なぜ東京オリンピックのビジュアルアイデンティティーを真剣に考える必要があるのか

(この記事は2015年11月25日、テンプル大学東京キャンパスで行った講義を基にしたものである。You can read an English language version of this essay here.)
Mではじまる大事な言葉。

あるイベントや団体のアイデンティティー、つまり、理念や独自性をデザインするということは、モダニズムのレンズを具体的に反映していることを意味する。モダニズムということは、システムを基盤としたデザインを意味することにもなる。

1800年代、世界のビジュアル文化はヴィクトリア朝の美学に支配されていた。まだこの側面は残っていて、例えば、コカコーラのロゴに見られる。オリジナルのバージョンは1886年にデザインされた。いかにもイギリス調のレタリング。このロゴにはモダニズム以前のイギリス装飾主義が反映していて、何はさておき、「帝国」の象徴となっている。モダニズムはこのヴィクトリア朝の細やかさやうるささからの離脱だった。

未来派主義、

バウハウス、

そして、デ・ステイルのデザイナーたちは文化的美学を突き詰め、世界的なスケールで、様々なモダニズムの追求に影響をあたえた。これらのスタイルやグラフィック表現の簡素化・合理化は機械化の時代を反映している。

モダニズムのグラフィックデザインは次の項目で言い表すことができるだろう:

プロセス値:

  • 伝統的な形式と装飾的要素を排除
  • 簡素かつ直接的な解決法を探求
  • デザイナーの仕事のプロセスを真剣に思考
  • 直感的でない、秩序的な体系化されたメソッドを使用
  • グラフィックデザインの問題を解決するにあたり、理性的で客観的なアプローチを使用
  • 物事の関係性を形式と内容を通して思考

形式的なヴィジュアル値:

  • 幾何学的な形を使用:円、三角形、そして正四角形

(余談:バウハウスの神話でほとんど語られることがない事実は、バウハウス校での女性差別だ。女性は建築、グラフィックデザイン、プロダクトデザインの指導を受けることができず、大概、テキスタルデザイン科に回された。)

タイポグラフィー:

  • サンセリフを使用
  • タイポグラフィーの題材にコントラストをつけて表示
  • 印刷法、紙のサイズ、写真版の種類、標準化の様式など、実践的な問題を考えて作業

イメージ:

  • 手書きやイラストよりも、写真やモンタージュを使用
  • 白い背景のシルエット写真を使用
  • 地図やダイアグラムを使用
  • グラフィックのシンボルやアイコンを使用

これらのアプローチは、デザインをシステム化した努力が抽出されているだけでなく、モダニズムの思考と定義、そして、今日私たちが知っているアイデンティティーデザインの基盤を知る鍵になる。


モダニズム、システムを基盤としたアイデンティティーデザイン、オリンピック

1968年のオリンピックは真に総合的なアプローチでアイデンティティーをデザインした一番最初のケースである。それまでのオリンピックはどれもごちゃ混ぜのデザイナーたちによるもの、または、単に総合的なシステムが不在であった。(1964年の東京オリンピックもその一つである。

ランス・ワイマンは1968年メキシコオリンピックのデザインを仕切った人物。真に一貫的なシステムを創り上げた。

1968年メキシコオリンピックのアイデンティティーは、タイポグラフィーが中心となっている。ワイマンと彼のチームはまず上記のモジュール式アルファベットをデザインした。

1968年メキシコオリンピックのチケット。ワイマンと彼のチームの製作したイラストが見える。彼のチームは、ビアトリス・コール、ホゼ・ルイス・オーティス、ヤン・ストーンフィールドから成る。配色パレットはもちろんしっかりと決められている。

これらの広報を見ると、どのようにタイプフェイスが使われたかがよく分かる。

もちろんデジタルが発明された前の話だ。レタリングはすべて手で描かれた。1968年メキシコオリンピックのアイデンティティーデザインの美しさの一つは、そのモジュール性にある。成長可能なアイデンティティーなので、当時の美的感覚を反映することができた。

ステップ・アンド・リピートの性質を持つ、いくつものストライプが集まったレタリングは、様々な現場に適応できる。ロゴを拡張させたり。。。

自らを抽象化させて、当時、流行だったオプアートに成長したりできた。

このアイデンティティーは応用に関して一貫性があり、スケールは重要だった。

このようにアイデンティティーが風景の基礎構造に入り込めることに着目していただきたい。

アイデンティティーが切手にまで至り、他のグッズにまで及んでいるが、それでも総合的なアイデンティティーは失っていない。

アイコンや色がアイデンティティーの感覚をさらに強めている。まるで一つの家族のように感じられる。

その感覚は大きさが変わっても変わらない。

一方、1968年メキシコオリンピックの書面タイポグラフィーは、抑制されていて、機能を中心に考えられている。

しかし、このようにロゴと一緒に使われるとうまく機能してくれる。表現豊かなロゴがすべてをまとめてくれているためだ。スケールや空間について熟考・選択されて作られている証拠だ。

1968年メキシコオリンピックのアイデンティティーは応用性の幅広さとその人気度がすばらしい。

私が個人的に好きなオリンピックのアイデンティティーは、1972年のオリンピックだ。このダックスフントはヴァルディと呼ばれ、オリンピック初のマスコットである。

アイデンティティーのデザインは、オトル・アイヒャーを中心になされ、ロルフ・ミューラー、アルフレッド・カーン、トーマス・ニットナー、エレーナ・ヴィンシャーマンが支えた。アイヒャーが大変重要なデザイナーである理由は、彼のデザイン自体の正確さや表現の豊かさだけでなく、デザインの考え方にある。

過程:理想化型

グラフィックデザインのモダニズム運動の初期段階において、グラフィックデザイナーは、アイデアをスケッチしてクライアントに見せ、最終的なデザインはそのスケッチをもっと明確にしたものにすぎなかった。

過程:受け入れ型

アイヒャーはデザインの過程に関して強く説いた。特に、デザインという行為やプロセスそのものが課題の結果を導くものであるということを。彼が書き残した論理は大変重要なものである。

1968年オリンピックにおけるタイポグラフィー規模の変革が、1972年オリンピックのアイデンティティーデザインに反映している。が、今回はさらに楽しい。一つのタイプフェイスのグループが、様々なサイズで、きっちりとしたタイポグラフィーの基盤を作っているのである。

アイデンティティー全体がグリッドシステムを基盤とし、丁寧に、注意深く造られ、アイデンティティーの流れとつながりを確かにしている。

ここに設定されたタイポグラフィーのグリッドは、様々な言語がスムーズにコミュニケーションできるように作られている。ヴァルディ君もちゃんとグリットの上でデザインされた。選ばれた色は、オリンピック開催場所のローカル色を使用。太陽、山、ミュンヘンに咲く花たち。

1972年オリンピックの詳細のすべてがアイヒャーと彼のチームによって考えられ、建物の配置やオリンピック旗のデザインにまで及んだ。

オリンピックのアイコンもしっかりとしたグリッド上でデザインされ、世界に通用する情報グラフィックとは何かを見せた。

これらのアイコンは、現在の視点から見ても、最もダイナミックなアイコンだと言える。表現の幅広さ、空間の活用、そして、躍動感が並ではない。小さな規格でも。。。

大きな規格でもインパクトは変わらない。

この素晴らしい配色、タイポグラフィー、形式、構造はすべて統合されたシステムであり、1972年のオリンピックを推進し、体系化したのである。

エディトリアルデザインに応用する時、コンビネーションにかなりの柔軟性がある。

様々なルールブックのカバーデザインとして。

これらの連続性、視覚的「リミックス」を作ることで、アイヒャーと彼のチームは、アイデンティティーの生きた感じや統一感を皆の感覚に染み込ませることができた。

情報小冊子

切符やIDバッジなどの短命なアイテムもオリンピックのアイデンティティーとして丁寧に考えられた。

ポスターはすべて、オリンピックの配色パレットとタイポグラフィーを使い、複数トーンで、平面化された写真をフューチャーした。

オリンピック競技に関連したイベントもやはり同じようにアイデンティティーのシステムが適用された。

それはお土産にも及び。。。

外と室内のデザインにまでも。

アイデンティティーのシステムは公共にまで根強く広がった。

ミュンヘンの街全体が、一貫性とまとまりを持ったデザインシステムの応用で統一された。

オリンピックに関わるスタッフの制服にも至った。

観客や選手が助けを欲しい時は、一目でわかるようになっている。

一貫性があり、親切で、誰でも参加可能で、ダイナミックで、広がりがあること。ミュンヘンのオリンピックでこれらはとても大事なことだったのである。オリンピックがグローバルな行事であること、祝うに値することを真剣に考えていた。

最も基本的な要素に濃縮されたときでも、わかりやすく、合理的で、同時にオープンで、人間中心のデザインになっている。

ミュンヘンオリンピックに続くオリンピックはシステムを基盤にしているものの、1972年のオリンピックのような歓喜はない。多くはお高くとまっていて、

他のは堅苦しい。

論議を醸した2012年のロンドンオリンピックでやっとオリンピックのアイデンティティーデザインが再びエネルギーと躍動感あふれるものになったが、それまでの30年は見事に退屈なものだった。

2020年東京オリンピックのアイデンティティー

過去3年間、東京オリンピックのがっかりなアイデンティティーデザインは、東京都のコンペにより、不当な労働条件の下で働かされた学生によって背負いこまれた。

廃止になった2020年東京オリンピックのロゴ

佐野研二郎さんのデザインしたロゴが、複数の盗用疑惑を理由に、オリンピック委員会に却下されたあと、オリンピックおよびパラリンピック委員会は、一般を対象にしたデザインコンペの実施を発表。

これはコンペ用の二つのテンプレートの一つである。

委員会は応募されるロゴの制限要因(パラメーター)をすでに決めてしまっていて、ヴィジュアルの公式を設定してしまっている。

そしてこちらが委員会のサンプルテンプレートだ。JPEGフォーマットになっている。これは真の「システム」ではない。オリンピックのデザインに関するあらゆる思考を回避してしまうやり方だ。しかも、賞金はたったの ¥1,000,000(アメリカドルで$8000程度)である。

あなたのデザイナーとしての権利を放棄

それだけではない。一旦応募すれば、デザイナーは作ったロゴに関するすべての著作権、知的所有権を失う。何百億というお金がこのデザインのもとに稼がれるというのに。雇われたどこかの会社が機械的にあなたのデザインしたロゴをウェブや標識や様々な物にプリントしていくのだ。

デザインというものはその時代の豊富さを表現するものでなければいけない。ヴィジュアルの質とそこに意味された表現を文化の象徴として染み込ませていくべきなのだ。2020年に開催される東京オリンピックのロゴはそういうものでなければいけない。多くの人がそう捉えてはいないとしても。

「豊富」と言ってしまうと、ヴィジュアルの豊富さや美しさの代わりに「資本」を連想させてしまうだろう。このオリンピックロゴコンペは、投機的な労働の例である。無料の労働を推進しているだけでなく、デザインの価値を落とし、単なる文化産業のセクターに位置付けている。

何千という人たち、素人の方やプロのグラフィックデザイナーたちがこのコンペに応募するだろう。営利目的の団体であるオリンピックが、金融企業と巨大なスポンサーを伴って、私たちに施しを求めているわけである。

デザインコンペ一般が、デザインに関する文化的な勘違いに基づいている。1972年のオリンピックのアイデンティティーはすごい。なぜなら、土台から最上部に至るまでデザインされたからだ。2020年のオリンピックアイデンティティーは、文化的な「かつら」の切れっ端にしかならないだろう。設定された取引関係がプロ意識を欠いているだけでなく、賞金の金額も基準をかなり下回るものだ。

投機的労働としての東京オリンピックのロゴデザインコンペは、新リベラル時代における、これからの労働悪化を予期している。このコンペはソーシャルメディアにおいては、単なるエンタメとして受け止められているかもしれないが、実はもっと大きな問題を表面化している。「グラフィックデザイン」という言葉は1938年に作られ、比較的新しい文化産業だ。「クリエイティブ」なソフトの普及に伴い、「誰でもデザイナーになれる」という世論の見解の元に、グラフィックデザインは危機に瀕している。オリンピックのようなグローバルなイベントによって、もっと深まってしまっている。

オリンピックはもともと戦争の一部だった。平和な時に、何もすることがない兵士が筋トレしているのがオリンピックである。論理と実践の融合という立ち位置で活動しているグラフィックデザイナーの私にとって、今回のオリンピックロゴコンペは、反知性主義と労働者軽視の風潮を体現する最悪な例である。

このコンペは、輝かしい過去から退くことであり、ディストピアな未来に突進していくことである。デザインやデザイナーにとってだけではない、すべての人にとっても。最悪なことに、東京住民はこのロゴとこれからの5年間を過ごさなければならない。クラウドソーシングの象徴と共に。


翻訳:久家衆生

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