Rethinking Japan・日本病として恐れる現象


きょうの🄰 🄱 🄲連投を概括すると、
この悪循環がもたらすものは、有為な人間ならそのような分かりきっている立場に手なぞ挙げるわけがなくなる。なにかがそもそもできるわけがないからだ。達成できない困難が眼前に既に存るからだろう。何かを成し遂げられるようなバックアップがそもそもない世界ではなにをも成し遂げることが困難な状況下に置かれる。

手を挙げる人物というのは、それらを分かりきってる所がある。信ずるのは自分一人。であれば確信犯的に、任期中であれ在職中であれ、あらゆる方法を用いて、私欲を貪って、稼ぎに稼ぎ、資産を倍増させるためにだけ使うようになる。批判なぞ識ったことではないだろうし、それらは日本のみなさんが具に指弾する対象人物とみなさんとの関係に露わだと診ている。そのような意味では究極の人間のつながりを絶った時代が産んだ人びとだということだ。そこに倫理と道徳の定規を充てて指弾されても痛くも痒くもない(最初のうちはその指弾に去ってゆく例が当たり前だが、だんだんと免疫がついて、まったく動じなるなる人どもが増大してゆく)。そんなことは百も承知で手を挙げるわけだから。

だから見よ、何人であれ究極かそれに近い確信な自分という個人に対しては為す術がなくなる。社会というのは誰もが「だいじょうぶか」と八方睨みにしている面持ちがなければ、日本のような事態に陥り、抜け出すことは容易ではなくなる。

これが日本病として私たち(我がU・S・Aは次々と迎えるそれぞれの多様な価値観を迎え続ける社会そもものが更新力を保持できるが、およそ単一の似通った諸国家とその社会には脅威である)が恐れる現象なのだ。

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