「文化」をどう定義するか

Ikuei Nakayama│中山郁英
4 min readAug 9, 2019

地元長浜に拠点を移してからのこの数年、「文化」とは何か考える機会が多くなった。そして、自分の周りでも「文化」という言葉を耳にすることが多くなった気がする。

「文化」とはよく耳にする言葉だが、人によってその定義が様々であることが、話を難しくしている点もあるのではないかと思い、自分の考えを残しておこうと思う。
(あくまで自分の考えであり、学術分野によっても様々な定義があると思う。これを読まれた方はどう考えられているか、ぜひ教えてほしい。)

論点としては以下の2つ。

1.文化を、「動的なもの」と捉えるか、「静的なもの」ととらえるか
2.文化を、「モノや振る舞いなど目に見えるもの」ととらえるか、「それを生み出す価値観までを含めたもの」としてとらえるか

まず論点の1つ目。

私は、文化というのは、「『個人や組織、地域が持つ価値観』と『外部環境』の相互作用の中に現れるものであり、価値観や外部環境の変化に伴い変わっていく動的なもの」なのではないかと考えている。

図で表すと、以下のようなイメージだ。

価値観、もしくは外部環境いずれかが変化すれば、自ずとモノや振る舞いは変わり、文化は変化する。だから絶対的なものはない
(例えば、「組織文化」というときの「文化」は動的な意味合いが強いと思う。)

その一方、文化という言葉が「ある特定の時期の価値観と外部環境によって生み出されたもの」で、「変化しない静的なもの」という意味で使われている場合もあるように感じている。
(例えば、「重要文化的景観」で使われる「文化」は静的な意味が強いと思う。)

そして論点の2つ目。
文化という言葉が含む範囲をどこまでと捉えるか、ということ。

私自身は、文化とは「モノや振る舞いなど目に見えるもの」と「それを生み出す価値観」、その両方がセットで文化と言えるのではないかと考えている。

図で表すと、以下のようなイメージ。(オレンジの部分が文化の含む範囲)

一方、文化という言葉は単に「モノや振る舞い」だけを指して使われることもあるように思う。

議論の際に、これらの定義が混ざり合うと、話が噛み合わなくなる。

例えば、私は文化を「動的で、モノや振る舞いとそれを支える価値観まで含むもの」だと考えているので、外部環境が変化しているにも関わらず、今までの「モノや振る舞い」を堅持しようとすることは、その背後にある本来大切にすべき価値観から切り離された、文字通り「形骸化」したモノが残る危険性があると考える。

また、「文化を守ろう」というのであれば、目に見えるものだけでなく、それを支える価値観の部分も等しく重要であると考える。文化を守るために、外部環境の変化と価値観の接点に目を凝らし、多かれ少なかれ調整をしていく必要がある。

また、「文化」と「経済」が対比して使われることがよくあるが(私もよく使う)、本来は人が生み出したものは全て「文化」であるはずだ。
つまり経済も文化の一つである。

それでも、文化と経済と分けて使われるのは、現代社会において「経済的な価値」がそれだけ大きな影響力を持つということの現れなのかなと思う。

と、つらつら書いてきたが、実はこの原稿は数ヶ月前に書き始めたものだ。その時はどうもまとまりきらず、置きっぱなしにしていた。

その後、須永剛司先生の「デザインの知恵」の最初の論画を見て、勝手に文化とデザインの繋がりを感じたりして、また、まずは公開してみないと意見ももらえないと思い、公開してみるに至った。

あなたは「文化」をどう考えますか?

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