Zガンダムはしゃべりすぎなのだ

ロボットアニメの金字塔、機動戦士ガンダムことファーストガンダムでは、シリーズ終盤にもなってようやく主人公アムロと宿敵シャアが初めて出会い、そして言葉をかわす。

ところが続編のZガンダムときたら、やたらしゃべるしゃべる。とにかくコミュニケーション能力が高い。最近 Amazonプライムビデオで見直しながら、そこがとても気になっていた。

当初、主人公のカミーユとはライバル関係になるかと思われたジェリド中尉。彼らは、戦場でモビルスーツに搭乗して相見えるよりはるか以前に、やれ女の名前だの俺は男だのとすっかりおしゃべり仲間である。

そのあとカミーユは拘束され、MPの尋問を受けることになるのだが、そのMPの台詞が本当にすばらしい、

『エゥーゴというのが宇宙に住む人間の独立自治権を求める運動だというが』

これはアニメ史に残る名説明台詞と言ってよいだろう。
長い時を経て、ふたたび開かれる物語の扉。その扉が開く音こそ、このMPが吐く説明台詞だと言っても過言ではない。ああ富野さん、なんて下手な説明台詞なんだ。このタイミングでこんな大事な設定をあのMPに語らせても全く伝わらない(苦笑)だがしかしそれがいい。これぞ富野節なのだ、ガンダムが還ってきたのだと実感できる瞬間。

おなじくZガンダムの作品冒頭にて、電波による通信ができないミノフスキー粒子散布下での「お肌の触れ合い通信」が描かれている。この作品がかろうじてSFたりうる描写をする部分だ。なるほど、この世界においては、こうしなくては会話できないのだと視聴者全員が悟る。

ところが物語が進行するにしたがって、その描写は一体なんだったのかと思わせるほど、宇宙戦闘中にモビルスーツパイロットが敵としゃべるしゃべる。Zガンダムの登場人物たちは総じてニュータイプ能力が高い上に、人為的に作られた強化人間も登場する。だからミノフスキー粒子散布下でも平気でコミュニケーションできるのだろう。

考えてもみれば第1話で「お肌の触れ合い通信」をしてみせたのはリック=ディアスを駆る歴戦のおじさん連中。ひょっとしたらオールドタイプとニュータイプの対比になっているのかもしれない。

それにしてもそのリック=ディアス隊のなかでクワトロ大尉だけは、前作でジオングに搭乗する際にも言われている通り、ニュータイプ能力が未知数である。

なにしろ全シリーズを通して、劇中では都合よくどちら側としても描かれる。あるときはブライトのふたりの子供の性別を見事に当ててみせ、またあるときは『夢を忘れた古い地球人よ♪』とすら歌われ、シロッコには『ニュータイプのなりそこない』と評される。

そのシロッコに『そんなモビルスーツでこのジ・Oと対等に戦えると思っているのか?』と言われよほどプライドを傷つけられたのか、数年後アムロのリ・ガズィを同様の台詞で小馬鹿にする。その際にはちゃっかりファンネルを操っているんだから、端から見ればいつのまにやら立派なニュータイプである。

それができないからフラナガン機関とララア・スンに丸投げしていたのだろうに。

ところでこの度の私のZガンダム視聴は、先にガンダムZZのほうを全話見終えてからだった。順番を逆にすることで新たな気づきが得られるかと思ってのことだが、とても大きな収穫があった。

最終回でカミーユが精神崩壊したとき、Zガンダムのコクピット内で、彼は幼児のようにしゃべりまくっている。

彗星はもっと、バァーって動くもんな
おーい、出してくださいよ

あまりにもショッキングだし、ガンダム全作品中でも屈指の名シーン。そしてテレビアニメでここまであからさまに◯◯った主人公で大団円を迎えたのは初めてではないだろうか。あ、カミーユはおかしくなっちゃったんだというのが、このシーンの饒舌さで視聴者にハッキリわかる。これはファでなくともたじろぐだろう。

ところが!

つづく続編のガンダムZZではうってかわって、カミーユは表向きほとんどしゃべらない。しゃべってはいけないかのようにしゃべらない。

精神に異常をきたしているにしてもカミーユさんは宇宙世紀最強のニュータイプ、リビングレジェンドであるからして、ジュドーら次世代の若者たちにサイキックなメッセージを送らねばならないのだから、普段『おーい、出してくださいよ』と陳腐で幼稚すぎる音声は口が裂けても発してはならんのだ。いや、むしろ口が避けていて何も言えないくらいがちょうど良いのだ。

対してZガンダム最終回時は、視聴者とファが驚く必要があるからこその『彗星はもっと、バァーって動くもんな』なのだ。だからおなじ人物のおなじ状態を描くにしても、饒舌と沈黙というまったく違うかたちになるのだ。

さて、Zガンダムではニュータイプ能力の高い人物が多いから、戦闘中におしゃべりしまくっているのだと先述したが、戦闘中にもかかわらずモビルスーツを降りてお互いが直に話すというのも本作の特徴である。カミーユがサイコガンダムのコクピットに移りフォウといちゃいちゃするなどワケがわからなさすぎる。大気圏内をおそらく自由落下中であろうにも関わらずだ。

などと台風の夜の暇つぶしにテキストを打っていたらもう4:00過ぎである。まだ荻窪のコロッケ屋が開店する時間には遠い。

Zガンダム放送当時は月刊NewType誌に、事前説明なしに「アウドムラ」のようなワードが出てきて分かりにくいといった読者投稿が掲載されていた。ただでさえ複雑な物語をそういった演出でさらに難解にしていくものだから不満が出るのも仕方がない。なにしろ前作ファーストガンダムは誰が観ても解りやすい。

言葉数が多いわりには、さぞ視聴者の理解度は低かったことだろう。その点について、富野総監督は反省していたのか、20年を経て公開された映画版のほうでは、クワトロ大尉がきちんとアウドムラに関する説明台詞を吐いていた。

ところが富野さんはここでもやりすぎてしまう。アムロが輸送機でアッシマーに激突するシーン(その後シャアと7年ぶりに再会するあのシーンだ)、テレビ放映版はとてもシンプルでよく伝わる場面なのだが、映画ではアムロがどうでもいい戦術のことをしゃべりすぎてしまう。アウドムラを無傷で手に入れたい欲が云々と。ここは本当にもったいない。

さて長くなりすぎたので、Zガンダムの台詞でもっとも好きなものを挙げて終わりにしよう。皆もたぶんこの台詞が大好きなはず。

カミーユ、私の命を吸って

このひとことがどれだけ要らぬ妄想につながったことか(笑)