コミュニケーションの発明は終わらない。

サンフランシスコに戻って来た。いつも思う。この空気感の違い!環境の違い!生活感の違い!時間の使い方の違い!話される言葉の違い!すべてが違う。

19世紀のロンドン、20世紀のパリ、21世紀のサンフランシスコ、当たり前だけど、時代と場所で人は大きく異る。だから、ここで呼吸して、ここで生きて、ここで働く人達によって日々使われる、「当たり前」の物を育みたい。

要はコミュニケーションのスタイルだ。TwitterもFacebookも、その日々の動作に於いて、固有のコミュニケーションのスタイルにこそ本質がある。

言葉を発明して後、人は数々の新しいコミュニケーションのスタイルを編み出してきた。電話は革命的に凄かったが、インターネットはそれをも呑み込み、さらに大きなコミュニケーションの網の目をこの世界にもたらした。

WhatsAppユーザーが10億人を超えたのは今週のことだけど、10億人が日々使いこなすコミュニケーションを、ごくごく最近、2009年に始めたばかりのスタートアップが届けているという事に驚きを覚える。

日本で1890年東京横浜間に電話開通した際「電話加入者人名表」(日本で最初の電話帳)が発行された。

東京は利用者155名、横浜は42名。それが太平洋戦争が起こった1941年までに急速に普及し100万人に到達する。当時は国家的な大事業をもってしても、そんな緩慢にしか普及できなかったのだ。

SnapChatは2011年、YikYakに至っては2013年。彼らも順調に進化していけば、すぐに数億人のスケールに到達できるだろう。

そしてSnapChatが標榜しているのはその場その時のビジュアルで刹那的なコミュニケーションであり、YikYakはロケーションベースで匿名のコミュニケーションができる、これも新しいコミュニケーションのスタイルだ。

そんなもの?って言うのは簡単。だけど、コミュニケーション・スタイルが変われば、同時にメディアもコマースも変わる。つまり、エコシステムそのものが変わるのだから決して小さな出来事ではない。

フェイスブックがある意味、終止符を打ったと思われたこのマーケット。それはまだまだ未成熟未完成というよりは、きっとコミュニケーションのスタイルが永遠に変わり続けていくのだと言うべきだろう。

その変化の最前線にあるサンフランシスコで新製品を手がけられることに、限りない幸福を感じる。