機能ではなく、人。

コミュニケーションアプリの開発とは、つまりコミュニティ(人の繋がりと集まり)の開発なのだと思うのですよ。
そのアプリケーションの愛好者のコミュニティ創出という側面もありますが、そのアプリケーションのもたらす体験の価値、嗜好性、個性の表現等に惹かれる人達のネットワークを価値を伝達しながら、どうオーガニックに作り出していくのか?の開発が主体なのだと。
ツイッターがSXSWという創造的なコミュニティ(テキサスオースティンに10万人の表現者や創造者が集まる)を火種にしたのも、フェイスブックがハーバードの学生寮からハイクラスの大学生への飛び火を最大限利用したのも、コミュニケーション製品がいかにその固有のコミュニティの成り立ちや内在的な方向性と強く関連づいているのか?の証拠になるでしょう。

これは、いくつかの良い教訓(ディシプリン)をもたらすのだと思います。
1)数を追求する無意味
アプリランキング上位に載ってダウンロード数を増やすのは、必ずしも良いことではなく、むしろコミュニティ形成の邪魔になる場合がある。
2)始める場所を選ぶことの重要性
コミュニティは多くの場合、地域的な属性と強く相関している。なので、どこでスタートするのか?の吟味は大きな意味を持っている。良い場所で始める=その製品の持つ固有価値に合致した場所を選ぶべきだ。
3)人を選ぶことを恐れない
数の追求に依存しない=コミュニティの健全育成を重視するということは、それを使う人をあえて選ぶことを意味する。デザイン戦略だけでなくマーケティングを行う際にも、使ってもらうべき人にいかに届けるのか?を軸に考える。
すると、当然使う人と使わない人を選ぶ必要があります。使わない人を捨てる覚悟がどうしても必要になります。これは、なかなか困難な判断でもあります。でもそう言った取捨選択をしないかぎり、尖った製品価値は作り出せません。

また、日本市場では、日本語の壁以外に、このコミュニティネットワークの壁を超え無くてはならないという課題が常に有ります。
良い機能や性能をもってそのアプリケーションを売り込んだとして、コミュニティ育成の過程に於いては、海外市場への突出と浸透が速やかに出来ない。日本で爆発的に流行していても海外では鳴かず飛ばず。そんな現象の理由としては、このコミュニティネットワークの「壁」の存在が有るのではないか?と感じます。
どこで始めるのか?と、誰を選び、誰を捨てるのか?の判断。いきなり数を追求しない決定、など、難しい選択を経てもなお難しいのが、コンシューマ向けアプリのプロダクトマーケティングです。
でも、その壁を超えることは、グローバルなアプリケーション成功の必須条件ではないか?と考えます。
皆さんはどうお考えですか?もっと普遍的で汎用的な製品マーケティングが簡単にできるといいのですが(実際には、そんなことは誰だって出来ないと感じています)。
