Jul 28, 2017 · 3 min read
何故なら、こんなありさまだからだ。各地方自治体から木材を寄進させる。使用した後は返却するから「レガシー」として使いなさいと。この「無償で資材を中央に供出させる」の構図こそが問題だ。
当初の予算5000億円から膨張の一途を辿る建設費、各教育機関に対し半強制的なボランティアの呼びかけ、過密なスケジュールに疲弊した若き現場責任者の死、椎名林檎の無頓着な御神託と、オリンピックをめぐる記事を目にするたびに「だから言わんこっちゃない」とつぶやく私。
「決まったからには成功させねば」との日本式の納得。「もう引き返せない」との諦念の内面化。いつからオリンピックは国を挙げての行事になったのだ?都市単位で開催する建前ではなかったか。
東京の次の2024年オリンピックにはパリとロスが名乗りを上げ、結局2028年までの開催地としてIOCが双方を仮押さえしたようだが、今の規模のままでのオリンピックが続くようなら、いずれどこの都市も、財政面の困難を理由に、手を挙げなくなるだろう。
百歩譲って、日本に開催する意義があるとすれば、オリンピックのダウンサイジングを国際社会に示すことだと思う。しかしそれは、ボランティアによる人員確保や資材の無償供出などで達成することではない。削るべき身は他にあるのではないか?JOCよ。鰯(Sardine)2017/07/29
