私とお金の話

Isoparametric
16 min readDec 13, 2017

はじめに

私のお金の使い方は無茶苦茶です。
というか、今までまともにお金を管理したことはなかったという方が正しいですね。
贅沢三昧してきた、というのではなくて、お金についてきちんと考える機会がなかったのです。

そんな自分がお金の使い方を見直してみました、という話です。
そして、給与が年収162万から年収1,000万を超えるまでの簡単な軌跡でもあります。
(しかし、残念ながらこの方法は再現性がないので他の人には何の役にもたたないのです)
給与をあげる話とか、自慢したいという話ではないので落ち着いて聞いてほしいです。
色々な人の経験を聞く限り、給与というのはほぼほぼ選択と運とタイミングですので、給与が上がらない、正しく評価されてない、という人はまず転職(社内の異動でも可)を考えましょう。
他で通用するスキルが身についているかどうかは不断の努力次第ですので、それでもダメならあとは方法を変えるしかありません。

で、なぜpyspaでお金の話かといえば、今回pyspaで

さんとさんとお金の話をしたことを切欠としてお金の使い方を見直してみたという話でもあるからです。

そもそも、お金=給与、と言われることが多いですが、そうではないと考えています。

お金とは資産です。
例えば、年収1,000万でも毎月何も残らなければ、年収400万で、毎月5万貯金できる方が豊かなのです。

なので、ここで言うお金とは資産の話ですが、給与についてのみ先に私見を述べておきますと「日本のエンジニアの給与は安すぎる!」というような話が各所から聞こえることもありますが、その話に関して私は懐疑的です。

何をもって安い、とするのでしょうか。
エンジニアの持つ技術が安く叩かれている、ということでしょうか。
欧米諸国ではもっと平均給与が高い、ということでしょうか。

開発において開発費を計上しなければならない以上、一般的な開発人員の給与が馬鹿みたいに上がる、ということは考えにくいです。

仕事で採用などを担当していることもあり、かなり多くの履歴書/職務経歴書を見てきましたが、給与は状況、環境、年齢、キャリアにより千差万別なのです。
この人には高すぎるというのもあれば、もちろん安すぎる、ということもあります。

しかしながら、その高い、安いは私の主観であって、世の中には様々な物差しが存在しており、年収300万の人が一気に1,000万くらいまで駆け上がる事例も間近で見てきました。

給与がネックで転職がままならない、という人もいました。
お金は人生の選択肢に大いに影響するのです。
そして、給与は自分でコントロールできませんが、手元に受け取ったお金はコントロール可能ですし、環境も変えられます。

要するに、エンジニアという職に給与がつくのではなく、その人の状況と価値と受給で給与は決まりますし、受け取ったお金をどう運用するか、というのはその人次第なわけです。

給与が安いからといってフリーランスになる人もいますし、積立を行って株式投資や不動産投資に着手し資産を形成する人もいます。

はたまた、環境を変えて新たなステージで評価を一変させる人もいるでしょう。

お金とは資産なので、給与が安い、と叫んでいるだけでは増えません。
だから、一般論としての「エンジニアは給与が安い(からなんとかしろ)」には同意していませんし、今回は稼ぐ話でもありません。

お金の管理の話です。
(そして、私の話も一般論ではありません)

お金を管理したことがないとは?

そもそも私は真面目に貯金をしたことがない上に、支出を管理したことがないわけです。

いくら入ってきて、いくら出ていくのか、というのは真面目に考えたことがありません。(むしろ、考えるのが面倒で避けてきたのです)
なので、ただただ、流れるままにお金を使ってきたと言ってもいいです。
とはいえ、キャバクラにはまっているとか、風俗にはまっているとか、パチンコ、パチスロにハマっているか、というとそういうわけではないんですね。
主な支出先は、Amazon(のガジェットなど)とかお酒、ゲームなどです。
今までの考え方としては生活が破綻してなければ大丈夫、というものでした。
(借金などはしないように、ということです)

金銭感覚が富豪である、浪費癖がある、贅沢三昧している、とかではなく、ご飯は普通にコンビニで買ってますし、スーパーの半額お惣菜とかも買ったりします。
ただ、嗜好品に関しては惜しみなくお金を使う癖はあります。
ちなみに、ウイスキーが好きでよく飲むのですが、2人でバーにいき値段も聞かずに飲み続けていた結果、お会計が20万を超えていたこともあるくらいです。
一番好きなお酒は、60年代のボウモアで種類は色々ありますが、ショット2万から3万くらいします。(いつも飲んでいるわけではないですよ)
「セラミックドラゴン ボウモア」とかでググっていただけると、ボトルのお値段がよく分かるかと思います。(もっとするのもありますけどね)

要するに給与の過多に関係なくあるだけ使う、という生活をずっと続けてきたわけです。
そして、それはもしかすると金銭感覚が壊れている、ということなのかもしれないですね。

では、何故お金を管理してこなかったのでしょうか?

始まりはゲーム会社

もともと、私はゲーム会社に入社したこともあり給与のことは考えていなかったのです。
とにかく「お金はいいから面白いゲームが創りたい」そう考えて、自分が考える面白いゲームを作っている会社に入社しました。
その頃はまだ何もわからなかったですが、多くの受託をしているゲーム開発会社というのはあまり自社にお金がないわけです。
(よって昇給も殆どなかったです)

ゲームの受託をメインとしている会社というのは受託時点(仕事を受ける時点)で、完成品が定義されていないことが多く、納期も1年、2年先ということがあり、利益が読みきれません。

メーカーから開発資金=運転資金をもらい、それで会社を回していることも珍しくありません。
なので、破綻して会社を畳んだケースも多いわけです。
よって、給与や昇給というのは一般的な額ではありませんでした。

そうして最初に入社した会社は既に破綻してしまい無くなったゲーム開発会社ですが、ここで得た新卒として最初に得た月収は13万5,000円(国民年金/国民健康保険だったので、ここから自分で払う)でした。

要するに年収162万です。
まぁ、20歳未経験といえばこんなものなのかもしれませんね。

……とはいえ、職場は新大久保。
上京してきたので家も決めずに東京に来て、最初は会社の仮眠室で寝泊まりしてましたが、それではマズイと賃貸を決めました。
都心(練馬)でワンルームで、家賃4万7千円。
そこに食費、水道光熱費や、年金、健康保険、あとは趣味のお金などを支払えば全く残らない状況でした。

しかも、ゲーム開発は常に締切に追われ、家に帰るのもままならないわけです。(入社して初年度からいきなり修羅場でしたから)

一年目からRPGのバトルパート全般実装に組み込まれ、見よう見まねでイベントスクリプトを実装し、早々にドンキで寝袋を買って机の下に敷いて寝ていたくらいの修羅場で、正月も休まず働いていました。

まぁ、そんな生活をしているとお金の管理というのは適当になるわけです。
服が汚くなれば近くのUNIQLOで買う、コインランドリーで洗う、身体が汚れれば仮眠室のシャワーや、100円コインシャワーを使う、腹が減れば近くの安売りしているお店でとにかく腹持ちのしそうな菓子パンを買う、などなど。
お金がないのでよくパスタを茹でて醤油をかけて食べてました。
(炭水化物は最も安く、腹持ちが良いわけです)

要するに社会人になって以来、お金に関しては大きくマイナスにならなければ良いという感覚で生きてきました。
とはいえ、普通に生活したりしていればお金は減っていきますし、開発が佳境に差し掛かればさらに適当になっていく度合いは増しました。
そもそも、修羅場(朝まで働いて、机の下で寝て、目覚めたらそのまま開発する)ってるから正常な判断力が失われているわけですね。

結果として、国民年金はとにかく滞納することになりました。
(督促状はきますが2年くらいは待ってくれるのです、そして、ちゃんと払いました)
ただ、貯蓄をする余裕がないので家賃の更新料とかはとにかく辛いわけです。
当時は一時的なお金が足りないときはクレカのキャッシングなども利用して支払っていました。(流石にリボ払いとかではないですが)
もちろん、賞与もなかったので、日々のお金をやりくりするのですが、それでも、収入と支出をちゃんと管理したことはありませんでした。
なんとなく回っているからいいや、という感覚です。

そろそろ生活していけないので、ということで給与を見直してもらったのが3年目くらいでしょうか。
それでも年収300万いかなかったのを記憶しています。

限界を感じての転職

好きで作っていたゲームですが、さすがにきつくなって転職を考えました。
お金がきつい、というよりも必要な人がアサインされない、本来創りたい面白いゲームをするための環境が伴わない、という理由の方が大きかったです。
現場では揶揄して「透明ランナー」と呼んでましたが、仕事先に提出するアサイン表に本来存在しない人が載っているわけですね。
それによって開発費(単価)を水増しするというようなことが行われていました。
結局、見積もりに対して人員が不足しているわけですから、1人が何人分もの仕事をこなさなければならず、結果として品質は低下します。
面白いゲームをつくるためにゲーム会社に入ったはずが、プロジェクトの辻褄合わせに奔走する羽目になったのです。

そんな葛藤を抱えつつ、次に転職したのが、某印刷会社でした。
社内システムを1人のSEが支えていて、その後継者がいない、ということで白羽の矢が立ったのです。
ここでは年収400万くらいになりました。26歳くらいの話です。
その会社は特に理由があって400万にしたわけではないでしょう。
たまたまですね。
ただ、40歳くらいの係長が年収700万と言っていたので、夢があるのかないのか微妙な感じでした。
ピラミッド型の明らかな年功序列であり、世の中とはそういうものだ、と感じた時期でもあります。

しかし、そこは1年で辞め、次はWeb開発会社に転職しました。
(スーツの大企業で長く働けるわけもなかったのでした)

このときも経験できる仕事で選んでいたので給与は変わらずでした。
Javaを利用した非常に面白いプロジェクトでしたが、いきなりメイン実装に突っ込まれ、バタバタしつつもリリースまで持っていき、そこも案件が片付いたタイミングで、1年で辞めて、また血迷ってコンソールゲームの受託開発を3年くらいやりましたが、その後、某ソーシャルゲーム会社に入社しました。
この間、殆ど給与の変動はありません。

転職も給与を上げるためではなく、コンソールゲーム開発はもう(開発費や開発期間など含めて色々なことが)難しくなるだろう、と考えたからです。

転機となる転職

ここも最初は年収420万くらいでした。
30歳くらいの話ですね。

しかしながら、ここで何やかんや(会社の急成長)があり執行役員になった結果、トントンと給与が1,000万を超えてしまうことになりました。

こんなに給与が上がっていいものか? などと最初は思いましたが、そもそも自分の給与が上がらなければ他の人の給与も上げられないわけです。(給与の逆転現象が起きるので)

元々あまり給与は気にしてなかったですが、額面が上がればそれは即ち評価されているということが如実にわかるわけでして、この経験により「適切な評価をし、給与を上げることによってもたらされる心理的な効果」というのを実感することができました。

そして、皆の給与も適切な額に上げなければならない、という意識に目覚めました。(しかしながら、お金だけでは限界があることもわかっています)

ここで不思議なことなことなのですが、年収400万くらいの生活を長く続けていたとしても、お金を使い切る生活をしていると、いくら年収が上がろうと、(もちろん、性格によりますが)お金を使い切るようになります。
年収1,000万超えている友人にも同じタイプ(性格も似ている)がいるので、そういう性格なのだと理解してます。

よって、年収があがろうとなんだろうとお金は使い切るという謎の生活を続けていたわけです。
ただし、役職があがるとどうしても仕事がらみも含め使う機会が増えていくのも事実です。(奢りなどの機会が増えるので)
そして、思い立ったようにゲームとかDVDとかを買いまくるのですが、そもそも観たり遊んだりする時間がとれない、という本末転倒なことにも陥りました。

ただ、それはそれで買わないでいるのは我慢ができず、遊べもしないのに、観れもしないのに、Amazonでポチる毎日を過ごしていました。
こうして抱えたストレスを散財によって解消していた部分があることも否めないでしょう。

疲れて家に返ってくるとAmazonから荷物が届いており、開けて満足感を得る、みたいな生活です。

ちなみに、現職の給与は秘密です。
(前職より上ということはありません)

破綻した生活がもたらすもの

なんといいますか、生活が破綻していても借金を重ねているわけでもないので、実際そこまで困らなかった、というのも事実ではあります。

ある程度であればお金を気にしなくても良いという生活はストレスが軽減されますが、仕事のストレスで相殺されるところがあるため、なんだかんだいって幸せとはいえないかもしれません。

そして、年収が1,000万を超えていても税金やら何やらで国に持っていかれるお金は非常に多く、豪遊できるほどの生活でもありません。

ただ、なんとなくデカい買い物をすることに関する恐れは少しだけありました。

だから、私は高い腕時計も車も特に買わずに、ただひたすら、何か心のスキマを埋めるものにお金を使っていたのでしょう。
(計測してないから何に消えたのかわからないが、ガジェットとかゲーム、DVD、お酒が多いはず)

そういう意味では、気に入ったバーで1人でちびちびとウイスキーを傾ける時間というのは癒しの時であった訳ですし、世俗から離れて重圧から解放される貴重な時間でもあったわけです。

だがしかし、気がつけば良い年齢になっており、お金についてきちんと考えてみようと何故か不意に思い立ったわけです。

マネーフォワードとの出会い

ある切欠から、pyspaでマネーフォワードを教えていただき、口座を登録してみたところ、あら不思議。
すべてのお金の流れが可視化されたことで自分ではなんとかなっているだろうと楽観的に考えていたことが明らかに破綻していることが認識できるようになったのでした。
正確に言うと今はなんとかなるけど、何かあったときにや、将来的に厳しくなるってことですね。

ともあれ、マネーフォワードによって収入と支出、お金が可視化されたことで帳尻を合わせたりするのが楽しくなりました。

お金を数値だと思って扱えば、ゲームのような気持ちで支出をコントロールしていくことができるわけです。
口座の数値をゲームだと思って、あれは削れるな、これは削れるな、と考えるのはなかなか楽しいものです。

最初に述べた通り、お金=給与ではなく資産ですから削って残ったものが積み重なっていくことで本当のお金に変わっていくわけです。

(余談ですが、こないだマネーフォワードのCTOにお会いする機会があり「本当にありがとうございます」とお伝えすることができました)

とはいえ、削っていくだけでは現状の改善にしか繋がりませんから、将来的にどうするかを考えていく必要がありました。

ファイナンシャルプランナーとの出会い

その次のステップとしてはこの破綻をどう修正するか、ということになり、ここでもpyspa力を利用してファイナンシャルプランナーを利用しました。

今は面談を2回行ったところではありますが、こちらの簡単な経済状況をお伝えしただけで、老後までのお金の流れをシュミレートしていただき、今のままお金を使っていく/貯めていくと、老後どれくらいで資産が尽きるのかまで、計算していただいてます。

お金の管理というのは主観で行っているとどうしても自分の性格に左右されます。
そこで、客観的な視点が入ることでお金に関する考え方が変わっていくのが感じられ、非常に有意義な機会でした。

正直に言えば、自分のお金のことを人に話すのは恥ずかしいという思いもあったものの、話してみれば非常に意味のあることだったわけです。

お金の管理をしてわかったこと

お金は大事だよ!
とざっくりいうと、にべもないですがすべてを記録して可視化してみると案外「いらないもの」にお金をかけていることがよくわかります。
支払いなども基本クレカにしているので、すべて使用用途が記載されるのですが、普段使ってもいないサービスなどに課金し続けていたりすることが明らかになるわけです。
もともと、現金よりクレカを使ってはいましたが最近はすべてWeb明細で、しかも見にくいことが多いため、きちんとチェックしていませんでした。
改めてマネーフォワードに集約するとお金の流れが本当によくわかります。
そして、ファイナンシャルプランナーという他人の客観的な眼を使うことで、自分の状況を客観視することができました。

例えば、コンビニなどで適当にお金を使っていると、激しく無駄遣いをしていることがわかります。
あとは、AmazonでのKindleで漫画買いすぎ問題などなど。
(漫画が最も短時間で消化できるコンテンツだった、といえます)

遊べもしないゲームへの課金も可視化されるので、自身のお金のゆるさに対する危機意識を感じるわけです。

とはいえ、節制節制というのでは人生面白くない、ということで、嗜好品や意味があるもの、価値があるもの、に関しては今でも適度にお金をかけるようにしています。

最後に

ここで言いたいことはなんだ?といえば「お金との付き合い方を真面目に考えていこう」というお話です。
日本の義務教育ではお金のことは勉強しません。
だから、今回のお金に関してちゃんと考えるべきだ、という気持ちの転換は人生を変える出来事でもありました。
(とはいえ、つい数ヶ月前のことですが)

多くの人達のキャリアと向き合うことも多く、人生においてのお金の重要性を感じさせられる日々でもあります。
しかし、自分のお金は自分で管理しなければなりません。
当たり前なんですけどね。

ということで本当にお薦めですよ、お金の管理。
できれば若いうちにちゃんとすることをオススメします。

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