シン・ゴジラを字幕で見て思った、たぶんこの映画が外国人に伝わらない理由

これは吹き替えにしなきゃ伝わらない。それでも、日本人か理解する半分も理解できないだろうと思うけど。

フィリピンでシン・ゴジラを見た

私はフィリピンでシン・ゴジラを鑑賞しました。当然現地人のために英語の字幕がつきます。たびたび、英訳とかが気になって映画を楽しみながら字幕も読んでいたのですが、「これは字幕で見てもわからんだろうなぁ」と思いました。

早口で情報量の多い掛け合い

シン・ゴジラは意図的に専門用語をふんだんに使い、日本人ですら何言ってるのかわからないような、高速の会話劇が繰り広げられるのが1つの特徴です。私も少し翻訳をやるので多少の覚えがあるのですが、言語間には「多言語では一言で説明出来ない、その言語独自の意味的なコンテキストに含まれる壁」が多くあります。言語そのものに、その言語文化圏の文化的な文脈が含まれており、単純な翻訳では対象鑑賞者が物語を理解するに至らないセリフや文章のことです。それに加えて、単純な言語変換を考えた時にも、日本語では一言で表せても、外国語にした時には該当する単語がない場合も多いのです。

早口で情報量が多く、且つ専門用語、言語的なコンテキスト、対応語を持たない日本語などが多くあることで、字幕の内容がぺらっぺらになってしまいます。話の展開が早いのに翻訳が難しく、それでいて観賞者が読むことの出来る量の字幕に抑えるために、あらゆるニュアンスを排除して、大量に大切な予備情報を排除して、ギリギリ話がわかるくらいの事実しか字幕は伝えることができていないのです。というか、字幕を結構読んでいましたけど物語に大いに必要な情報もやむなくごっそり落ちているので、見ている人は「なぜ登場人物たちがあのような行動をとるのか」を正確に理解できていないと思います。

それに加えて、内容が専門的なので翻訳も専門的で長い単語が使われがちになってしまいます。「これ、フィリピンの人わかんなくない??」というのが字幕を読んでいた私の印象です。話も解らない、英語も解らない。とりあえずゴジラのドンパチは面白いけど、それでは日本人の子供の楽しみ方と全く変わりません。

これを外人に理解しろ、というのは無茶です

そもそもストーリー全体が強く日本という国の文化に依存した内容で、しかも翻訳にあたり前述したような壁にぶつかり、「映画の字幕」という制約も相まって、外国人にこれを見て感動しろっと言うのは中々難しいと思いました。もちろん破壊される東京やゴジラそのものには、言語化する必要がないインパクトが大いに有りますが、それは作品の一部、多く見積もっても半分くらいでしかありません。逆にいうと、どこまでもドメスティックに作り上げてしまったという意味で、またこの映画を凄さを1つ理解したのかもしれません。

    今村健太 Kenta Imamura

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    大学を休学してマニラでインターンしてます。元メッセンジャーで元Filemakerデベロッパー。マニラでの生活をブログに書きます。YouTuber(活動休止中)

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