新たな社会契約論とは何か:ザッカーバーグやアルトマンの危機感

イシケン
5 min readNov 28, 2017

サム・アルトマンの「American Equity」が面白かった。

個人的に、ここ数年のアメリカ・シリコンバレーを中心とした新たなビジネスパーソン型知識人たちは、社会契約論について関心を持っているように思える。

格差が拡大し、国家が分断されているアメリカにおいて、なぜ我々は国家を信託し、そのルールの下で生きているのだろうか?

こうした疑問は決して、昨日今日に生まれてきたのではなく、フランス革命以前にまで遡る人類の長い歴史とともにある。ジョン・ロックやジャン・ジャック・ルソー、そして現代ではジョン・ロールズといった著名な政治思想家が向き合ったのも、こうした疑問であり、それらは社会契約論と呼ばれている。

社会契約論とはなにか

社会契約論の古典的論者であるロックとルソーですら議論のアプローチは大きく異なるものの、現代のロールズに至るまで、その基本的な主題は「社会において個人の自由と平等をいかに守るか」ということに尽きる。

すなわち、

個人は、自身の利益のために合理的に行動するが、もし各人が好き勝手に合理的に行動すれば利害の衝突が起きる。平等な個人が自由に共存するためには、一定のルールが必要であり、そのため国家や政府などの権力が必要となる

というのが社会契約論の基本的な考え方だ。

例えばロールズであれば、そのルールを「公正としての正義」として表現し、それに適うかによって社会を運用しようと考えた。

彼は国家・政府の役割にそれほど踏み込んでいるわけではないが、社会における「公正としての正義」の判断を委託された機関として国家や政府の役割があることは想像に難くないだろう。

格差拡大による社会契約の行き詰まり

しかし明らかに、現代社会において社会契約は行き詰まりを見せている。

アメリカを始めとした先進国は、経済的格差や政治的分断に直面しており、人々の自由と平等は脅かされているが、国家や政府はそれらの問題に適切な対処できていない。

アルトマンやFacebookのマーク・ザッカーバーグらが「新しい社会契約」の必要性を訴えているのは、こうした問題意識を前提としている。

古典的な社会契約論が、個人の政治的権利に紐付いた自由や平等に注目しているのに対して、新たな社会契約論は経済的平等と自由に主眼が置かれている。

新たな社会契約論としてのベーシック・インカム

アルトマンのAmerican Equity以外に、具体的な処方箋として彼らが提示しているのは、ベーシック・インカムだ。

実はベーシック・インカムのアイデア自体はそれほど新しいものではないが、ここ数年の間、シリコンバレーの論者の間で急速に支持を集めてきた。

ベーシック・インカムのウケが良い理由は様々だが、巨万の富を得たシリコンバレーの論者にとって、最も穏やかに格差拡大への処方箋として提示できるのがベーシック・インカムだから、という身も蓋もない理由も1つにあるだろう。(最も急進的に平等を志向するならば、累進課税を重くすれば良い)

いずれにしても、アルトマンやザッカーバーグらが新たな社会契約論を志向していることは、偶然ではない。世界が多極化していく中で、アメリカなど先進国の力は相対的に弱まりつつ、民主主義は脆弱性に晒されている。

古典的な社会契約論を経済的平等・自由の観点から補強する形で、新たな社会契約論が求められているのは必然といえるだろう。

補足:格差の根源は何か

ちなみに前述の身も蓋もない議論を補足しておく必要がある。ロールズは正義論において以下のように述べている。

社会的、経済的不平等は、次の二条件を充たすように編成されなければならない。

そうした不平等が、正義にかなった貯蓄原理と首尾一貫しつつ、最も不遇な人びとの最大の便益に資するように。

こうした議論に照らした時、シリコンバレーなどに住む新上流階級(C.マレー)は、過度な能力主義に陥っている。

ザッカーバーグやジェフ・ベゾスの類まれな成功は、彼らの生来的な特性によるものが大きい。それは彼らの努力を否定するものではなく、経済的成功は、裕福な家庭環境と十分な教育、そして身体的・精神的な充足などの条件と不可分ということだ。

エマ・ワトソンの成功は彼女の努力によるものも大きいが、美貌という生来的な特性も大きく影響している。(ピーター・シンガーを参照

生来的な特性が、獲得しえる財(=富)に影響を与える現状を肯定するのであれば、それは奴隷という生来的な特性によって獲得しえる財が決定する奴隷制の肯定と、大きな差異がなくなってしまう。

こうした観点に立った時、私たちの社会は過去のどの時代よりも平等に配慮しているとは言え、未だに能力主義は蔓延している。私たちは人種や性差による格差を脱しつつあるが、能力による格差には十分目を向けていない。

シリコンバレーの富豪が、自身が得た富から直接再分配を実行するのではなく、租税・節税が駆使された後の政府財源を元手としてベーシック・インカムを実行しようと主張するのは、欺瞞という誹りを免れないだろう。

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イシケン

マイナースタジオという会社をやってます。