大人の女の「おばさん」論。

「おばさんになりたくないよね」というけれど、「おばさん」って、なんだろう。『大辞林』で引いてみると、

他人である年配の女性を親しんでいう語

とある。これだけだと穏やかなのだけれど、 さらに、

若々しさが感じられないという意で、皮肉や自嘲の気持ちを込めても用いる。「――くさい格好」「もうすっかり――だ」

ともある。つまり、「おばさん」とは、皮肉ったり自嘲したりする時の呼び方なのだ。

誰もが年をとっていくので、自分や人のあり方を皮肉や自嘲を込めて表現したくはない。それでもおばさんと呼びたくなる時があるのは、なぜだろう。

それは、自分やその人に想像力がない時じゃないか、と考えている。

自分と人は違うのだ、ということに対して考えが及ばず無自覚な考えをもったり発言したりしてしまった時、私はきっと限りなく「おばさんくさい」のだと思う。

小さいときや若い頃は、世界が狭かった。ずっと同じ土地に住み、似たような境遇の人が集まる学校に行き、同世代の人たちと集っていた。想像力もその範囲で働かせればよかった。

大人になるにつれ、周囲には違う境遇で育った人や違う世代の人が増えていき、同じように暮らしていた同世代の友人達と自分のライフスタイルも大きく違ってくる。特に女性は、夫や子どものありなしでもかなり生活が変わってしまう。

目をもっと遠くに転じてみれば、世界にはまったく違う文化や価値観をもち、違う常識をもってさまざまな境遇で生きている人たちがいる。それはもう、想像を絶する世界に生きる人々の姿が、今日もニュースフィードに表示されている。

相手と自分は違うのだ、ということを前提にコミュニケーションができれば、なんと心地よいことだろう、と思う。

そこには皮肉も自嘲もいらない。

サン・テグジュペリの『星の王子さま』の中に、こういう一節がある。

On ne voit bien qu’avec le cœur.L’essentiel est invisible pour les yeux.ーこころで見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない。(訳:河野万里子)

キツネが王子さまに教えた「秘密」だ。有名な一節だけれど、この後にキツネはこう言っている。

きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ。(訳:河野万里子)

ほんの少し、想像力を働かせる時間を取ってコミュニケーションしてみると、きっと相手は私にとってかけがえのない存在になる。

そうできれば、私は大辞林がいうところの「他人である年配の女性を親しんでいう」おばさんになれるのではないか、とひそかに思っている。

(はてなブログからのインポートテストのための投稿です)

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