2011年11月21日、黄昏時のスケッチ

(昨日、以前したためたツイートのことを唐突に思いだした。Twilogに過去のつぶやきを収めてはいるが、Mediumにコピー&ペーストして少し読みやすくした。)


逢魔が刻、上品そうな老夫婦が散歩していた。バーバリーのツイード地のジャケットを着たご主人が車椅子を押している。座っている奥さまに、ご主人は熱っぽく語りかけている。その話の内容が興味深かったので、ぼくは思わず耳をそばだてていた。以下その内容を記す。どうか誤読なきよう願いたい。

老紳士「お前ね。ここ二十年間の日本経済はがたがたで、どうしようもないとされてきたんだが、それは違うんだよ。ぼくは新聞の経済面にずっと目をこらしてきたから判る。日本は低迷期を脱した。これからは飛躍の時だよ。ねえお前、日本はまだ捨てたもんじゃなかったんだよ。」

「日本はね、これから良くなるよ。いままではアメリカの言いなりだったけれども、最近のアメリカにはかつての勢いがないんだ。しかしね、日本は違う。これから金融緩和なんかの政策が効けば、もっと良くなるだろう。これからは日本がアメリカに代わって世界の経済を牽引してゆくんだ。」

「ぼくはね、ずっと新聞の経済面をじっくりと読んできたからそれが分かるんだよ。ねえお前、日本は凄いよ。日本は世界のリーダーになるんだ。いままで辛かった時期も、もうじき脱出できる。そして日本国民みんなが、幸せに暮らせるんだ。ぼくは最近ね、そのことを確信しているんだ……」

老紳士の熱っぽい口調に、車椅子の夫人は、「ええ、そうですか」、「ほんとうに……」、「そうだとよろしいですわねぇ」と頷くばかりだった。ぼくは彼らとしばらく並んで歩いていたが、だんだんご主人の主張を聞いているのが辛くなってきて、足早にその場を逃れるのだった。

老紳士の語る日本は、ぼくの視ている、あるいは見えている日本とはまったく違う。はたして彼は、本気で自分の喋っていることを真実だと考えているのだろうか。理想を述べているのか。それとも、気休めに過ぎないのか。先の不安な奥さんを、安心させたいがための「優しさ」なのか?

わからない。わからないが、ぼくは老紳士のことばを聞いていて、むしょうに哀しくなった。そして、その哀しみの源をたどっていくと、国家と自己との関係という問題に、否応なしにつきあたる。ぼくは彼のように、日本という国家の安泰が自らの幸福に直結するという志向というか思想が、欠落している。

日本が良い国であることが望ましい。もちろんそう思う。しかし自分の属している国だけが栄えていれば済む話でもないし、それで幸せだとはとても思えない。……あーまたしても、抱えきれぬ問題を抱えたまま、結論を書かないまま、持ち越してしまう破目になった。申しわけありません。(了)

朝のツイートに関する、しごく簡単な総括:畢竟ぼくは国家を自己と同一化できない、アイデンティファイできないことを改めて自覚したということ。(念のため言い添えておくと、老紳士のことは嫌いじゃない。むしろ好もしく映った。かれのような思いやりのある老人になりたいと思うほどに。)


老紳士が語っていたのはアベノミクスへの期待である。彼は今も同じ心境でいるのだろうか。

写真は2013年11月24日、坪井川土手にて。本文とは関係ありません。

鰯(Sardine)2017/03/28

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