「○○の△△です」

その言葉が嫌いだ。

人間関係を円滑に進めるためにそれが必要なのは分かっている。しかし自分の属性を最低一つは付け加えないと自分の証明にならなのはなんとも悲しく思える。

仕事に関してであれば、僕は昔「○○先生」であったし、あだ名で呼ばれることも多々あった。今では「事務の人」という呼ばれ方である。インターネット上にも広げるなら「じーに」と呼ばれもする。

名乗り方や呼ばれ方は様々であるのに、これらはすべて同一人物である。ならば、属性を一つ付加することで自分が自分自身であるという証明になると認識しているのは根拠が薄い。様々な呼称+自分が複数持つうちの一つの属性なんて組み合わせは幾通りにもなるのだ。そもそも呼称は「その人」を示すものであるので、属性を内包するものではないのか。とすれば呼称(属性を内包する)+属性となり属性が並列表記となっているのも気にくわない。

ならば「事務の○○さん」ではなく、「○○さん」だけでいいのではないだろうか。「変なことを書いているじーに」ではなく、ただの「じーに」ではいけないのだろうか。

名乗ればわざわざ属性を付けなくても、自身の証明になり得るという世界に憧れるのだ。

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