あたたかい闇の中で。

目の前に手をかざしても、まるで分からないほどの暗闇を、僕は今までに3度体験したことがある。

1度目は、富士の麓に広がる青木ヶ原樹海にある氷穴の中だ。たしか中学の行事だった。夏なのに肌寒いほどの冷気の中、狭くて暗い洞窟を進むにつれて背筋がゾクゾクしたことを覚えている。

2度目は、直島の家プロジェクト「南寺」。ジェームズ・タレルのアート作品で、5年ぐらい前に訪れた。目が慣れてくると、うっすらと浮かび上がる四角形の光が印象的だった。

そして3度目が、先日訪れた「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」だ。

Twitterで存在を知って、いつか行こうと思って三日後ぐらいに東京出張が決まったから、多分体験するべきタイミングだったに違いない。

外苑前駅からのんびり歩いて10分弱。ひどく寒い日で、雪がちらついていた。予約した20分前にコンクリート打ちっ放しの建物に入ると、エントランスで6人の男女がくつろいでいた。

マスクをした男性。
会社の同僚らしき男女。
年配の女性ひとりと、
おしゃべりな女性二人。

そして僕。

まるで接点のない7人が、完全に光が遮断された空間に入る。アテンドの方から説明がはじまる。

「互いの顔はわかりません。声だけが頼りです」
「好きなように声を出してください。話をしてください」
「ニックネーム、つけましょうか。好きなやつでいいですよ」
「さあ、ここからは、純度100%の暗闇です」

正直なところ、僕は暗闇よりも、彼らとうまくコミュニケーションできるのか不安だった。表情が見えてても言葉に詰まることがあるのに、情報が少なすぎて、会話なんて成り立つのだろうか。合コンだってずっと苦手だったのに。でも、それはすぐに杞憂だったと分かる。

最初こそ言葉を選んでいたが、暗闇に慣れるにつれ僕らは思ったことをそのまま口に出していた。

「あ、地面が変わった」「ここに段差があるよ」「こっちが先頭でーす」「風が吹いてますね」「天井、意外に高いよ」「これは誰?」「○○ですよ」「みんないる?」「いまーす!」「香ばしい匂いがする」「お腹減ったね」

闇の中では絶え間なく誰かの声がして、ときどき触れたときに体温を感じた。恐怖は微塵もなかった。

途中、お茶とお菓子を食べる時間があった。暗闇のティーパーティー。このとき、ちょっと自分でも不思議なぐらい心地よかった。すぐ隣に、今日初めて出会った人が座っている。肩が触れ合うぐらい近いのに緊張も遠慮もない。声だけで、互いが笑顔だということがわかる。姿が見えないことが、これほどストレスフリーなものだとは知らなかった。顔色を伺うことも、自分を取り繕う必要もない。思ったことを口に出し、感じたことを伝え合った。肉体が溶けて、魂で会話をしているみたいだった。

僕はみんなの声を聞きながら、両手をテーブルに投げ出し、座りながら伸びをした。このときの僕は、闇ではなく安心感に包まれていた。そこに居る人の存在が、只々ありがたかった。

少し明るい部屋に入り、目を慣らし、エントランスに出ると、みんな顔を見合わせながら笑った。楽しかったですね、と。

そして、ほどなくして、口数が減った。闇では誰よりも饒舌だったマスクの男性は、照明の下ではほとんど声を発しなかった。みんなに話しかけていた女性は、一緒に来たパートナーとの世界に入った。僕は、スマホに届いたメールの確認をしていた。

僕は、あの闇がいつまでも続けばいいと思った。
あんなに、あたたかい闇は、生まれて初めてだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

体験が終わったあとの話。

ダイアローグ・イン・ザ・ダークでは、季節ごとにイベントを盛り込んでいて、僕が参加したときは暗闇の書き初めだった。この体験自体、大変新鮮だったけれど、それよりも終わった後、自分が書いた字を発表して、一年の目標を語る時間が楽しかった。仕事の悩みから脱却したいと願う人もいれば、人生の転機を掴むんだという熱い想いもあった。なぜか「納豆」と書いて、笑いを起こした人もいた。

僕は「今年はいろんなことに挑戦したいと思いまして、『全』と書いたんです」なんてクソ真面目なことを暗闇の中で発表したのだけど、体験後、明るいエントランスで見せ合うと、どうにも思ったとおりに書けてない。

……

………金?

そう呟いたときの、みんなの反応、聞かせたかったなぁ。失笑の渦。

僕はきっと、今年の終わり、一年を振り返ってこう言うのだ。
いろんなことがあった年だった。やれることはぜんぶやった。

でもね、全部、金だった。

そのとき、僕はどんな顔をしているのか。
もしツヤツヤと太った顔でニヤついていたら、
どうぞ遠慮なく、ひっぱたいてください。

おしまい。

One clap, two clap, three clap, forty?

By clapping more or less, you can signal to us which stories really stand out.