聖地と祈り<久高島/エルサレム/マリ>

叡智のワークショップ”共生のシャーマニズム” 第1回 レポート


人間はなぜ旅をするのだろう?

旅に出る前のひとにそれを尋ねると、これからの旅の目的を話してくれる。「ピラミッドがみたい」とか「尊敬する人に会いに行く」とか「ここから逃げ出したい」とか。

旅から帰ってきた人に同じ質問をしてみると、少し違った答えが返ってくる。旅の過程を通して自分に訪れた変化について嬉々として、時には不可解な表情で話してくれる場合が多い。

「なぜ?」という問いの答えは、旅という行為の前には断定できないのではないか?旅に出かけて、家に帰ってきたあと、自分の中の変化を静かに見つめて、「この感覚を得るために自分はあの場所に行ったんだなぁ」と、しみじみ事後的にわかるものなのではないか?ぼくはそう仮説している。

みずからの身体と心に訪れた変化から経験を振り返って、旅人が得たものの総称が「知恵」と呼ばれるものの正体である。神南サロンでは、その人の固有の経験と、そこから得られた「知恵」を、みんなで共有できるようなワークショップをやりたいと常々考えていた。

2015年1月9日(金)。旅人でありアーティストであるSUGEE(スギ)を講師に招き、受講者と一緒に共生について考えるワークショップ講座がスタートした。

大学時代、政治について学んでいたSUGEEは、日米安保の研究をするためフィールドワークに訪れた沖縄で、人間の暮らしの原風景のようなものを目にした。自然や祖霊や神とつながりながら、共同体の暮らしをいきいきと楽しむ姿だ。そこから一気に世界中を旅して回る生活が始まる。

アジア、アフリカ、南米、中東、興味の赴くまま様々な場所を訪れ、各地の共同体に入り込み、時には一緒に暮らしながら人間が生きるということについて見つめてきた。

叡智のワークショプ”共生のシャーマニズム”第1回のテーマは「聖地と祈り」。久高島、エルサレム、マリ共和国で実際にSUGEEが見てきた、各地の共同体における「共生のかたち」をみんなで共有した。

沖縄・久高島のイザイホー

久高島イザイホーにまつわる本(久高島フェリー乗り場で購入)

沖縄にある周囲8kmの小さな島、久高島には現在200人の人が暮らして居る。伝統的に島の男性の多くは組織化された優秀な漁師(海人/うみんちゅ)で、遠洋漁業にでかけて海の幸を島に持ち帰るのが生業である。島の女性はというと、ある年齢になるとノロと呼ばれる神女(神人/かみんちゅ)にみんながなり、年間30以上の祭りを執り行いながら、遠くの海に出かけて、長い期間帰ってこない男たちの安全や豊漁を祈ったり、自然のサイクルに感謝の気持ちを捧げたりして暮らしていたという島である。

当日は、受講者全員で「イザイホー」のビデオを観てディスカッションをした。

イザイホーとは、久高島で12年に一度おこなわれる、神女になるための通過儀礼のことで、島で生まれ育った30歳以上のすべての女性がその儀式を受ける。ニライカナイからの来訪神を迎え、新しい神女をその神に認めてもらう儀式を4日間にわたって執り行う。

旧暦午年の11月15日から行われる儀式なのだが、実は旧暦午年の11月15日を新暦に変換すると2015年1月5日。本来は講義が行われた1月9日の数日前に行われる「はず」だった儀式なのである。

イザイホーは神女の後継者不足によって1978年以降行われていないというのが実情である。2014年に行われなかったことで、イザイホーという儀式を通した、代々の神女の教えの伝承が事実上途絶えることになるとも言われている。

SUGEEは12年以上前から久高島に何度も訪問し、2014年の9月には、中秋の名月の祭りで奉納演奏を行っている。ジェンベを叩きながら歌うというSUGEE独自のスタイルで演奏を行い、旅人というよりは、共同体の一員として久高島の文化を見つめてきた。

1978年のビデオを見ながら、SUGEEが見てきたことを話してもらい、祭り(マツリ)と政(マツリゴト)が一体化した、島の共同体のあり方に関して全員で話し合った。

エルサレムにおける宗教的共生

エルサレム旧市街

SUGEEは音楽祭に参加するために、2013年、2014年と2年連続でイスラエルとパレスチナを訪れている。その際にエルサレムに立ち寄った経験を写真を見せながら受講生に向かって話した。

イスラム国によるテロリズムや、フランスの新聞社の襲撃事件など、信仰の違いによる対立が頻発するようになって、世界中が心を痛めている。

エルサレムは、壁に囲まれた土地で、さまざまの宗教(ユダヤ教/キリスト教/イスラム教など)における聖地であるがゆえに、信仰や考え方がまったく違った人たちが、共存している場所である。

SUGEEはアブラハムの墓と旧市街の暮らしを象徴的に紹介した。

アブラハムとは、「信仰の父」と呼ばれる最初の預言者であり、ユダヤ教、キリスト教のイエス、イスラム教のムハンマドそれぞれの預言者たちのグレートファーザー的な存在である。それぞれの宗教と信仰は、太古の昔人と人の関係を通じて根源の部分がつながっていたということを表す大事な存在である。

現在のパレスチナ・ヘブロンにあるアブラハムの墓という場所では、過去にあった対立により、ユダヤ教の信者とイスラム教の信者それぞれのために別の出入り口があり、中でそれぞれが出会わないように厳格に管理されているという。

少しだけ離れた旧市街に目をやると、商店街のような通りになっていて、民族宗教の関係なしに、エネルギッシュな生活が行われている姿を見ることができる。
隣り合った店同士が宗教的に対立していがみ合っているなどということはなく、もちろん出入り口も共通化している。マーケットでイチゴやオリーブなどの収穫物をわいわいみんなで選ぶ姿は「共生」の姿そのものだった。

「宗教対立は兄弟ゲンカである」SUGEEはそう断言した。

嘆きの壁

音楽を使ったグリオの民族対立の解決

SUGEEは「ママディ・ジャバテ」という別の名前を持っている。西アフリカのマリ共和国を訪れたときに、グリオ集団と生活を共にし、正式に洗礼を受けた。

グリオとは、世襲制でそれぞれの民族の伝統を伝達する者たちのことで、日本でいう歌舞伎や能の文化の世襲のイメージに近い。

各民族集団にグリオがいて、歴史上の英雄物語や、遠方の情報、各家の系譜、生活教訓などを音楽に乗せて人々に伝えることを本来の目的としている。文字がなかったころの民族の文化を記録するメディアのような存在で、本やDVDのような役割を担っている。

西アフリカでは、民族同士の諍いが起こったときに、お互いの前線にグリオが派遣されることになっている。対立する敵同士の境界線で、それぞれの民族のストーリーを音楽に乗せて演奏しあうバトルが執り行われる。サッカースタジアムの応援合戦のような様相で、大音量でお互いの民族のストーリーを音楽に乗せて伝え合うのである。ときには三日三晩続けられることもあるという。

「勝敗は誰がきめるんでしょう?」受講者の素朴な疑問。

グリオ同士が演奏を繰り返す中で、音楽から文化の成熟度がわかるし、音楽に乗せられているストーリーから民族の文明がわかるから、優劣や勝敗はそこにいる人たち全員が感覚的にわかるというのだ。

殺し合いを避ける、共生の知恵がここにもあった。

第1回から、旅人SUGEEがみっつのまったくちがった場所で実際に見てきた共生の知恵を紹介いただいた。これから第5回まで引き続き共生について考えていきたいと思っている。

第2回は2015年1月16日(金)「雲南の少数民族 〜そのファッションとカルチャー」というテーマで 、映像作家のキム・スンヨンさんを招いて語りあう。

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