鉢感によって覆われることになると予観するものです。