An Avocado for Chrysanthemum (”菊”にあげたかったアボカド)

それは2012年の夏ことで、私にはすべてのことが不可能に思えていた。


それは2012年のことで、私にはすべてのことが不可能に思えていた。 私のノートは白紙で一ページも書かれていなかった。

ベッドサイドのテーブルに積み上げられた本を、開いて背に折り目を入れることすらできずにいた。

たった1マイルしか離れていないのに、ビーチへ行くことすらできなかった。

ケープコッドで私がきちんとできたたったひとつのタスクは、ウエイトレスの仕事のために身支度することだった ー ポニーテールにして、マスカラを少しつけて、青いポロを着て、コンバースのスニーカーを履く。

私は虚栄心を失っていた。虚栄心とは他人に自分をいかによく見せるかということに気を遣うことで、一種の贅沢だ。気遣いは贅沢だ。気遣うことは不可能に思えたので、かわりにわたしはルーティンをすることにした。ルーティンは可能だった。

私はこの新バージョンをためしていた。その仕事を5月に始め ー その時は8月だった ー 当初逃げ道だと思えたそれは、閉じたドアになりつつあった。私 はレストランに順応できずにいた。ニューヨークの大学で1年目を終えたばかりで、何をすべきかわからなかった。心が折れた私は、ビーチのレストランで働く ことが、空っぽの財布と空虚な毎日の状態を同時に解決する完璧なことに思えたのだった。

レストランは、小さな家族経営の古びた店だった。「オーシャン」という言葉を含む名前だったけど、海からは離れていた。客はほとんどが60代70代の人で、もっとも人気のあるメニューは子牛のレバーだった。

私はいつもナンシーと働いた。ナンシーをはじめて見た時、私はついまじまじと彼女の顔をみつめてしまった。まるで誰かがマイクアップ・ガンをもってそれで 彼女の顔を撃ったみたいだった。ピンクと青と黒が、彼女のオレンジの肌のラインにべとべとと塗られていた。壁の穴を埋めるコーキングみたいに。

ナンシーはいつも前夫に酷い目に合わされているといっていた。ほんとうのところは彼は彼女の前夫ではなかったが ー 二人は結婚していなかった ー 酷い 目に合わされているのはほんとうだった。最初ナンシーは私を信頼してくれていると思っていた。私はこの風変わりな友だちをもてたことに、慰めを感じた。私たちには大きな年齢のギャップがあり、共通の趣味はなかったが、ケープコッドで知っている人は限られていたので、誰でも嬉しかった。

私はすぐに、ナンシーが私をまったく信頼していないことがわかった。彼女は彼女自身に話をしていた。レストランのダイニングルームで呟き、自身の問題につ いてぶつぶつ愚痴っていた。その言葉が届く範囲に入った人は誰でも、彼女に話しかけられたと思ってしまう。でも、それは単に、ナンシーの存在の仕方なの だった。

しかし私は、築き始めたたったひとつの関係を諦める気はなかった。ナンシーだけがよろどころだった。レストランの他の接客係は 私のことを知ることに時間を無駄にしたくないようだった ー 彼らにとって、私は夏の間だけ働く単なる学生のひとりに過ぎなかった。行楽客のひとりで、一 時的な厄介者に過ぎなかった。私はナンシーと絆で結ばれているふりをしていた。私が恋愛小説でない小説を読むので、彼女は私のことを天才だと思っていた。 私がリベラルなので、変わり者と思っていた。良いチップをくれそうな客がいて私が気がついていないとき、彼女は私をそのテーブルから遠ざけようとする傾向 にあった。それでもまだ、ほとんどのランチタイムを一緒に働き、私は心細くて、彼女はおしゃべりだった。私は彼女の話を聞き、頷くことに満足していた。

仕事場に運転して向かっているとき、毎日、私の心拍数は上がった。新しく始めた、世捨て人のようなライフスタイルが、お客様への恐怖をよ りひどいものにした。私ははじめての一人暮らしで、やっとできた幾人かの友だちは私とは反対のワークスケジュールで働いており、いっしょに遊ぶ時間をつく ることが難しかった。その夏、私はレストランのお客様と同僚以外のほとんど誰にも会わなかった。私は家とレストランとその通勤路からならる、とても小さな 世界を作り上げたのだった。

レストランで、私は自分の知らなかった才能を発見した。たとえ泣いたあとでも、数分もあれば何事もなかったように、自分の顔を笑顔にする ことができた。それがお客様に驚くほど歓迎された。私はちょっとしたおしゃべりを礼儀正しく聞き、クラムチャウダーが辛すぎるという意見を、さもたいせつ そうに聞いた。ナンシーは1ダースのマティーニを トレイに載せてバランスをとることができたが、少なくとも私は彼女のようにオーダーを聞いているときぶつぶつと文句をつぶやくようなことはしなかった。毎 日の仕事には慰めがあった ー 堅苦しい肖像写真の人物のような、いわば私のシンプル・バージョンになった気がした。私はスマートである必要も、面白い人 間である必要もなく、ただ、テキパキとして笑顔でいればそれで良かった。以前の私は、自分が異星人のように感じていた ー 好奇心が旺盛過ぎ、野心が強す ぎて、なんでもかんでも手に入れようとしていた。でも今は、ひとつのこと、それぞれのテーブルで必要なことをするだけで良いのだ。

私はウエイトレスの仕事を嫌いだったわけじゃない。お客様が残してくれるチップの額で、自分の仕事がどうだったか簡単に推し量ることができるからだ。14番テーブルで、私はちょっとした
あてこすりを充分な笑顔で包んで届けただろうか? 23%のチップはそれを示しているように思える。私にコントロールできるのは他人が私のことをどういう風に認識するか、あるいは、どういう風に認識していそうかということだけだった。

レストランでは、私は職務指向に徹した。7番テーブルのオーダーをとる。12番テーブルにドリンクを運ぶ。2番テーブルに子供用の椅子を運ぶ。家では、 漂っていた。自分で稼いで食べるということが、オリンピック並みのチャレンジに思えた。眠りはいつも波とともに消え、意識は静まらなかった。コーヒーとサ ンドイッチでなんとか生きながらえてはいたが、なんの変哲もないそれがひどい味に感じた。家にいるとき、部屋から部屋にさまよった。私の古い趣味ー本、雑 誌やアート作品ーは、幽霊のようにそこにあるだけで、触れられることもなかった。私は何かをつくりたかった。私が生きてそこにいるという何か手に触れるこ とのできる証拠のようなものを。だけど私の手は脳からの指令を受けず、私の脳もけっして何かをしようとはしなかった。

ほんとうに、私は何かを求めていた。何かすることを求めていた。しかし私が求めるすべてのものは、抽象的過ぎ、現在から遠く離れてしまっていた。私は今にフォーカスするしかなく ー そして今、11番テーブルにパンが必要なのだった。

ときにはお客様がほんとうに好きになった。特別な8月のある日のように。あの夏、めったにない特別な瞬間が訪れて、ほかの人の抱く思いを感じることが、 まったく新しい体験に、静かな興奮に似たものになったのだ。この日、ちょっと変わった3人組のお客様がいた。どういう関係の人たちだったのかわからなかっ たけど、ボウタイを締めてたどたどしい話し方をする30代のがっしりした男性、赤毛の巻き髪を頭の上にとめた40代の女性、そして銀髪のソフトな声をした 老婦人の3人だった。家族や親類であるようには見えなかったけど、リラックスして、おしゃべりしているときも黙っているときも心地良さそうにしていた。そ れが老婦人の誕生日のお祝いであることがすぐにわかった。彼女の名前を思い出せないので、物語をすすめる上で、彼女のことを”クリサンセマム(菊)”とす る。

テーブルに近づいた私には、クリサンセマムと彼女の友だちは、ウエイトレスを混乱させるような人たちには見えなかった。彼らはよく 笑い、誰が支払いをするかで楽しそうに議論していた。コップに水を注いだとき彼らは私にお礼を言い ー ほとんどのお客様がしないことだ ー そして、私 に私自身のことを訊ねた。私自身のことを訊ねるなんて変わってると私は思った。魚の熱い皿を急いで運ぶために、透明人間になることに慣れていたからだ。

クリサンセマムの料理なら、私がコントロールできるはず。彼女の料理を彼女がいままで味わった中で最高のものにするのだ。私は決心した。今日は彼女の誕生 日で、彼女は慎み深く寛大な人に見えた。そして、それだけが、私がその時、ほんとうにしたいこと、実現したいことだった。ひょっとしたら、馬鹿げた後知恵 と思われるかもしれないけど、あの瞬間、それは記念碑だった ー 宣戦布告であり、コントロールの奪還であり、自分の無関心の外に何かを鋳造する試みだっ た。

クリサンセマムがハウスサラダを注文したとき ー 特別大きなお皿に緑野菜を盛り、カニと芽キャベツと ブルーチーズとスライスしたアボカドをのせたもの ー 私はその料理を全精神をかけてよいものにしようとした。あきらかに、クリサンセマムが好きなものは アボカドだった。だから私は、この上品な小さな老婦人に、レストランが提供できる最高の、ちょっと盛りすぎかもしれないようなサラダを提供しようと思った のだ。

何かの結果にそれほどの注意を払うことは、以前の私を発掘するような体験に思えた。彼女のオーダーを聞き終えた私は、それまでは 感じたことのない目的をもって、キッチンに向かって行進した。絶対にやる。私は状況をコントロールしていて、何かを望んでいる。でも、私がキッチンに着い たとき、トム・シェフの機嫌は悪かった。

「アボカドが出尽くしちゃったぜ!」トム・シェフが叫んだ。彼は叫ぶのが好きなのだ。ものを投げたり悪態をつくのも好きだ。白い(じつはすでに黄色くなっている)汗止めのバンドを額に巻いた彼は、自分のことを「アーティスト」だと思っていた。*1 トム・シェフは、今日、店に残っているアボカドは彼の基準にみたない!と決断した ー キッチンには滅菌に対する充分な注意も払っていない彼がそんな決断をするなんて、私はびっくりした。

私はアボカドを握ってみた。硬く弾力があり、中は柔らかい感触がある。「このアボカドは大丈夫です!」私は言った。

「このアボカドはダメだと言ったんだ。このサラダを持ってけ。アボカドはなしだ」

「聞いて」私は言った「今日はあのおばあちゃんの誕生日で、彼女はアボカドを凄く楽しみにしている。だから、最初にこのサラダを注文したのよ」
私はアボカドなしでクリサンセマムのもとに帰るつもりはなかった。みずみずしい緑のアボカド。トム・シェフとの言い争いが事態を悪くするだけなことはわかっていたけど、私は諦めることができなかった。あきらかに、それはアボカドだけの問題ではなかったのだ。

怒り声は叫び声にエスカレートした。テーブルのお客様にトム・シェフの演説が聞こえていることはわかっていた。ナンシーがキッチンに駆け戻ってきた。

「いい加減にして、トム!」彼女は叫んだ。ナンシーはちょっとトチ狂っていたけど、いよいよ私の味方になってトチ狂ってくれるのね。素敵。たぶん、クレイジーなトムと戦うには、別のクレイジーが必要なのに違いない。 しかし、彼女はサラダの皿をつかんで私の腕に押しつけた。「行くのよ、早く!」

「でも、アボカドがー」私はもう一度トライした。

「行って!」彼女は言った。

やっとキッチンから出ることができたことに、私はナンシーにお礼を言いたいくらいだった。だけど、キッチンから外に出て振り返ってみる と、そこには薄汚いナンシーがいた。私たちはチームじゃなかった。何分もしないうちに、彼女は新しいオンナがアボカドを入手できなかったことをジョークに し、何分もしないうちに、彼女はアボカドを自分のテーブルに必要とするだろう。

私の耳は火が着いたように火照り、膝が震えた。トム・シェフが私の身体にもたらした物理的な効果を憎んだ。私がしたかったことは、あの素敵な老婦人の誕生日に、アボカドを届けたかっただけなのに。

私はクリサンセマムのテーブルに戻った。まるで、不必要な手術を終えて出てきた外科医のように。

「やれることは全部やったんです。ほんとうにすみません」ほとんど泣きそうになりながら、私はアボカドのために勇気をもって戦ったけどこ れ以上できることはないことを説明した。彼女はアボカドのない皿を見下ろして、落胆の色で表情を曇らせた。私はどれほど彼女にアボカドを持ってきたかった か知って欲しかった。どれほどそれを大切に思ったか知って欲しかった。なんとかなりそうな一瞬もあったけど、結局、それには届かず、失敗してしまった。

その時、ナンシーが自分の皿を持ってテーブルのそばを通り過ぎた ー サラダには完璧に熟れた山盛りのアボカドがのっていた。私の頬は紅潮した。

敗北にうなだれ、私はテーブルを去ろうとした時、クリサンセマムが身を乗り出して私の腕をつかんだ。

「ここは刺だらけ。あなたはそこに咲くバラ」彼女は囁いた「自分を枯らしちゃだめよ」

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Photo by Philip Chapman-Bell