鴎外の悲愴感

議会がその機能を喪失した

一片丹心ということばがあります。 日本ではまったく使われていないことばです。責任あるnoblesse obligeを帯びる者は、必ずこれが赫光し続けている。すべては人民と国家を廿四時間考え、心配する、これでも足りぬ、それでも足りぬの一生に就くこと。やってられない任務なのでして、誰もやりたがらない、やるにしても尻込みしてしまうほどの嫌な責務。日本では誰もがやりたがる手をあげたがる。そこがおかしい元々です。ほんらいそういうものではない、政治の世界は。貧乏くじを敢えて引くものでしてね。 第二線になれば余裕は出てくるものですが、そうなりますとその余裕を占めてしまうのが政治です。やはり第一線が気がかりで仕様がない。日本の第二線にもそういう方々がおられると意いますが、やはり議会がその機能を喪失したことについて、重大な憂慮があろうかとU・S・Aより惻隠の情を感じます。大阪出身の女性議員にしても、滋賀選出の中出し議員にせよ、そしてパンツドロボーの大臣にしても、議会が罷免できない。きょうもあすも歳費が支払われ続けている。そんな余裕は日本のどこにもない。 みなさんは就職面接官ではないのです。そこを取り違えている。また就活の応援団でもなければ、家族関係者でもない。

鴎外が案じに案じ続けた国家の藩塀

議会の機能が喪失すれば、それは行政が代行せざるを得ない。そうした時代の流れのなかに日本政府もあるでしょ。それを狙ったかどうかはこの際問題にはならんのです。そうした流れが着実にあったということです。 政局だけで面白い、つまらないだけが政治だという理解の永き日本に、やはりその出演者たちの質が、日本人の質の反映である以上、決定的に失墜した。しかし観客たるみなさんは政治家のせいにする。そして〝陳腐な学芸会〟だ〝つまらない〟と仰る。じつはU・S・Aから診ていれば、みなさんが〝つまらない〟のです。そもそもみなさんのなかから代議士が選出されてくるからです。みなさんの質の問題だということになる。そういう考えでいきますとですが(私はつまらないとは寸分も思っていませんが、そういう発想で言えばということです)。

日本の世評が芳しくないのも、日本のマンネリがこちらで看取されてきているからであるとも言える。
みなさんが選出した面々ですから、率直なところ、議会成員自体が〝つまらない〟、こんなものなんで憲法や先例でやらなきゃいけないのか、こんな七面倒臭いものは要らないという発想を持っているのも当然だし自然であります。しかしこれまでなんとかその一線だけは踏み止まってはきた。しかし堰は切られたと私はおもいます。不品行議員を議会が辞職勧告もしくは資格停止───そうしたことがもうできない事実で、私には自浄能力もさることながら、森鴎外が案じに案じ続けた国家の藩塀がどれほど日本では危うげ続けるものなのかという悲愴感(近代に日本は耐えられるのかという鴎外の中世近世を尋ねる道のりで、はっきり獲んだ日本とその人びとがいたんです。くっきりはっきり見えたでしょう。ですから案じ続ければけばならなかったし最後までその仕事に没入したのです)がないことにそれは確かに私には鴎外と同じくにくっきりと見えてしまった。そして鴎外と同じく案じてならない。 1980年代世代とその末裔はいったん日本を荒廃させるでしょう。バブル世代はものをつくらなかった、壊した。おなじ発想はそのままであり、それが社会の任務世代を占めている以上、そうならざるを得ません。彼らにはつくる能力は一切ありません。その変わりくっちゃべる能力は人一倍は持っている。

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