彼女の叫びで僕は筋肉痛になる。

お正月からしばらくの間、名古屋はずいぶん暖かくて過ごしやすかったけれど、一昨日あたりから急に冷えてきた。天気予報を見ると、週末は雪が降るらしい。外に出るのが億劫になるけど、娘に初雪を見せるチャンスでもある。交通機関のマヒなどを横に置いておくなら、ドカンと降ってほしいな。雪だるまをつくってやりたい。……てなことをぼんやり考えていると、僕は自然と福井のことを思い出す。18歳から4年間。まさに青春を過ごした場所だ。北陸の冬は本当に寒かった。思い出話をはじめるとキリがないけれど、不意に記憶の抽斗から出てきた講義のエピソードを書き留めておく。

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僕の専攻は心理学。「人の心が読めたりするんじゃね? それすげー!」ぐらいのアホな事前知識で入学したから、最初の講義で「脳の構造」についての本を渡されて白目になって、講義の70%ぐらいは出席数と睡眠時間の確保のために出ていた。今思えば、めちゃくちゃ面白い分野なのに、当時は何も考えずにドブに捨てていた。それでも、心に刺さった講義というものはいくつかあって、そのひとつは大学1年の秋に受講したものだ。
先生は、現役の医師であり臨床心理士でもあったT先生。精悍な顔つきもあって、女生徒からも人気の先生だった。
僕はいつものように、教室の最後列の机に突っ伏して、足りない睡眠時間を補っていた。学生は暇なはずなのに、なぜあんなに眠かったのか。寝てたからよく覚えていない。そして、ちょうど目が醒めるタイミングに、T先生の声が耳に届いた。

「……ある種の精神病患者にとって、自殺は、ひとつの症状です。人は風邪をひくと熱がでますよね。風邪の菌を殺そうとする自己防衛機能です。それと同じように、病によって自我が保てなくなると、意思とは別に、自分を殺そうという衝動にかられるのです」

講義はそのまま別の精神病の話に移っていったが、僕の頭の中では「自殺は症状である」というワードがぐるぐると回っていた。
上記の症状はある種の精神病患者という但し書きがつく、極めて特殊なケースだ。12年も前の話だから、記憶違いもあるだろう。けれど当時の僕は、それを普遍的に「人間は肉体よりも、自我を生かす方を選ぶようにプログラムされている」と捉えた。自我を失うと死に向かう、とすれば、人は自我を強化することで生きようとしている。そう考えると、あらゆる人の行動の根底には「生きたい」という声ならぬ叫びがあるはずだ。これは強烈な思い込みとなって僕の中に色濃く残り、今なお人の行動理解の重要な視点となった。

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最近、娘がイヤイヤ期だ。保育園に迎えにいくと、

「くつしたはかない!」
「ジャンバーきない!」
「じてんしゃものらない!」
「ぜーんぶ、イヤ!」(ホントにこのまま言う)

と笑っちゃうくらい分かりやすいイヤイヤを言ってくる。僕は他のお母さんたちの「分かるわ(苦笑)」という温かい目線を受け止めながら、ジャンバーだけは無理やり着せて、片手で抱っこ、片手で自転車を引きずりながら家路につく。その間、何度も自転車に乗ってと懇願するが、彼女はテコでも動かない。そんな姿を見ると、「コイツ、生きようとしてんなぁ」と思わずにいられない。嬉しくあるが、そろそろ腕が限界なので、イヤイヤ期、終わってくれんかなぁ。

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