Rethinking Japan・「結語・新潟は北陸ではないと私説を公を押し退けても展開する人間たちと我がLe Cirque体験」


「当たり前のことを私説がわれこそはと押しのけて紛紛する社会というものは公の否定ですから、こりゃたまったもんぢぁない。スプーンはスプーンぢぁない、右手は右手ぢぁないなどといった私たちの約束は過去にも将来にも自分で考えて自分の臍下丹田に収めておくことです。そうしたことが押し退けられた自意識過剰───全能感の塵芥が多すぎる困難はやはり指導しなければなりません。掣肘を加える必要があり、これはどのような体制とその社会でも同じであります。


そこで私自身の体験を挙例してお話し結語にしましょう。『ティファニーのエチケット集』は検討されるべきものではありません。分析の対象でとなるものでもありません。それは身体が───社会的身体が機能として記憶すべき動かぬ事実と行いが整然と指導されてているものであります。このエチケット集は、日本では最高級リゾート・ホテルなどにも備えられている小冊子だとは存じますが、これがお約束です。フォーク・ナイフの取り扱い方、魚料理の食し方、会話のありかた、中座の方法───このような礼法を私設が押し退けるにはその礼法をきっちり身体にしそれが十年、二十年と我がものと万遺算しつつある上に、自ずと自らの独自の人格が編み出してくる風格のなかに自然現れてくるものでなければならず、またその通りのものです。これがエチケットの全般に通じるものでありましょう。


そこで体験なのですが、以前ラス・ヴェガスに旅した時のことです。この旅は日本でもたいがいの方はその名を知っておられる方とその夫人、そしてご長男とそのフィアンセとの会食を目的とした小旅行でありました。その仏国でも著名なレストランで会食をした際のことであります。U・S・A内外の正装の客人たちの席でありまして、私も正装でありました。事前に正装であることはその夫妻にも伝えておりましたが、ダイニングに導かれる前のバー・ルームに現れたいでたちはとても西洋でいう正装ではなかったものです。私も総支配人も動揺を隠して努めてこれを迎え、一同大ダイニングに着座し食事が始まります。私たちのテーブルは大広間の真ん中の卓で、その後方に黒服のボーイが一人に二人ですから、10名ほどが立座控えるなかに始まりました。前菜からそのご主人がこう仰った。『MANPYOさん、フランスでは料理は手づかみで食べていたんですよ。それが制式な食べ方なんです』と。そこからです手づかみですべて食べられ、スープはカップを持ってズーズーズを始められた。夫人はこう仰った。『フランスでもイタリアでも料理は家族で分け合うんですよ』と。そこから始まったのが、各自銘々の料理を時計回りに、逆回りに回し始めたのでした(それ以上に卓上の上を『それちょっとちょうだい』と皿が飛び交い採ったり取られたりを中腰で立って始めたのです)。私は迎えるホストの一人ですから遵うのは当たり前です。相手が不調法でもその不調法を矯めることはできません。大広間な内外の賓客の視線は私たちの卓に集中しておりました。その集中する視線がどのようなものであったか。それは最高位級の方々ですから、生まれてよりそのような世界で育ってきた賓客であるがゆえに助かったがあります。決してその目に軽蔑の視線は現れないものです。しかしそれに感心する視線ではないことは当然です。それは周囲後方を銘々に控える黒服の諸君もおなじです。それをよいことに彼らの私説を進めたわけです。さすがにこれらを続けられば、大広間の空気ですね、格式は崩されることになってきます。黒服の態度が変わってきます。軽蔑に変わる。この変わる軽蔑とは公ですね、公の動かぬ約束を私説が押しのけたことによる破壊への我慢が耐えられなくなった。また許すべきではないことを決心したことなのです。

そしてご主人の担当の黒服がその円卓上左右に整然と並べられている各種ナイフ・フォーク・スプーン一式一切をこう言って引き下げました。『ユー・ドン・ニーディッ!』。そのことばは響く高音ではなかったが、賓客一同を代弁することばでして、そこから賓客たちは軽蔑の眼で私たちの席を射ていたものです。この会食にはまだその後の仰天する、私説───なんら裏打ちされない、誰とも公に共有されたことのない我流によって惨憺たることになるのですが、こうした事実を通して、日本の地方区分に私説を展開する人間たちのその病的性格がどのようなモノであるかを私は理解できるのです。


まさに、食機一式一切を不要だと称するご主人は、料理は回して食べる夫人は、新潟は北陸ではない、わからないと私説を公に、事実に作法を押し退けても当然という躾、作法の無礼者に同じであります。そして私なり私たちはそういう人間に対して、そのお説を前にして難儀する一方的な損をしなければならない。大衆食堂に出入りする人間が公の作法の極致というべき空間で大衆食堂の食い方をされるのを私たちはどうすることができるか───それが実際まかり通ってしまったということです。これには出入りを禁止しなければならなくなる。正装を案内しているにも関わらず、待機バーに現れたその出で立ちが公に相応しくないのなら通すことはできない旨を説明しお断りしなければならない。これが社会の崩壊を防ぐための刻下まさに正しく、眼前にある手立てではないか───これは日本社会全般に及ぶものであり適用できる手立てかと念います」