そこらで生きる透明な日本人

私は幼少期から思春期まで海外で育った割には全く国際感覚豊かでない。案外こういう帰国子女って多い気がする。

見た目感覚ともに日本人なのは間違いないのだが、どれくらいの割合で自分の中で外国人が根付いているのかと言われると答えられない。自分のことなのに情けない。

これだからドイツ人は(外人は)、なんて思うことなんか毎日腐るほどある。

反対に、日本人のこういうところ嫌だ、なんて思う点だって枚挙にいとまがない。

私の中で〇〇人は世界一で同時に世界で最悪の人種でもあるのは明白だ。〇〇にはどの国も当てはまる。つまりは紙一重。

引っ越しを重ねるうちに愛国心というものはどこかへ置いてきた。だから場所による帰属意識なんてない。幼い頃に根付いた習慣というのは厄介で、動いていないと息苦しくて死んでしまいそうになる。

私はマグロ同然なのだ。

常に新しい環境に身を置いて、自分の立ち位置をリセットさせないと生きていけない。

人種や文化なんて甲乙つけがたいし、つけてもいけないと教えられてきたから、私は透明人間となってゆるくいきたい。

私がここに来たのも、ここに来る前の場所にいたのもすべてひょんなことから。

その時は確かに悩んだんだろうけど、今となっては何を悩んだかなんてもちろん覚えてない。少しの冒険心と、それを上回るこれから来たる事象への恐怖心が私をここまで駆り立ててきたのだ。それ以外は、恐ろしいことに何もない。

私は自分で言うのも変だが視野が狭くて、色の濃いフィルターを通して世界を見ている。

おかげで人と物事の受け取り方が全く違って、共感どころか怪訝な顔をされることなんて日常茶飯事だ。

若い頃はそれがとてつもなく嫌で、普通になりたくて、一挙手一投足にピリピリして足掻いていた。無駄だった。

だから私は頑張るのをやめた。

海外に来たからと言って、私の世界観は変わらず、そして視野もワンルームのまま。

でもそれは、なーんにももったいないことじゃない。

環境が変わったというだけで、自分を真っ向から変えようと生まれ変わったフリをして、自分に疑念を抱きながら中途半端に変わってしまうことが一番もったいないのだ。

私は国際感覚豊かでない透明人間だ。

だから今日も家にいる。

また明日も仕事に行って、一言二言ドイツ語を話し、1人の透明な世界に溺れるのだ。

上等だ。

Show your support

Clapping shows how much you appreciated i’ /m/ami’s story.